9月16日(月)櫻井元希/ヴォーカル・アンサンブル アラミレ
「大天使ミカエルの祝日のミサ」
ルネサンス・ポリフォニーとグレゴリオ聖歌によるミサ形式の演奏会
淀橋教会エクレシアホール
【曲目】
♪ グレゴリオ聖歌/入祭唱「すべての天使よ、主をたたえよ」
♪ ヨハンネス・レジス/ミサ「ロム・アルメ/ドゥム・サムルム・ミステリウム(武装した人・聖なる神秘)」
(曲中に挿入されたグレゴリオ聖歌)
♪昇階唱「すべての天使よ、朱をたたえよ」
♪アレルヤ唱「大天使聖ミカエル」
♪聖体拝領唱「すべての主の天使よ、たたえよ」
♪ ヨハンネス・オケゲム/サルヴェ・レジーナ(めでたし元后)
祭壇に置かれた譜面の写真を休憩時間に撮らせてもらった
この譜面を12人の歌い手が一緒に見ながら演奏が進む
中世・ルネサンス音楽をレパートリーに演奏活動しているヴォーカル・アンサンブル アラミレ。去年初めて演奏会を聴いて、ピュアで静謐な世界に驚嘆した。耳で聴いた印象だけでなく、演奏者全員が身を寄せ合い クワイヤブックと呼ばれる大きな楽譜を取り囲んで演奏する姿や、ひとりひとりが表現者のように両手を包み込んだり広げたりしながら歌う視覚的な印象、さらに、「計量記譜法」と呼ばれる未知の楽譜が使われているという興味なども加わり、普段の演奏会では得られない類の不思議な体験も味わった。今回の演奏会でも、そんな非日常性を追体験し、ルネサンス音楽の神秘にして魅力たっぷりの世界へと引き込まれていった。
去年聴いて驚嘆した美しく柔らかな響きが今日も聖堂に広がった。倍音がビンビン聞こえてくるピュアな響き、ふくよかに丸みを帯びた歌唱、発せられた音が生き物のように呼吸し、膨らんだり収縮したりする柔軟性… ただひたすらに純粋な祈りを捧げているような演奏者達の姿から生まれる音楽は、まさに祈りと信仰に満たされた至福の世界を伝えた。
本日のメインとして演奏されたミサ曲を書いたヨハンネス・レジスという作曲家は、名前を聞くのも初めてだが、とても心に訴てくる音楽だった。テクスチュアは骨太な印象で、シンプルな力強さを宿している。4声体の部分の響きはリアルな美しさがあり、求心力がある。また、この曲では2声で書かれた部分が多いが、芯がありしなやかな2本の線の動きや絡みから強い生命力が伝わってきて、多声楽曲のなかでも2声というシンプルな構造の音楽の魅力が、素晴らしい演奏によって削りだされた。
多声楽曲の間に、単声楽曲のグレゴリオ聖歌が挿入され、さらに実際のミサで司祭が唱える祈りの呼びかけや福音書の朗読が入り、ステージ全体を教会の儀式として現出させた今回の公演は、去年にもまして異次元の空間にいるような感覚へ導いてくれた。グレゴリオ聖歌や司祭役でソロを受け持った渡辺研一郎さんの歌は、この「儀式」にぴったりで、ヴォーカル・アンサンブルの演奏にもよく溶け込む柔らかな空気を内包した印象深いものだった。先週芸祭でやった西洋中世古楽会の演奏会で聴いたグレゴリオ聖歌の歌い方にとてもよく似てるなと思い、あとで自分のブログの感想を見ていたら、歌っていたのはなんとその渡辺さんご本人だったことが判明。芸祭公演ではその独特な唱法のみに異空間性を感じたが、ここでは公演全体がそうした空気に包まれていた。
当時のミサ形式に則って行われたこの公演全体を聴いて、「世俗」とはかけ離れたピュアでストイックなものを感じたが、その後の時代の音楽はよりアグレッシブで宗教曲と言えども人間の情に官能的に訴えてくるようになる。司祭の説教にしたってそうだろう。ルネサンス時代の宗教音楽というものが、世俗の世界とは完全に一線を画した天上のもの、崇め奉るものという位置づけだったのかも、という印象を強くした公演だった。公演後にメンバーで友人のアサオさんとお話ししたり、祭壇で歌っていた他の方々が普通に談笑している姿を見てとても不思議な気がしたというのは、それほど今日の公演で私たちが天上の世界へ連れて行かれた証だろう。
ヴォーカル・アンサンブル アラミレ 第5回演奏会 13.9.17 淀橋教会小原記念聖堂
ルネサンス・ポリフォニーとグレゴリオ聖歌によるミサ形式の演奏会
淀橋教会エクレシアホール
【曲目】
♪ グレゴリオ聖歌/入祭唱「すべての天使よ、主をたたえよ」
♪ ヨハンネス・レジス/ミサ「ロム・アルメ/ドゥム・サムルム・ミステリウム(武装した人・聖なる神秘)」
(曲中に挿入されたグレゴリオ聖歌)
♪昇階唱「すべての天使よ、朱をたたえよ」
♪アレルヤ唱「大天使聖ミカエル」
♪聖体拝領唱「すべての主の天使よ、たたえよ」
♪ ヨハンネス・オケゲム/サルヴェ・レジーナ(めでたし元后)
祭壇に置かれた譜面の写真を休憩時間に撮らせてもらった
この譜面を12人の歌い手が一緒に見ながら演奏が進む
中世・ルネサンス音楽をレパートリーに演奏活動しているヴォーカル・アンサンブル アラミレ。去年初めて演奏会を聴いて、ピュアで静謐な世界に驚嘆した。耳で聴いた印象だけでなく、演奏者全員が身を寄せ合い クワイヤブックと呼ばれる大きな楽譜を取り囲んで演奏する姿や、ひとりひとりが表現者のように両手を包み込んだり広げたりしながら歌う視覚的な印象、さらに、「計量記譜法」と呼ばれる未知の楽譜が使われているという興味なども加わり、普段の演奏会では得られない類の不思議な体験も味わった。今回の演奏会でも、そんな非日常性を追体験し、ルネサンス音楽の神秘にして魅力たっぷりの世界へと引き込まれていった。
去年聴いて驚嘆した美しく柔らかな響きが今日も聖堂に広がった。倍音がビンビン聞こえてくるピュアな響き、ふくよかに丸みを帯びた歌唱、発せられた音が生き物のように呼吸し、膨らんだり収縮したりする柔軟性… ただひたすらに純粋な祈りを捧げているような演奏者達の姿から生まれる音楽は、まさに祈りと信仰に満たされた至福の世界を伝えた。
本日のメインとして演奏されたミサ曲を書いたヨハンネス・レジスという作曲家は、名前を聞くのも初めてだが、とても心に訴てくる音楽だった。テクスチュアは骨太な印象で、シンプルな力強さを宿している。4声体の部分の響きはリアルな美しさがあり、求心力がある。また、この曲では2声で書かれた部分が多いが、芯がありしなやかな2本の線の動きや絡みから強い生命力が伝わってきて、多声楽曲のなかでも2声というシンプルな構造の音楽の魅力が、素晴らしい演奏によって削りだされた。
多声楽曲の間に、単声楽曲のグレゴリオ聖歌が挿入され、さらに実際のミサで司祭が唱える祈りの呼びかけや福音書の朗読が入り、ステージ全体を教会の儀式として現出させた今回の公演は、去年にもまして異次元の空間にいるような感覚へ導いてくれた。グレゴリオ聖歌や司祭役でソロを受け持った渡辺研一郎さんの歌は、この「儀式」にぴったりで、ヴォーカル・アンサンブルの演奏にもよく溶け込む柔らかな空気を内包した印象深いものだった。先週芸祭でやった西洋中世古楽会の演奏会で聴いたグレゴリオ聖歌の歌い方にとてもよく似てるなと思い、あとで自分のブログの感想を見ていたら、歌っていたのはなんとその渡辺さんご本人だったことが判明。芸祭公演ではその独特な唱法のみに異空間性を感じたが、ここでは公演全体がそうした空気に包まれていた。
当時のミサ形式に則って行われたこの公演全体を聴いて、「世俗」とはかけ離れたピュアでストイックなものを感じたが、その後の時代の音楽はよりアグレッシブで宗教曲と言えども人間の情に官能的に訴えてくるようになる。司祭の説教にしたってそうだろう。ルネサンス時代の宗教音楽というものが、世俗の世界とは完全に一線を画した天上のもの、崇め奉るものという位置づけだったのかも、という印象を強くした公演だった。公演後にメンバーで友人のアサオさんとお話ししたり、祭壇で歌っていた他の方々が普通に談笑している姿を見てとても不思議な気がしたというのは、それほど今日の公演で私たちが天上の世界へ連れて行かれた証だろう。
ヴォーカル・アンサンブル アラミレ 第5回演奏会 13.9.17 淀橋教会小原記念聖堂