8月10日(日)一時~8月11日(月)一時
アーヘン→ケルン→ヴェッセリング
アーヘンから友人宅のあるヴェッセリングは、電車でケルン乗り換えで約2時間。その乗り換え駅のケルンで、マリーナさんと22年ぶりの再会を果たした!マリーナさんは22年前に知り合ったナポリ出身のイタリア人。その後何度か手紙のやり取りはしたが、もう20年近く音信不通状態だったのが、最近Facebookを通じてまたコンタクトができた。
今は家族とともにケルンに住んでいるマリーナさんにちょっとだけでも会いたい!ということで、30分ぐらいしかないがケルンでの乗り換え時間を利用して再会することになった。
マリーナさんとの再会 vediamoci con la famiglia di Marina
電車がケルン駅に到着し、ホームに降りたところにイタリアっぽい子供が2人、こちらを見ながら遠くに居るお母さんに何やら叫んでいた。すっかりお母さんになったマリーナさんと22年ぶりの再会!イタリア式にハグして、ほっぺにチュッチュ!
マリーナと僕以外はみんな初対面だけれど、南イタリア人持ち前の底抜けの明るさですぐに打ち解けた。マリーナさん達は、なんとヴェッセリング行きの乗り換えの電車に一緒に乗ってくれた。おかげで小一時間、マリーナさんとおしゃべりすることができた。
僕たちはこのあとマリーナさんの故郷のナポリを訪れる。ナポリはメチャ楽しい町だが「危ない町」としても名高いので、ナポリで気をつけることをいろいろ教えてもらった。会話はほぼイタリア語。僕のイタリア語は4年前の旅行以来殆ど使っていなかったが、旅行前の復習のおかげもあってか取りあえず通じる!マリーナさんはケルンでイタリア語の先生をやっているということで、言葉もたくさん教えてもらえた。
WESSELING
ヴェッセリングに着いてみんなで記念撮影。お互いにプレゼントを交換。マリーナさんは「旅のお供に!」と、お菓子や飲み物までたくさん用意してくれていた。本当にありがとう!今度はゆっくり会いましょう!Grazie e ci vediamo!
ヴェッセリングの駅には、今日お世話になるベルンハルトさんと奥さんのビルギットさんが迎えに来てくれていた。ドイツ式ハグで4年ぶりの再会を喜びあった!
ベルンハルトさんの家は駅から歩いてすぐ。家の前でうちの息子と同い年のハイコちゃんが出迎えてくれた。築6年になるが、相変わらず新築のようにキレイなおうち。前回リフォーム中だった屋根裏が、ハイコちゃんの部屋としてキレイに改装され、トイレとシャワーまでできていた。とにかく広くてキレイ!勉強机も恐ろしいほどキレイに片付いている! 僕たち4人が寝れるようにベッドまで用意してくれていた。
リビングのソファで飲み物を飲みながらの歓談は、ドイツの家庭にお招ばれしたときの最初の楽しい時間。うちの息子とハイコちゃんは言葉はほとんど通じていないが、なぜかとても気が合うようで、いつもとても仲良く過ごしている。今日もさっそく部屋のなかでサッカーを始めた。
そして夕食。ベルンハルトさんがバーベキューセットでいろんな種類のソーセージやスパイシーチキンを焼いてくれ…
ビルギットさんはパスタ料理に2種類のサラダを用意してくれ、豪華な食卓を7人で囲んだ。ビールはもちろんこの地方では外せないケルシュ(Kölsch)!デザートにはこれもビルギットさんお手製のいろんなベリーたっぷりのムース。どれもこれもみんな最高においしくて、日本からのお土産(今回は文房具系中心のリクエストあり)にもとても喜んでもらえ、おしゃべりしながら楽しい時間をゆっくりと過ごした。
この二人はますます気が合うようで、周りには何やら意味不明のコミュニケーションを交わして笑い合っていた。大人たちも夜更けまで楽しくおしゃべりを続けた。
翌朝、色んな種類の黒パン、焼きたての白パン、これまた種類豊富なジャムやマーマレード、ハム、サラミ、卵、チーズ等が食卓に並び、紅茶やコーヒーと共にゆっくりと朝食。とっても優雅な気分!
出発前、近所の大きなスーパーで小一時間お買い物。食品や雑貨などをまたたくさん買い込んでしまった。スーツケースに詰められるだろうか…?
今回もベルンハルトさんとビルギットさんの至れり尽くせりのおもてなしを受け、11時すぎ、みんなに見送ってもらい、胸にいっぱいの感謝を抱いてヴェッセリングを発った。本当にありがとう!Vielen, vielen Dank!!!
DARMSTADT
翌日は朝早くにフランクフルト空港からナポリへ飛ぶので、前日はフランクフルト周辺に宿を取る必要があり、それなら今までにまだ行ったことがなくて面白そうな町に行きたい!と探し、奥さんの希望でダルムシュタットに決めた。決め手となったのは、「マチルダの丘(Mathildenhöhe)」。この丘一帯に、ユーゲントシュティール(アールヌーボー)様式の建物がたくさんあり、なかには博物館にもなっているものもあって、公園として整備されているという。
ヴェッセリングからトラムでボンへ行き、そこからライン川に沿って南下。この旅行の最初の訪問地だったバッハラッハを再び通り、マインツ乗り換えの道のりで総計約3時間で、ダルムシュタット中央駅に到着した。
駅のすぐ近くのホテル(B&B Hotel Darmstadt)にチェックインしてから、早速マチルダの丘へ向かった。
マチルダの丘 Mathildenhöhe
マチルダの丘は中央駅のすぐそばのバス停からFの路線バスで15分ほどで着く(Mathildenhöheで下車)。バス通りから丘の方に伸びる住宅街の坂道を少し行くと、マチルダの丘のシンボル、特徴のある結婚記念塔が見えてきた。
「マチルダの丘」とは、ダルムシュタットの町の東にある丘に19世紀末に作られた、当時新しい物を標榜していたアーティスト達の居住区で、今ではこれらの建物のいくつかがギャラリーなどとして公開されている公園のこと。
ヘッセン=ダルムシュタット大公国の最後の大公となったエルンスト・ルートヴィヒは、ヘッセンの遅れた産業を独創的なアイディアで活性化させようと試みた。その試みで生まれたのが、この芸術家村(コロニー)である。ルートヴィヒ大公は1899年、ダルムシュタット市内の高台のマチルダの丘に芸術家村を設立し、7人のアーティストを招び寄せ、ここを彼らの活動拠点として提供した。
7人の芸術家達の中心となって活躍したのは、ウィーン分離派の代表者であり、ウィーンの「セセッション」の設計者としても有名なオーストリアの建築家、ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ。オルブリヒは芸術家村の殆どの建築物の設計を手掛け、また、ここで開かれた博覧会でも中心的な役割を担った。
マチルダの丘を訪れたのは月曜日だったため、建物はどこもみんな閉まっていることはわかっていたが、公園内に入ることができることは確認していたので、外観見学目的で訪れた。
「腕」の部分ある日時計は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・クロイケンスのプランで1918年に付けられたもの。盤面には12星座のモザイクが施されている。装飾や色合いがユーゲントシュティールっぽい美しさを持つ。
塔の下にはエントランスがある。扉の模様、その扉を三重に取り囲む枠の装飾、黒白の床面、どれもが芸術品。
階段を上がって、扉を取り囲む装飾を真近で眺める。これはエーデルワイスかな?
扉の小さなガラス窓から中を覗くと、こんな美しいモザイク画が見えた。これは、外の日時計を手がけたクロイケンスによる「接吻」"Der Kuss"という作品。結婚記念塔に相応しいモチーフではないか。入口にこんな素敵なモザイクがあるのをのぞき見してしまうと益々中に入りたくなってしまった。残念。。
結婚記念塔に付属して、やはりオルブリヒの設計した展覧会棟(Ausstellungsgebäude)がある。ここの2階テラスにあるあずま屋の天井にも細かいモザイクが施されていた。
展覧会棟のすぐ向かいには、金色に輝くドングリの形の塔を持つロシア教会が建つ。マチルダの丘の中で結婚記念塔と共に最も目を引く建物だが、こちらはここに芸術家コロニーができるより以前の19世紀末に建てられた。
2005~2008年に、110億ユーロをかけて大規模な改修工事が行われたということで、特に金色の部分は真新しい輝きを放っていた。
母なるロシアの大地から土を運び、その上に建てられたというこの教会の設計者はロシアの建築家、レオン・ベノワ。
池の底面にも模様が描かれているということを後から知った。ちゃんと見ておけばよかった。。
丘の南側へ下りる階段の下に設けられた休憩スペース。この壁もモザイクで飾られている。
クリックでモザイクを拡大
丘の南側には、アーティスト達の住居として建てられた家が点在している。これらの家は現在は研究所などとして使われたり、別荘として売りに出されているものも!
どの建物もユーゲントシュティールの趣きがあって見ものだ。その中のひとつ、これはオルブリヒが設計した大グリュッケルト・ハウス(Großes Glückert-Haus)。曲線を活かした玄関の造り、装飾や色合い、どれもが洗練されている。現在この建物には「ドイツ言語・文芸アカデミー(Deutschen Akademie für Sprache und Dichtung)」が入っている。
芸術家コロニーが形成される以前の19世紀から、この丘は大公のために英国風庭園として整備されていた。そこに、コロニーのアーティストが製作した、四季の風景や、喜び・苦悩など人間の様々な感情をモチーフにした彫刻やレリーフが点在する。
丘の一角には森が広がっていて、ツリーハウスなどがあり、自然体験型の遊び場になっていた。
マチルダの丘の芸術家コロニーは外観だけの見学だったが、たっぷり時間をかけて野外博物館の感覚で見て回った。建築としての面白さ、窓、ドア、壁、柵などのデザインや装飾など細かい部分の魅力、それを取り巻く自然、建物の中には入れなかったが、それでもここで2時間近く過ごした。ここは是非また訪れ、今度は美術館の展示も見たい!
ルイーゼン広場 Luisenplatz
マチルダの丘から、バスで来た道を徒歩でルイーゼン広場まで戻った。とても広~い広場で賑やか。いくつもの路線のトラムやバスが発着する交通の要衝でもある。一般の車は地下のトンネルを走り、広場は公共の交通機関だけが走る。
ルイーゼン広場は戦前までヘッセン=ダルムシュタット大公国の首都の中心としての役割を担っていたため、歴史的な価値がありそうな建築物で取り囲まれている。
ルイーゼン広場からトラムに乗って、15年来の友人ミルニャムさん達と一緒に夕食を食べることになっているレストランへ。
「ベンベルシェ(Bembelsche)」は、ローカルな雰囲気の漂うヘッセンの郷土料理のいい感じのレストラン。ヴィースバーデンに住むミルニャムさんとマインツに住むザビーネさん夫妻が、このお店を見つけて、僕たちのためにダルムシュタットまで来てくれた。
僕が頼んだのはヘッセンの名物、あつあつのチーズカツレツ(Kochkässchnitzel)のグリーンソース添え。これはウマイ!ワインはやはりこの地方でよく飲まれるアップルワインのレモネード割り。こちらは薄めたリンゴジュースという感じ。
7人でテラスのテーブルを囲み、おしゃべりやプレゼント交換をしながらの楽しい夕食。家族旅行のドイツ最後の地で、とても思い出に残る夜を過ごすことができた。
明日は一気に南イタリアのナポリへひとっ飛びだ!
イタリアを凝縮 ディープなナポリの街歩き ~その1~
アーヘン ~元祖世界遺産の大聖堂がある町~
ウィーン町中探訪 その2 ~ユーゲントシュティールの作品を求めて~
ヨーロッパ家族旅行2014
【参考にしたサイト】(全てドイツ語)
ロシア教会(ヘッセン州保護史跡案内)
ダルムシュタット・芸術家コロニー(Wikipedia)
ダルムシュタット市オフィシャル案内サイト
2014年8月19日に訪れたマチルダの丘(旅のレポート総合サイト)
ダルムシュタット白い塔
ヘッセン州カルチャーポータルサイト
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アーヘン→ケルン→ヴェッセリング
アーヘンから友人宅のあるヴェッセリングは、電車でケルン乗り換えで約2時間。その乗り換え駅のケルンで、マリーナさんと22年ぶりの再会を果たした!マリーナさんは22年前に知り合ったナポリ出身のイタリア人。その後何度か手紙のやり取りはしたが、もう20年近く音信不通状態だったのが、最近Facebookを通じてまたコンタクトができた。
今は家族とともにケルンに住んでいるマリーナさんにちょっとだけでも会いたい!ということで、30分ぐらいしかないがケルンでの乗り換え時間を利用して再会することになった。
マリーナさんとの再会 vediamoci con la famiglia di Marina
電車がケルン駅に到着し、ホームに降りたところにイタリアっぽい子供が2人、こちらを見ながら遠くに居るお母さんに何やら叫んでいた。すっかりお母さんになったマリーナさんと22年ぶりの再会!イタリア式にハグして、ほっぺにチュッチュ!
マリーナと僕以外はみんな初対面だけれど、南イタリア人持ち前の底抜けの明るさですぐに打ち解けた。マリーナさん達は、なんとヴェッセリング行きの乗り換えの電車に一緒に乗ってくれた。おかげで小一時間、マリーナさんとおしゃべりすることができた。
僕たちはこのあとマリーナさんの故郷のナポリを訪れる。ナポリはメチャ楽しい町だが「危ない町」としても名高いので、ナポリで気をつけることをいろいろ教えてもらった。会話はほぼイタリア語。僕のイタリア語は4年前の旅行以来殆ど使っていなかったが、旅行前の復習のおかげもあってか取りあえず通じる!マリーナさんはケルンでイタリア語の先生をやっているということで、言葉もたくさん教えてもらえた。
WESSELING
ヴェッセリングに着いてみんなで記念撮影。お互いにプレゼントを交換。マリーナさんは「旅のお供に!」と、お菓子や飲み物までたくさん用意してくれていた。本当にありがとう!今度はゆっくり会いましょう!Grazie e ci vediamo!
ヴェッセリングの駅には、今日お世話になるベルンハルトさんと奥さんのビルギットさんが迎えに来てくれていた。ドイツ式ハグで4年ぶりの再会を喜びあった!
ベルンハルトさんの家は駅から歩いてすぐ。家の前でうちの息子と同い年のハイコちゃんが出迎えてくれた。築6年になるが、相変わらず新築のようにキレイなおうち。前回リフォーム中だった屋根裏が、ハイコちゃんの部屋としてキレイに改装され、トイレとシャワーまでできていた。とにかく広くてキレイ!勉強机も恐ろしいほどキレイに片付いている! 僕たち4人が寝れるようにベッドまで用意してくれていた。
リビングのソファで飲み物を飲みながらの歓談は、ドイツの家庭にお招ばれしたときの最初の楽しい時間。うちの息子とハイコちゃんは言葉はほとんど通じていないが、なぜかとても気が合うようで、いつもとても仲良く過ごしている。今日もさっそく部屋のなかでサッカーを始めた。
そして夕食。ベルンハルトさんがバーベキューセットでいろんな種類のソーセージやスパイシーチキンを焼いてくれ…
ビルギットさんはパスタ料理に2種類のサラダを用意してくれ、豪華な食卓を7人で囲んだ。ビールはもちろんこの地方では外せないケルシュ(Kölsch)!デザートにはこれもビルギットさんお手製のいろんなベリーたっぷりのムース。どれもこれもみんな最高においしくて、日本からのお土産(今回は文房具系中心のリクエストあり)にもとても喜んでもらえ、おしゃべりしながら楽しい時間をゆっくりと過ごした。
この二人はますます気が合うようで、周りには何やら意味不明のコミュニケーションを交わして笑い合っていた。大人たちも夜更けまで楽しくおしゃべりを続けた。
翌朝、色んな種類の黒パン、焼きたての白パン、これまた種類豊富なジャムやマーマレード、ハム、サラミ、卵、チーズ等が食卓に並び、紅茶やコーヒーと共にゆっくりと朝食。とっても優雅な気分!
出発前、近所の大きなスーパーで小一時間お買い物。食品や雑貨などをまたたくさん買い込んでしまった。スーツケースに詰められるだろうか…?
今回もベルンハルトさんとビルギットさんの至れり尽くせりのおもてなしを受け、11時すぎ、みんなに見送ってもらい、胸にいっぱいの感謝を抱いてヴェッセリングを発った。本当にありがとう!Vielen, vielen Dank!!!
DARMSTADT
翌日は朝早くにフランクフルト空港からナポリへ飛ぶので、前日はフランクフルト周辺に宿を取る必要があり、それなら今までにまだ行ったことがなくて面白そうな町に行きたい!と探し、奥さんの希望でダルムシュタットに決めた。決め手となったのは、「マチルダの丘(Mathildenhöhe)」。この丘一帯に、ユーゲントシュティール(アールヌーボー)様式の建物がたくさんあり、なかには博物館にもなっているものもあって、公園として整備されているという。
ヴェッセリングからトラムでボンへ行き、そこからライン川に沿って南下。この旅行の最初の訪問地だったバッハラッハを再び通り、マインツ乗り換えの道のりで総計約3時間で、ダルムシュタット中央駅に到着した。
ダルムシュタット中央駅は1912年にオープン。列車の発着用ホームは11番線まであり、ヘッセン州で最大級の大きさを持つ。第一次大戦以前の姿を残す駅舎として、ドイツでも重要な建築物の一つに数えられている。 中央エントランスホールの天井は、白地に金による印象的な連続模様が施され、壁の窓格子などと共に美しい調和を成している。これは、この町を象徴するユーゲントシュティール様式によるもの。1998~2002年に大規模な改修工事が行われ、建設当時の美しい姿が蘇った。 |
駅のすぐ近くのホテル(B&B Hotel Darmstadt)にチェックインしてから、早速マチルダの丘へ向かった。
マチルダの丘 Mathildenhöhe
マチルダの丘は中央駅のすぐそばのバス停からFの路線バスで15分ほどで着く(Mathildenhöheで下車)。バス通りから丘の方に伸びる住宅街の坂道を少し行くと、マチルダの丘のシンボル、特徴のある結婚記念塔が見えてきた。
「マチルダの丘」とは、ダルムシュタットの町の東にある丘に19世紀末に作られた、当時新しい物を標榜していたアーティスト達の居住区で、今ではこれらの建物のいくつかがギャラリーなどとして公開されている公園のこと。
ヘッセン=ダルムシュタット大公国の最後の大公となったエルンスト・ルートヴィヒは、ヘッセンの遅れた産業を独創的なアイディアで活性化させようと試みた。その試みで生まれたのが、この芸術家村(コロニー)である。ルートヴィヒ大公は1899年、ダルムシュタット市内の高台のマチルダの丘に芸術家村を設立し、7人のアーティストを招び寄せ、ここを彼らの活動拠点として提供した。
7人の芸術家達の中心となって活躍したのは、ウィーン分離派の代表者であり、ウィーンの「セセッション」の設計者としても有名なオーストリアの建築家、ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ。オルブリヒは芸術家村の殆どの建築物の設計を手掛け、また、ここで開かれた博覧会でも中心的な役割を担った。
マチルダの丘を訪れたのは月曜日だったため、建物はどこもみんな閉まっていることはわかっていたが、公園内に入ることができることは確認していたので、外観見学目的で訪れた。
ダルムシュタットの町のシンボルともなっているこの建造物は結婚記念塔(Hochzeitsturm)。 ルートヴィッヒ大公とエレオノーレとの結婚を記念して、オルブリヒの設計により1908年に作られた。塔の先端までの高さは48.5メートル。 特徴ある先端部分は、結婚式の際の大公の宣誓の手をイメージしているそうで、「5本指の塔」とも呼ばれている。ウィーンのセセッションでユニークな形の屋根を考案したオルブリヒの一風変わったアイディアがここでも生かされている。 |
「腕」の部分ある日時計は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・クロイケンスのプランで1918年に付けられたもの。盤面には12星座のモザイクが施されている。装飾や色合いがユーゲントシュティールっぽい美しさを持つ。
塔の下にはエントランスがある。扉の模様、その扉を三重に取り囲む枠の装飾、黒白の床面、どれもが芸術品。
階段を上がって、扉を取り囲む装飾を真近で眺める。これはエーデルワイスかな?
扉の小さなガラス窓から中を覗くと、こんな美しいモザイク画が見えた。これは、外の日時計を手がけたクロイケンスによる「接吻」"Der Kuss"という作品。結婚記念塔に相応しいモチーフではないか。入口にこんな素敵なモザイクがあるのをのぞき見してしまうと益々中に入りたくなってしまった。残念。。
結婚記念塔に付属して、やはりオルブリヒの設計した展覧会棟(Ausstellungsgebäude)がある。ここの2階テラスにあるあずま屋の天井にも細かいモザイクが施されていた。
展覧会棟のすぐ向かいには、金色に輝くドングリの形の塔を持つロシア教会が建つ。マチルダの丘の中で結婚記念塔と共に最も目を引く建物だが、こちらはここに芸術家コロニーができるより以前の19世紀末に建てられた。
2005~2008年に、110億ユーロをかけて大規模な改修工事が行われたということで、特に金色の部分は真新しい輝きを放っていた。
母なるロシアの大地から土を運び、その上に建てられたというこの教会の設計者はロシアの建築家、レオン・ベノワ。
建築自体はユーゲントシュティールとは関係なく、16世紀のロシア正教会のオーソドックスな様式を具えていて、今でも伝統に則ったミサが執り行われている。 だが1914年、マチルダの丘で開催された芸術家コロニーの第3回博覧会を機に、コロニーの創設アーティストの一人、アルビン・ミュラーの設計により、この教会の前にユーゲントシュティール様式の池が造られた。 その池の水面にロシアンチャペルが映し出されると、視覚に訴えてくるイメージが一変して、何か新しさを感じるから不思議だ。 |
池の底面にも模様が描かれているということを後から知った。ちゃんと見ておけばよかった。。
大公の名を冠したエルンスト=ルートヴィヒ=ハウスもオルブリヒの設計。ここはアーティスト達の共同のアトリエとして建てられ、展示スペースと8つの工房を備えていた。 1980年代終わりに改修が行われたあと、芸術家コロニー美術館としてオープンした。 ベージュをベースにサファイアブルーの石材がはめ込まれた階段と、純白の壁に植物をあしらった金の文様がモダンな感じで調和しているところに、古めかしい天使像が両側にすまして立つアンバランスが、ユーゲントシュティールらしくて面白い。 |
丘の南側へ下りる階段の下に設けられた休憩スペース。この壁もモザイクで飾られている。
クリックでモザイクを拡大
丘の南側には、アーティスト達の住居として建てられた家が点在している。これらの家は現在は研究所などとして使われたり、別荘として売りに出されているものも!
どの建物もユーゲントシュティールの趣きがあって見ものだ。その中のひとつ、これはオルブリヒが設計した大グリュッケルト・ハウス(Großes Glückert-Haus)。曲線を活かした玄関の造り、装飾や色合い、どれもが洗練されている。現在この建物には「ドイツ言語・文芸アカデミー(Deutschen Akademie für Sprache und Dichtung)」が入っている。
芸術家コロニーが形成される以前の19世紀から、この丘は大公のために英国風庭園として整備されていた。そこに、コロニーのアーティストが製作した、四季の風景や、喜び・苦悩など人間の様々な感情をモチーフにした彫刻やレリーフが点在する。
丘の一角には森が広がっていて、ツリーハウスなどがあり、自然体験型の遊び場になっていた。
マチルダの丘の芸術家コロニーは外観だけの見学だったが、たっぷり時間をかけて野外博物館の感覚で見て回った。建築としての面白さ、窓、ドア、壁、柵などのデザインや装飾など細かい部分の魅力、それを取り巻く自然、建物の中には入れなかったが、それでもここで2時間近く過ごした。ここは是非また訪れ、今度は美術館の展示も見たい!
ルイーゼン広場 Luisenplatz
マチルダの丘から、バスで来た道を徒歩でルイーゼン広場まで戻った。とても広~い広場で賑やか。いくつもの路線のトラムやバスが発着する交通の要衝でもある。一般の車は地下のトンネルを走り、広場は公共の交通機関だけが走る。
ルイーゼン広場は戦前までヘッセン=ダルムシュタット大公国の首都の中心としての役割を担っていたため、歴史的な価値がありそうな建築物で取り囲まれている。
その中央には大公ルードヴィヒにちなんだモニュメント、ルードヴィヒ記念塔(Ludwigsmonument)が建つ。 広場の近くに建つこの「白い塔(Weißer Turm)」は、中世、町を取り囲む城壁の見張り塔として建てられ、町のシンボルとなっていたが、第2次大戦の空襲で破壊され、戦後再建された。高さは約40メートル。スマートでスッキリとした美しい塔だ。 今では塔の周辺は賑やかなショッピング街になっていて、カウフホーフなど大きなデパートもある。僕たちもここで文房具や台所用品などの買い物を楽しんだ。 |
ルイーゼン広場からトラムに乗って、15年来の友人ミルニャムさん達と一緒に夕食を食べることになっているレストランへ。
「ベンベルシェ(Bembelsche)」は、ローカルな雰囲気の漂うヘッセンの郷土料理のいい感じのレストラン。ヴィースバーデンに住むミルニャムさんとマインツに住むザビーネさん夫妻が、このお店を見つけて、僕たちのためにダルムシュタットまで来てくれた。
僕が頼んだのはヘッセンの名物、あつあつのチーズカツレツ(Kochkässchnitzel)のグリーンソース添え。これはウマイ!ワインはやはりこの地方でよく飲まれるアップルワインのレモネード割り。こちらは薄めたリンゴジュースという感じ。
7人でテラスのテーブルを囲み、おしゃべりやプレゼント交換をしながらの楽しい夕食。家族旅行のドイツ最後の地で、とても思い出に残る夜を過ごすことができた。
明日は一気に南イタリアのナポリへひとっ飛びだ!
イタリアを凝縮 ディープなナポリの街歩き ~その1~
アーヘン ~元祖世界遺産の大聖堂がある町~
ウィーン町中探訪 その2 ~ユーゲントシュティールの作品を求めて~
ヨーロッパ家族旅行2014
【参考にしたサイト】(全てドイツ語)
ロシア教会(ヘッセン州保護史跡案内)
ダルムシュタット・芸術家コロニー(Wikipedia)
ダルムシュタット市オフィシャル案内サイト
2014年8月19日に訪れたマチルダの丘(旅のレポート総合サイト)
ダルムシュタット白い塔
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