11月22日(火)アレクサンダー・コブリン(Pf)/ゾーラン・ヤコブチッチ(Vla)/萩原理恵(A)
~ドイツの至宝の名曲選~
ヤマハホール
【曲目】
1. ブラームス/2つの歌 Op.91(アルト、ヴィオラとピアノのための)
2.ブラームス/ヴィオラ・ソナタ 第1番 へ短調 Op.120-1
3.シューマン/アラベスク ハ長調 Op.18
4.シューマン/ピアノ・ソナタ 第1番 嬰へ短調 Op.11
【アンコール】
1.シューマン/幻想小曲集~なぜ
2.シューマン/幻想小曲集~飛翔
ピアニストのコブリンは、ずっと前にテレビで何かのコンクールのドキュメンタリーに出ていた時の、クールで颯爽とした姿がなぜか印象に残っていて、今回の演奏会の案内を見てすぐに「あ、コブリン!」と思った。コブリンがどんなピアニストか、ちゃんと知っているわけではなかったが、このコンサートに行く気になったのは、歌やヴィオラとの共演もある多彩なプログラムに引かれたため。
前半は、そうしたコブリンのFriendsとの共演のステージ。最初のブラームスの歌曲は、ヴィオラのオブリガート付きの魅力的な作品。前奏で奏でられたヤコブチッチのヴィオラの音色が、人肌の温もりのある深い響きで引き込まれる。萩原さんの歌は、とても濃厚で熱い情感が伝わってきたが、ホールの響きのせいもあるのか、ドイツ語の発音がこもって聞こえ、言葉が殆んど聞き取れなかった。歌詞対訳もなかったので、歌の中身に関しては消化不良。
続いてヤコブチッチ氏のヴィオラ・ソロ。さっきのオブリガートでも十分に聴かせてくれた温もりと深い味わいで、ブラームス最晩年の「歌」をたっぷりと奏でた。ただ、一つ一つのフレーズは深い味わいを湛えているのだが、フレーズ同士が長い息で大きくつながってこない気がした。また、微妙な音程のズレが少々気になった。対して、コブリンのピアノはまさに当意即妙にヴィオラに反応し、影となってぴたりと寄り添ったかと思えば、俄然エネルギー全開でヴィオラとのバトルに打って出るといった活躍ぶり。完璧とも言えるコブリンのピアノと、人情味が滲むヤコブチッチの奏でる歌との間にある種の毛色の違いを感じた。
後半は、2人の共演者は出番を終えて客席でコブリンを応援。ステージはコブリンの独壇場となった。当日プログラムに追加が発表となったアラベスク、テンポを大胆に揺らしつつ、表情や色合いも巧みに変化させ、フレーズごとに様々な調子で語り、歌い、ささやく。この間合いや色合いは、全て計算され尽くし、寸分の狂いもなく音が発せられているいう感じ。最後のアリオーソ風のメロディーが、いかにも切なく憧れに満ちて歌われて素晴らしかったが、そこに至るまでが余りにも多彩で表情豊かだったことが、反ってこの最後の聴かせどころの効果を薄めてしまったようにも思った。
続いてシューマンのソナタはまさに白眉の演奏!コブリンは各声部を明瞭に弾き分け、立体的で深い奥行きのある構造を形作ってゆく。そこには完璧な設計図が存在しているようで、どんなにテンポを揺らしても免震構造の建築物のように、決して崩れることがなく絶妙なバランスを保ち続ける。第3楽章など、曲芸を見ているようにスリリングだったが、決して落ちたりはしない。磨きぬかれた音の美しさも絶品。第2楽章では、音たちが宝石のようにキラキラと輝いていた。第4楽章でのテンションの上げ方も見事で、輝かしい強音がホールに響き渡った。コブリンの演奏は、体操などで超ウルトラCの技が見事に決まるのを見ているような、勢いと調和と美しさがある。
今夜の演奏会でコブリンの魅力に開眼した。バッハ、ベートーヴェン、プロコフィエフ、現代の作品など、コブリンの演奏で聴いてみたい曲が次々に浮かんできた。
~ドイツの至宝の名曲選~
ヤマハホール
【曲目】
1. ブラームス/2つの歌 Op.91(アルト、ヴィオラとピアノのための)
2.ブラームス/ヴィオラ・ソナタ 第1番 へ短調 Op.120-1
3.シューマン/アラベスク ハ長調 Op.18
4.シューマン/ピアノ・ソナタ 第1番 嬰へ短調 Op.11
【アンコール】
1.シューマン/幻想小曲集~なぜ
2.シューマン/幻想小曲集~飛翔
ピアニストのコブリンは、ずっと前にテレビで何かのコンクールのドキュメンタリーに出ていた時の、クールで颯爽とした姿がなぜか印象に残っていて、今回の演奏会の案内を見てすぐに「あ、コブリン!」と思った。コブリンがどんなピアニストか、ちゃんと知っているわけではなかったが、このコンサートに行く気になったのは、歌やヴィオラとの共演もある多彩なプログラムに引かれたため。
前半は、そうしたコブリンのFriendsとの共演のステージ。最初のブラームスの歌曲は、ヴィオラのオブリガート付きの魅力的な作品。前奏で奏でられたヤコブチッチのヴィオラの音色が、人肌の温もりのある深い響きで引き込まれる。萩原さんの歌は、とても濃厚で熱い情感が伝わってきたが、ホールの響きのせいもあるのか、ドイツ語の発音がこもって聞こえ、言葉が殆んど聞き取れなかった。歌詞対訳もなかったので、歌の中身に関しては消化不良。
続いてヤコブチッチ氏のヴィオラ・ソロ。さっきのオブリガートでも十分に聴かせてくれた温もりと深い味わいで、ブラームス最晩年の「歌」をたっぷりと奏でた。ただ、一つ一つのフレーズは深い味わいを湛えているのだが、フレーズ同士が長い息で大きくつながってこない気がした。また、微妙な音程のズレが少々気になった。対して、コブリンのピアノはまさに当意即妙にヴィオラに反応し、影となってぴたりと寄り添ったかと思えば、俄然エネルギー全開でヴィオラとのバトルに打って出るといった活躍ぶり。完璧とも言えるコブリンのピアノと、人情味が滲むヤコブチッチの奏でる歌との間にある種の毛色の違いを感じた。
後半は、2人の共演者は出番を終えて客席でコブリンを応援。ステージはコブリンの独壇場となった。当日プログラムに追加が発表となったアラベスク、テンポを大胆に揺らしつつ、表情や色合いも巧みに変化させ、フレーズごとに様々な調子で語り、歌い、ささやく。この間合いや色合いは、全て計算され尽くし、寸分の狂いもなく音が発せられているいう感じ。最後のアリオーソ風のメロディーが、いかにも切なく憧れに満ちて歌われて素晴らしかったが、そこに至るまでが余りにも多彩で表情豊かだったことが、反ってこの最後の聴かせどころの効果を薄めてしまったようにも思った。
続いてシューマンのソナタはまさに白眉の演奏!コブリンは各声部を明瞭に弾き分け、立体的で深い奥行きのある構造を形作ってゆく。そこには完璧な設計図が存在しているようで、どんなにテンポを揺らしても免震構造の建築物のように、決して崩れることがなく絶妙なバランスを保ち続ける。第3楽章など、曲芸を見ているようにスリリングだったが、決して落ちたりはしない。磨きぬかれた音の美しさも絶品。第2楽章では、音たちが宝石のようにキラキラと輝いていた。第4楽章でのテンションの上げ方も見事で、輝かしい強音がホールに響き渡った。コブリンの演奏は、体操などで超ウルトラCの技が見事に決まるのを見ているような、勢いと調和と美しさがある。
今夜の演奏会でコブリンの魅力に開眼した。バッハ、ベートーヴェン、プロコフィエフ、現代の作品など、コブリンの演奏で聴いてみたい曲が次々に浮かんできた。