3月20日(日)坂入健司郎指揮 慶應義塾ユースオーケストラ ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart.gif)
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~第2回演奏会~
ティアラこうとう大ホール
【曲目】
1.近谷直之/「Paradigm shift」(世界初演)
2.シューマン/ピアノ協奏曲イ短調Op.54
【アンコール】
・シューマン/飛翔
・シューマン/トロイメライ
Pf:イェルク・デームス
3.チャイコフスキー/幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」Op.32
4.ストラヴィンスキー/組曲「火の鳥」(1919年版)
【アンコール】
ラヴェル/「マ・メール・ロア」~妖精の園
大震災の影響で都内の音楽イベントも軒並み中止が続いている。行く予定だった演奏会では、12日の堀米ゆず子の室内楽、24日はヒラリー・ハーンのヴァイオリンリサイタル、今日20日はキルヒシュラーガーのメゾソプラノリサイタル…
職場の方に誘われていたこの演奏会が20日だったことを思い出し、問い合わせたら予定通り行われるという。何だか救われた思いで出かけた。
学生オケにとっての演奏会は、勉強の傍らひたすら練習を積み重ね、その成果を披露する一回きりの大切な機会だ。聴衆のセキュリティ問題など様々な声があったであろうなか下したこの結論を、生の音楽に飢えていた身としても心から歓迎したい。
1曲目は、慶應義塾の現役学生による新作初演。華やかでエネルギッシュな前半と後半の間に、叙情的な曲想が挿入された、オープニングを飾るのにふさわしい音楽。オケはとてもよく鳴り、筆致も鮮やか。中間部はよく歌っていた。
次はこの演奏会の目玉ともいえる、あのイェルク・デームスをソリストに迎えてのシューマンのコンチェルト。6年振りに聴くデームスのピアノは、前回と同様に得も言われぬ味わいを湛えた音色と語り口で最初から魅了した。スタインウェイのビアノなのに、ベーゼンドルファーか?と錯覚するような深く、薫り高く、どこか懐かしい響きがするのは、もちろんデームスのタッチの為せる技だろう。そのタッチは繊細で温かく、「歌」というより「語り」として音楽を伝えてくる。デームスならではのタッチや息遣いのタイミングが、味わいある朗読を聞いているように、物語りの世界の奥深くへと誘ってくれた。熟成のシューマンだ。
共演のオケも素晴らしかった。デームスの繊細なニュアンスのピアノをかき消すようなことは決してせず、きれいな弱音を主体に、しかもたっぷりと、或いは軽妙に表情をつけて名バックを勤めた。各パートの腕前もたいしたもの。冒頭のオーボエの夢見るテーマの見事なソロ(ファゴットとホルンのハーモニーにも拍手!)、第1楽章中間部の、ピアノと語り合うクラリネットの滑らかで表情豊かな調べ、第2楽章でピアノが伴奏に回り、チェロパートが歌う、甘く憧れに満ちた歌。
震災の混乱、原発事故の不安のなか来日を敢行し、学生達との幸福な共演というミッションを実現させたデームスには心から敬意を表したい。アンコール2曲目のトロイメライは涙腺に触れた。
後半の2曲も学生達の意気込みがストレートに伝わってくる充実した演奏だった。チャイコフスキーではとりわけ熱い思いが伝わってきた。弦のユニゾンで奏でられる熱いメロディが心に迫り、速いテンポでトゥッティで畳み掛けてくる場面のテンションの高さ、集中力、推進力は、各プレイヤーが自分のパートのパッセージをきちんと演奏し、かつアンサンブルとしての呼吸がぴったり合って初めて生まれるものだろう。オケの力量と指揮者の坂入さんの統率力に恐れ入った。ここでもクラリネットの長いソロの雄弁さや、フルートのソロイスティックな秀演など、ソロパートの健闘も光っていた。
「火の鳥」は、チャイコフスキーに比べると、精巧さや連鎖の効果などで、若さと情熱と腕の良さを持ってしても手強い相手だな、と感じる場面はあったが、熱い思いは十分に伝わる立派な演奏だった。アンコールで演奏されたマ・メール・ロアは前半の弦楽合奏が、優しく慈しみ深く何かをいたわるように奏でられ、それが心にジーンと染みてくる。後半、本来なら華やかな大団円的盛り上がりを見せるところを、包み込むような優しさで満たし、穏やかに遠く余韻を残して終わったのは、震災で被災した人達、更には、被災していなくても深い傷を負った私達への慰めと祈りの気持ちを伝えてくれたような気がする。
終演後、デームスのサイン会があった。演奏会がみんな中止されているなか、素敵な演奏を聴かせてもらえたことは、大きな慰め、喜びでした、とお礼を言ったが、この言葉はデームスだけでなく、オーケストラの学生達と、この演奏会を支えた人達みんなに伝えたい。
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~第2回演奏会~
ティアラこうとう大ホール
【曲目】
1.近谷直之/「Paradigm shift」(世界初演)
2.シューマン/ピアノ協奏曲イ短調Op.54
【アンコール】
・シューマン/飛翔
・シューマン/トロイメライ
Pf:イェルク・デームス
3.チャイコフスキー/幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」Op.32
4.ストラヴィンスキー/組曲「火の鳥」(1919年版)
【アンコール】
ラヴェル/「マ・メール・ロア」~妖精の園
大震災の影響で都内の音楽イベントも軒並み中止が続いている。行く予定だった演奏会では、12日の堀米ゆず子の室内楽、24日はヒラリー・ハーンのヴァイオリンリサイタル、今日20日はキルヒシュラーガーのメゾソプラノリサイタル…
職場の方に誘われていたこの演奏会が20日だったことを思い出し、問い合わせたら予定通り行われるという。何だか救われた思いで出かけた。
学生オケにとっての演奏会は、勉強の傍らひたすら練習を積み重ね、その成果を披露する一回きりの大切な機会だ。聴衆のセキュリティ問題など様々な声があったであろうなか下したこの結論を、生の音楽に飢えていた身としても心から歓迎したい。
1曲目は、慶應義塾の現役学生による新作初演。華やかでエネルギッシュな前半と後半の間に、叙情的な曲想が挿入された、オープニングを飾るのにふさわしい音楽。オケはとてもよく鳴り、筆致も鮮やか。中間部はよく歌っていた。
次はこの演奏会の目玉ともいえる、あのイェルク・デームスをソリストに迎えてのシューマンのコンチェルト。6年振りに聴くデームスのピアノは、前回と同様に得も言われぬ味わいを湛えた音色と語り口で最初から魅了した。スタインウェイのビアノなのに、ベーゼンドルファーか?と錯覚するような深く、薫り高く、どこか懐かしい響きがするのは、もちろんデームスのタッチの為せる技だろう。そのタッチは繊細で温かく、「歌」というより「語り」として音楽を伝えてくる。デームスならではのタッチや息遣いのタイミングが、味わいある朗読を聞いているように、物語りの世界の奥深くへと誘ってくれた。熟成のシューマンだ。
共演のオケも素晴らしかった。デームスの繊細なニュアンスのピアノをかき消すようなことは決してせず、きれいな弱音を主体に、しかもたっぷりと、或いは軽妙に表情をつけて名バックを勤めた。各パートの腕前もたいしたもの。冒頭のオーボエの夢見るテーマの見事なソロ(ファゴットとホルンのハーモニーにも拍手!)、第1楽章中間部の、ピアノと語り合うクラリネットの滑らかで表情豊かな調べ、第2楽章でピアノが伴奏に回り、チェロパートが歌う、甘く憧れに満ちた歌。
震災の混乱、原発事故の不安のなか来日を敢行し、学生達との幸福な共演というミッションを実現させたデームスには心から敬意を表したい。アンコール2曲目のトロイメライは涙腺に触れた。
後半の2曲も学生達の意気込みがストレートに伝わってくる充実した演奏だった。チャイコフスキーではとりわけ熱い思いが伝わってきた。弦のユニゾンで奏でられる熱いメロディが心に迫り、速いテンポでトゥッティで畳み掛けてくる場面のテンションの高さ、集中力、推進力は、各プレイヤーが自分のパートのパッセージをきちんと演奏し、かつアンサンブルとしての呼吸がぴったり合って初めて生まれるものだろう。オケの力量と指揮者の坂入さんの統率力に恐れ入った。ここでもクラリネットの長いソロの雄弁さや、フルートのソロイスティックな秀演など、ソロパートの健闘も光っていた。
「火の鳥」は、チャイコフスキーに比べると、精巧さや連鎖の効果などで、若さと情熱と腕の良さを持ってしても手強い相手だな、と感じる場面はあったが、熱い思いは十分に伝わる立派な演奏だった。アンコールで演奏されたマ・メール・ロアは前半の弦楽合奏が、優しく慈しみ深く何かをいたわるように奏でられ、それが心にジーンと染みてくる。後半、本来なら華やかな大団円的盛り上がりを見せるところを、包み込むような優しさで満たし、穏やかに遠く余韻を残して終わったのは、震災で被災した人達、更には、被災していなくても深い傷を負った私達への慰めと祈りの気持ちを伝えてくれたような気がする。
終演後、デームスのサイン会があった。演奏会がみんな中止されているなか、素敵な演奏を聴かせてもらえたことは、大きな慰め、喜びでした、とお礼を言ったが、この言葉はデームスだけでなく、オーケストラの学生達と、この演奏会を支えた人達みんなに伝えたい。