5月14日(火)ヒラリー・ハーン(Vn)/コリー・スマイス(Pf)
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1. アントン・ガルシア・アブリル/First Sigh" Three Sighs より
2. デイヴィッド・ラング/Light Moving
3. モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 K.302
4. 大島ミチル/Memories
5. バッハ:シャコンヌ (無伴奏パルティータ第2番より)
6. リチャード・バレット/Shade
7. エリオット・シャープ/Storm of the Eye
8. フォーレ/ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 Op.13
9. ヴァレンティン・シルヴェストロフ/Two Pieces
【アンコール】
1. ジェームズ・ニュートン・ハワード/133...at least
2. デヴィッド・デル・トレディッチ/Farewell
2011年の春に予定されていたリサイタルはキャンセルされたため、09年以来4年ぶりにヒラリー・ハーンのリサイタルを聴いた。クリスタルな透明感、気品のある静謐で孤高な美しさといった持ち味は変わらずに持ち続け、それがより自由に羽ばたいていた。
ヒラリーは、自らの委嘱作を中心にした「新しい」音楽を、リサイタルやソロアルバムに入れるようになって久しい。今回も9曲の演奏曲目のうち、6曲がヒラリーの委嘱による新作。新たな挑戦を続ける姿を好ましく思う一方で、ヒラリーの関心が「クラシックな」音楽から遠のきつつあるのでは、という一抹の不安も感じていた。しかし今夜のリサイタルでは、ヒラリーが以前から得意とするバッハやモーツァルトやフォーレでも素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
「様式の全く異なる音楽をひとつの演奏会に並べるときは、気持ちの切り替えが難しい」と言う演奏家は多いし、その言い分は尤もだと思うが、 ヒラリーにとってはクラシックとコンテンポラリーの作品のあいだには何の垣根も存在しないかのように、自由に飛び交い、どちらの音楽も新鮮で活き活きした素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
委嘱の新作では、後半の最初に演奏されたバレットとシャープの曲が、作品として独創性が感じられて、面白かったし心に迫ってきた。バレットの曲ではハーモニックスによる超高音でたゆたう音像がヒラリーのキャラにとても合っていたし、シャープのもつ「激しさ」は、常に平静さを装う彼女の心に火を付けたようなパッションが伝わってきた。プログラム最後に置かれたシルヴェストロフの曲は、何の作為も感じられないようなピュアの音楽で、これはリサイタルのエピローグに相応しい。
クラシックのジャンルでとりわけ感銘を受けたのが、バッハとフォーレ。(重音の部分に限らず)多声部から成るバッハのシャコンヌを、ヒラリーは実に鮮やかで明快に弾き分ける。一つ一つの音が全く動じることなく弾き重ねられて行くことで、永遠性さえ感じる長い線を作り上げて行く。ヒラリーのバッハは、音の均質性が機械的というコメントをいつかレコ芸で読んだが、僕はこれこそがヒラリーのバッハの魅力だと思う。感情の細かい揺れをストレートに演奏に反映させて変化に富んだ「バタ臭い」バッハに仕上げるのも一つの方法だろうが、こんなにも静謐で一本筋の通ったバッハから伝わる清涼感や、更に心の深いところにスッと入ってくる精神性は、やはりヒラリーのような演奏こそがもたらしてくれるものだろう。
同じ意味で、フォーレもバッハ同様に精神性が伝わる演奏だった。それに加えてふくよかで息の長い伸びやかな歌が、聴き手の気持ちを持ちあげてくる。とりわけ第2楽章の比類のない静謐な美しさは、心が音楽と静かに同化していくよう。スマイスのピアノも透明で美しく、ヒラリーのヴァイオリンと無限の宇宙空間で静かに交感しているようで、この世のものではないような世界を作り上げていた。第1楽章が終わったあとで、曲が終わったと勘違いした人がこんなにいるとは思えないほどの拍手が入ったのはなぜだろう。ヒラリーがちょっと戸惑ったような仕草を見せたが、お辞儀で応えていた。感動の表明?でもちょっと迷惑。
締めのアンコールでは新作が2曲。現代の音楽を聴くのも好きだけど、わざわざヒラリー・ハーンで聴かなくても… とリサイタルの前は思っていた気持が、ヒラリーの演奏で現代の音楽をもっと聴きたい、という気持ちに変わった。
ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル 2009.1.15 東京オペラシティタケミツメモリアル
ヒラリー・ハーン&ジョシュ・リッター コラボレーション 2009.1.7 東京オペラシティタケミツメモリアル
ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル 2006.6.7 トッパンホール
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1. アントン・ガルシア・アブリル/First Sigh" Three Sighs より
2. デイヴィッド・ラング/Light Moving
3. モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 K.302
4. 大島ミチル/Memories
5. バッハ:シャコンヌ (無伴奏パルティータ第2番より)
6. リチャード・バレット/Shade
7. エリオット・シャープ/Storm of the Eye
8. フォーレ/ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 Op.13
9. ヴァレンティン・シルヴェストロフ/Two Pieces
【アンコール】
1. ジェームズ・ニュートン・ハワード/133...at least
2. デヴィッド・デル・トレディッチ/Farewell
2011年の春に予定されていたリサイタルはキャンセルされたため、09年以来4年ぶりにヒラリー・ハーンのリサイタルを聴いた。クリスタルな透明感、気品のある静謐で孤高な美しさといった持ち味は変わらずに持ち続け、それがより自由に羽ばたいていた。
ヒラリーは、自らの委嘱作を中心にした「新しい」音楽を、リサイタルやソロアルバムに入れるようになって久しい。今回も9曲の演奏曲目のうち、6曲がヒラリーの委嘱による新作。新たな挑戦を続ける姿を好ましく思う一方で、ヒラリーの関心が「クラシックな」音楽から遠のきつつあるのでは、という一抹の不安も感じていた。しかし今夜のリサイタルでは、ヒラリーが以前から得意とするバッハやモーツァルトやフォーレでも素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
「様式の全く異なる音楽をひとつの演奏会に並べるときは、気持ちの切り替えが難しい」と言う演奏家は多いし、その言い分は尤もだと思うが、 ヒラリーにとってはクラシックとコンテンポラリーの作品のあいだには何の垣根も存在しないかのように、自由に飛び交い、どちらの音楽も新鮮で活き活きした素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
委嘱の新作では、後半の最初に演奏されたバレットとシャープの曲が、作品として独創性が感じられて、面白かったし心に迫ってきた。バレットの曲ではハーモニックスによる超高音でたゆたう音像がヒラリーのキャラにとても合っていたし、シャープのもつ「激しさ」は、常に平静さを装う彼女の心に火を付けたようなパッションが伝わってきた。プログラム最後に置かれたシルヴェストロフの曲は、何の作為も感じられないようなピュアの音楽で、これはリサイタルのエピローグに相応しい。
クラシックのジャンルでとりわけ感銘を受けたのが、バッハとフォーレ。(重音の部分に限らず)多声部から成るバッハのシャコンヌを、ヒラリーは実に鮮やかで明快に弾き分ける。一つ一つの音が全く動じることなく弾き重ねられて行くことで、永遠性さえ感じる長い線を作り上げて行く。ヒラリーのバッハは、音の均質性が機械的というコメントをいつかレコ芸で読んだが、僕はこれこそがヒラリーのバッハの魅力だと思う。感情の細かい揺れをストレートに演奏に反映させて変化に富んだ「バタ臭い」バッハに仕上げるのも一つの方法だろうが、こんなにも静謐で一本筋の通ったバッハから伝わる清涼感や、更に心の深いところにスッと入ってくる精神性は、やはりヒラリーのような演奏こそがもたらしてくれるものだろう。
同じ意味で、フォーレもバッハ同様に精神性が伝わる演奏だった。それに加えてふくよかで息の長い伸びやかな歌が、聴き手の気持ちを持ちあげてくる。とりわけ第2楽章の比類のない静謐な美しさは、心が音楽と静かに同化していくよう。スマイスのピアノも透明で美しく、ヒラリーのヴァイオリンと無限の宇宙空間で静かに交感しているようで、この世のものではないような世界を作り上げていた。第1楽章が終わったあとで、曲が終わったと勘違いした人がこんなにいるとは思えないほどの拍手が入ったのはなぜだろう。ヒラリーがちょっと戸惑ったような仕草を見せたが、お辞儀で応えていた。感動の表明?でもちょっと迷惑。
締めのアンコールでは新作が2曲。現代の音楽を聴くのも好きだけど、わざわざヒラリー・ハーンで聴かなくても… とリサイタルの前は思っていた気持が、ヒラリーの演奏で現代の音楽をもっと聴きたい、という気持ちに変わった。
ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル 2009.1.15 東京オペラシティタケミツメモリアル
ヒラリー・ハーン&ジョシュ・リッター コラボレーション 2009.1.7 東京オペラシティタケミツメモリアル
ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル 2006.6.7 トッパンホール