2007年1月25日(木)
今夜NHKで放送された「プロフェッショナル」では世界を舞台に活躍する指揮者 大野和士が特集された。大野和士は20年以上前に初めて聴いた時、持って生まれたような「煌めき」のある演奏に鮮烈なイメージを受けたのをはっきりと覚えていて、「すごい指揮者だな」と思って以来ずっと注目しているが、大野はその後メキメキと頭角を現し、活躍の場を全世界へと広げて行くこととなった。
番組で、その大野が指揮者として全身全霊を賭ける姿に、僕は45分間テレビの前に釘付けとなり、打ちのめされた。「ここまでやってしまうのがプロか!」厳しすぎるほどのプロの世界の一端を覗き、最早誰かを誉めるときに「あの人はプロだから…」なんて言葉を安易に口に出すことが出来なくなってしまった。
オケが予期せぬストに突入してしまい、ヘンツェの難曲オペラを大野とピアニストが急遽3日3晩徹夜で3台のピアノ用に編曲し、それにわずかな楽器を加えた前代未聞の編成で上演され公演を大成功へと導いた、今や伝説にもなっている「パリ・シャトレ座の奇跡」の話。
「トリスタンとイゾルデ」の公演で大野が新人のトリスタン役に注ぐ熱意、そして公演前最後のオーケストラとのリハーサル時に突然急病で倒れたイゾルデ役の歌手の代わりを合唱団のメンバーの中にまで探して奔走する姿。歌えるかも知れないという合唱団のメンバーと稽古をするも、やはり難しいとわかると、リハーサルで自らが指揮をしながらイゾルデのパートを全部歌い、トリスタン役を盛り立てる姿。
この2つの例を見ただけで、大野は普通誰が考えても不可能、出来るわけがない、と完全に諦めてしまうようなことでも、「そんなことはない!」と信じ、ついには成し遂げてしまう奇跡を起こす持ち主だということを思い知る。
しかしこれは「奇跡」なんていう言葉で片付けることはできない。1パーセントでも望みがあるなら、決してあきらめず、その1パーセントの可能性に賭けて、考えうる全てのものを総動員して成し遂げてしまう集中力と実行力、それに強い責任感があってこその話だ。
「決してあきらめずに努力し続ければきっと成功する」という成功者の話を聞いても「この人は成功したからそう言えるんだ」と思ってしまうことも多いが、大野の全てにおいてが生きるか死ぬかの真剣勝負、常に全身全霊を傾けて物事に打ち込む姿を見ると、「あきらめない」ということはどういうことなのかを思い知る。
大野がスタジオでピアノに向かいながら「椿姫」の前奏曲の始めの数小節を解説してくれた場面も圧巻だった。大野はこのオペラの中にもう完全に入ってしまい、全身で音楽を表現する。アクセントひとつ、ディミヌエンドひとつ、ハーモニーのわずかな変化といった譜面上の細かい指示全てから作曲者ヴェルディの意思を感じ取り、意味のある、魂の入った音楽として仕上げていく。こんなほんの数小節からもこれだけ膨大なメッセージを読み取り、全身でそれを感じ取って表現していく過程を見ると、何時間にも及ぶ全曲に大野がどれほどの時間とエネルギーを注いでいるか、想像に余りある。
もちろんここには大野の人並みはずれた音楽的な才能ということも忘れてはいけないが、大野和士の姿を見ていると「天才とは1パーセントの才能と99パーセントの努力である」という半ば使い古されてしまったようなエジソンの言葉が、にわかに真実の光を放ってくるのを感じる。
「まだまだ頑張れる。この程度で弱音を吐いて諦めたり、この程度の自分に満足していてはいけない!」と強烈な勇気とメッセージを大野和士からもらった気がした。そしてまた、今後の大野和士の益々の活躍を確信せずにはいられない。
今夜NHKで放送された「プロフェッショナル」では世界を舞台に活躍する指揮者 大野和士が特集された。大野和士は20年以上前に初めて聴いた時、持って生まれたような「煌めき」のある演奏に鮮烈なイメージを受けたのをはっきりと覚えていて、「すごい指揮者だな」と思って以来ずっと注目しているが、大野はその後メキメキと頭角を現し、活躍の場を全世界へと広げて行くこととなった。
番組で、その大野が指揮者として全身全霊を賭ける姿に、僕は45分間テレビの前に釘付けとなり、打ちのめされた。「ここまでやってしまうのがプロか!」厳しすぎるほどのプロの世界の一端を覗き、最早誰かを誉めるときに「あの人はプロだから…」なんて言葉を安易に口に出すことが出来なくなってしまった。
オケが予期せぬストに突入してしまい、ヘンツェの難曲オペラを大野とピアニストが急遽3日3晩徹夜で3台のピアノ用に編曲し、それにわずかな楽器を加えた前代未聞の編成で上演され公演を大成功へと導いた、今や伝説にもなっている「パリ・シャトレ座の奇跡」の話。
「トリスタンとイゾルデ」の公演で大野が新人のトリスタン役に注ぐ熱意、そして公演前最後のオーケストラとのリハーサル時に突然急病で倒れたイゾルデ役の歌手の代わりを合唱団のメンバーの中にまで探して奔走する姿。歌えるかも知れないという合唱団のメンバーと稽古をするも、やはり難しいとわかると、リハーサルで自らが指揮をしながらイゾルデのパートを全部歌い、トリスタン役を盛り立てる姿。
この2つの例を見ただけで、大野は普通誰が考えても不可能、出来るわけがない、と完全に諦めてしまうようなことでも、「そんなことはない!」と信じ、ついには成し遂げてしまう奇跡を起こす持ち主だということを思い知る。
しかしこれは「奇跡」なんていう言葉で片付けることはできない。1パーセントでも望みがあるなら、決してあきらめず、その1パーセントの可能性に賭けて、考えうる全てのものを総動員して成し遂げてしまう集中力と実行力、それに強い責任感があってこその話だ。
「決してあきらめずに努力し続ければきっと成功する」という成功者の話を聞いても「この人は成功したからそう言えるんだ」と思ってしまうことも多いが、大野の全てにおいてが生きるか死ぬかの真剣勝負、常に全身全霊を傾けて物事に打ち込む姿を見ると、「あきらめない」ということはどういうことなのかを思い知る。
大野がスタジオでピアノに向かいながら「椿姫」の前奏曲の始めの数小節を解説してくれた場面も圧巻だった。大野はこのオペラの中にもう完全に入ってしまい、全身で音楽を表現する。アクセントひとつ、ディミヌエンドひとつ、ハーモニーのわずかな変化といった譜面上の細かい指示全てから作曲者ヴェルディの意思を感じ取り、意味のある、魂の入った音楽として仕上げていく。こんなほんの数小節からもこれだけ膨大なメッセージを読み取り、全身でそれを感じ取って表現していく過程を見ると、何時間にも及ぶ全曲に大野がどれほどの時間とエネルギーを注いでいるか、想像に余りある。
もちろんここには大野の人並みはずれた音楽的な才能ということも忘れてはいけないが、大野和士の姿を見ていると「天才とは1パーセントの才能と99パーセントの努力である」という半ば使い古されてしまったようなエジソンの言葉が、にわかに真実の光を放ってくるのを感じる。
「まだまだ頑張れる。この程度で弱音を吐いて諦めたり、この程度の自分に満足していてはいけない!」と強烈な勇気とメッセージを大野和士からもらった気がした。そしてまた、今後の大野和士の益々の活躍を確信せずにはいられない。
東京フィルのオペラ・コンチェルタンテ・シリーズのプレトークで、ピアノを弾きながら、そのオペラに引き込んで下さったことを思い出します。