pocknのコンサート感想録アーカイブス ~ブログ開設以前の心に残った公演~ 1985年 9月12日(木) レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 NHKホール ◎ マーラー/交響曲第9番 ㊝ すごい演奏だった。バーンスタインとイスラエル・フィルとの魂の叫びを聞いたような気がした。全身全霊を打ち込んだ演奏とはこういうものだということを思い知らされたようだ。それは、説得力と迫力に満ちた熱演というだけでは全く足りないものを具えている。何か生死に関わるような緊張感と叫びが聞こえてくる。 第1楽章開始の、母親が子供に語りかけるような温かく深い血の通った弦の語りかけを聞いて、もうじーんときてしまった。音楽的と云う前に人間を強く感じる演奏だ。爆発的な迫力も単なる器楽曲としての魅力を超えている。常に人間の息遣い、感情、運命を感じさせられる。 第2楽章は「やや武骨に、そして非常に逞しく」という指示がとてもよく表れた、不器用だけれども全身で喜びや悲しみを踊りで表そうとしている人間の精一杯の姿が浮かんでくる。指揮台の上で全身でそれを表していたバーンスタイン。あのような指揮からこういう音楽が生まれるということを納得できる。第3楽章も怖ろしい程の迫力で迫って来た。死を前にして追い立てられるような真に迫ったものを感じた。 そして感動的な第4楽章。私はここで、様々な苦難や喜びや悲しみや怒りなどを経て、静かに死を迎えている人間の姿を見た。この楽章が死と密接に関わっていることはこれまでもいろいろな本や解説などで知っていたが、音楽を聴いているときにそれをひしひしと感じたのは今日が初めてだと云って良い。長く重い人生を送った人間が死の床に伏し、静かにそれまでの人生を、時には感情を高ぶらせて語って行く。そして、それを見守る人たちの深い悲しみと、その人への大きな愛。弱音で奏される弦のつぶやき、調べは、悲しいくらいに美しく、また浄化されていた。 これは1人の死という、見方によってはちっぽけなことかも知れないが、人間の尊い命は何よりも大きいことを示しているように感じた。息が次第に途切れ、更に浄化され、ついに息は途絶え、永遠の静寂が支配する。何という感動的な音楽、そして演奏。実際、この音楽からこのような音を聴いたのは初めてだ。「なんて深く息の長く、しっとりした大きな演奏だろう」と感じたことは何度かあるが、これほど人の命を感じたのは初めてだ。 このことを感じたのは、きっと私だけではないだろう。最後の音が止み、静寂が訪れても拍手は全くしない。バーンスタインがゆっくりと両手を下してもまだ静寂は続く。息苦しくなるような静けさ。弦楽器奏者が弓を下してはじめて長い沈黙からようやく拍手が沸き起こった。それは熱い心のこもった今日の演奏のような拍手だった。拍手と歓声は10分以上、楽員が退場したあと、マエストロが黒いマントに身を包み、最後にステージに出てくるまで続いた。その間に帰ろうとする客は実に少なかった。バーンスタインは眼がしらに何度も手を当てていた。イスラエル・フィルの楽員たちもそんなバーンスタインに心から拍手を送っていた。 |
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今年(2018年)はバーンスタインの生誕100年のアニバーサリー・イヤーということで、いつもに増してバーンスタインが指揮した演奏の復刻盤が出たり、作曲家としてのバーンスタインに光が当てられたりしているので、僕がたった一回だけれど立ち会うことができたバーンスタイン指揮の演奏会を聴いた時に書いた感想を挙げることにした。
30年以上も前に書いた文章はいろいろ直したくなるのだが、てにをはを一部修正した以外はそのまま載せている。この演奏会の感動は深く記憶に刻まれていて、感想を読み返したらそれが鮮明に蘇ってきた。実際、85年のイスラエル・フィルとの来日公演でのマーラーの9番は伝説の名演として多くの人達に語り継がれているようだ。そんな演奏会に立ち会えたことは自分にとっての大きな財産だと改めて思う。
(2018.10.13)