5月26日(水)パユ×ピノック×マンソン バッハ/フルートソナタ・セレクション 
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三鷹市芸術文化センター風のホール
【曲目】
1. バッハ/フルート・ソナタ ホ短調BWV1034
2.ヘンデル / シャコンヌと変奏 ト長調 HWV435
3.テレマン/無伴奏フルートのための12の幻想曲~第9曲ホ長調TWV40:10
4.バッハ /フルート・ソナタ ロ短調 BWV1030
5.バッハ/フルート・ソナタ 変ホ長調BWV1031
6.バッハ/無伴奏チェロ組曲 第1番ト長調BWV1007
7.バッハ/フルート・ソナタ ホ長調 BWV1035
【アンコール】
1. バッハ/管弦楽組曲第2番~終曲
2.ヴィヴァルディ/フルート協奏曲Op.10~第3楽章
【演 奏】
Fl:エマニュエル・パユ/Cem.トレヴァー・ピノック/Vc:ジョナサン・マンソン(1,6,7,e-1,2)
これまでアンサンブルかオーケストラの中でしか聴いたことがなかったパユのソロを、バロックの名曲の数々でたっぷりと楽しんだ。そしてパユのフルートの本当の魅力を知ることができた。
パユの大きな魅力のひとつは得も言われぬデリケートさだ。音が発せられる時のふわっとした軽やかな仕草、伸ばしている音の優しく撫でるようなたたずまい、そしてその音は夕陽の空の茜色が時間の流れの中で徐々に薄まるように消えて行く。この一音だけですでにひとつの芸術品だが、こうした音が有機的に繊細につながり、自由自在に歌い、舞い、駆け抜ける。音の変化があまりにデリケートであるために、音量の変化が難しいチェンバロの音に、ピノックという名手を持ってしても違和感を覚えることがある。これをフォルテピアノでやるともっとしっくりくる気がした。
更なるパユの魅力は淀みのない息遣い。速いパッセージがなんと滑らかに自然に演奏されることか。フルートのことはあまり詳しくないが、ここにはパユならではの高度な息のコントロールがあるのではと思う。それは16分音符が連続するような速いフレーズでも、殆ど息の音をさせず、しかもそのための間も空けることなく瞬時にブレスするテクニックだ。このためブレスで音楽が全く途切れない。また、緩やかな音楽でも、フレージングでほんの一瞬の間をとるだけで、大きなブレスを取らないので、音が遠くへ遠くへと伸びて行って無限の奥行きを感じさせる。
パユはヴィヴラートを殆んど、或いは全く付けずに演奏していたが、今夜会場で買った「20世紀フランスのフルート音楽」のCDでは普通にヴィヴラートがついている。ということは今夜のノンヴィヴラートは演目や共演者に演奏スタイルを合わせたということなのだろうが、これがピリオド奏法というくくりには入りきらないパユ独自の世界を作っていた。音楽や共演者によって、このように演奏法を切り替えて、魅力的な独自の世界に聴衆を引き込んでしまうのもパユならではの才能に違いない。
そんなパユが生み出す演奏は本当に天上的な至福な時間をもたらしてくれる。バッハのソナタはどれもよかったが、なかでも楽園を戯れているような変ホ長調のソナタ(偽作?)と、優雅で穏やかなな衣を纏ったホ長調のソナタがとりわけ素晴らしかった。
「チェンバロに違和感さえ覚えた」なんて書いてしまったが、ピノックとマンソンは共演者としてもちろん申し分ない。マンソンも加わったアンサンブルは更なる奥行きと振幅が加わり、心躍るシーンを届けてくれた。
ピノックがソロで弾いたヘンデルのシャコンヌは、相変わらずの活きの良さと推進力に富んだ演奏で「ピノック健在」を印象づけ、マンソンはバッハの無伴奏でウキウキするような実に自然体の演奏を聴かせてくれた。
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三鷹市芸術文化センター風のホール
【曲目】
1. バッハ/フルート・ソナタ ホ短調BWV1034
2.ヘンデル / シャコンヌと変奏 ト長調 HWV435
3.テレマン/無伴奏フルートのための12の幻想曲~第9曲ホ長調TWV40:10
4.バッハ /フルート・ソナタ ロ短調 BWV1030
5.バッハ/フルート・ソナタ 変ホ長調BWV1031
6.バッハ/無伴奏チェロ組曲 第1番ト長調BWV1007
7.バッハ/フルート・ソナタ ホ長調 BWV1035
【アンコール】
1. バッハ/管弦楽組曲第2番~終曲
2.ヴィヴァルディ/フルート協奏曲Op.10~第3楽章
【演 奏】
Fl:エマニュエル・パユ/Cem.トレヴァー・ピノック/Vc:ジョナサン・マンソン(1,6,7,e-1,2)
これまでアンサンブルかオーケストラの中でしか聴いたことがなかったパユのソロを、バロックの名曲の数々でたっぷりと楽しんだ。そしてパユのフルートの本当の魅力を知ることができた。
パユの大きな魅力のひとつは得も言われぬデリケートさだ。音が発せられる時のふわっとした軽やかな仕草、伸ばしている音の優しく撫でるようなたたずまい、そしてその音は夕陽の空の茜色が時間の流れの中で徐々に薄まるように消えて行く。この一音だけですでにひとつの芸術品だが、こうした音が有機的に繊細につながり、自由自在に歌い、舞い、駆け抜ける。音の変化があまりにデリケートであるために、音量の変化が難しいチェンバロの音に、ピノックという名手を持ってしても違和感を覚えることがある。これをフォルテピアノでやるともっとしっくりくる気がした。
更なるパユの魅力は淀みのない息遣い。速いパッセージがなんと滑らかに自然に演奏されることか。フルートのことはあまり詳しくないが、ここにはパユならではの高度な息のコントロールがあるのではと思う。それは16分音符が連続するような速いフレーズでも、殆ど息の音をさせず、しかもそのための間も空けることなく瞬時にブレスするテクニックだ。このためブレスで音楽が全く途切れない。また、緩やかな音楽でも、フレージングでほんの一瞬の間をとるだけで、大きなブレスを取らないので、音が遠くへ遠くへと伸びて行って無限の奥行きを感じさせる。
パユはヴィヴラートを殆んど、或いは全く付けずに演奏していたが、今夜会場で買った「20世紀フランスのフルート音楽」のCDでは普通にヴィヴラートがついている。ということは今夜のノンヴィヴラートは演目や共演者に演奏スタイルを合わせたということなのだろうが、これがピリオド奏法というくくりには入りきらないパユ独自の世界を作っていた。音楽や共演者によって、このように演奏法を切り替えて、魅力的な独自の世界に聴衆を引き込んでしまうのもパユならではの才能に違いない。
そんなパユが生み出す演奏は本当に天上的な至福な時間をもたらしてくれる。バッハのソナタはどれもよかったが、なかでも楽園を戯れているような変ホ長調のソナタ(偽作?)と、優雅で穏やかなな衣を纏ったホ長調のソナタがとりわけ素晴らしかった。
「チェンバロに違和感さえ覚えた」なんて書いてしまったが、ピノックとマンソンは共演者としてもちろん申し分ない。マンソンも加わったアンサンブルは更なる奥行きと振幅が加わり、心躍るシーンを届けてくれた。
ピノックがソロで弾いたヘンデルのシャコンヌは、相変わらずの活きの良さと推進力に富んだ演奏で「ピノック健在」を印象づけ、マンソンはバッハの無伴奏でウキウキするような実に自然体の演奏を聴かせてくれた。