2月6日(金)沼尻竜典 指揮 桐朋学園オーケストラ
オーケストラの夕べ ~三善晃先生追悼コンサート~
東京オペラシティコンサートホールタケミツメモリアル
【曲目】
1.ピアノ協奏曲(1962)
Pf:石井楓子
2.ヴァイオリン協奏曲(1965)
Vn:豊嶋泰嗣
3.焉歌・波摘み(1998)
4.響紋 童声合唱と管弦楽のための(1984)
合唱:桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室 桐朋女子中・高等学校音楽部合唱班
一昨年の10月に80歳で逝去した作曲家・三善晃と深い関わりのあった桐朋学園の主催による追悼コンサートを聴いた。曲目は、前半に20~30代に書かれた2つのコンチェルト、後半は作曲家としても円熟の頂点を迎えていた50~60代の大規模な作品が2つという、20年以上の歳月を隔てた2曲ずつが配された4曲構成。
今夜の演奏会を聴いて改めて感じたのは、年代によって作風の変化はあるが、三善晃という作曲家は聴衆におもねることも、また奇を衒うこともなく、常に自らの明確な美意識、揺らぎない信念を持ち、それを音楽で伝えた作曲家であるということ。
前半の2曲は若い三善の鋭くて新鮮な感性が迸る情熱溢れた秀作。純粋な器楽作品として美しく結晶している。とりわけ最初のピアノ協奏曲には強い感銘を受けた。ピアノとオーケストラのやり取りには、緊迫した応酬もあれば、嬉々とした戯れも伝わってきた。
沼尻さんが指揮する桐朋の学生オケの透明でシャープな切れ味の瑞々しい演奏、石井さんの確信に満ちた鮮烈なピアノソロも素晴らしかった。石井さんはこの難曲を完全に手中に収め、オケとの応酬の場面でも時おり楽しそうな表情さえ浮かべ、オーケストラと渡り合う姿は実に清々しく頼もしかった。
2曲目のヴァイオリン協奏曲でソロを受け持った豊嶋さんは、急病の竹澤恭子さんのピンチヒッター。普段慣れ親しんでいるとは言えないはずの曲で代役を無難のこなすというレベルを超え、音楽に託されたメッセージをはっきりと伝えていた。
前半の颯爽としたドライな作品から20年以上の歳月を経て書かれた後半の2曲は、三善晃の人間臭さが濃厚に作品に投影され、魂の叫びとも言える熱い思いが押し寄せてくる圧倒的な音楽で、作曲家・三善晃の神髄を表す、世界中に訴えかけ得る傑作であることを再認識した。
作曲年代としては10年以上も前後する2つの作品が作曲順を逆にして続けて演奏され、一つの大きな作品のように感じられた。どちらの曲からも作曲者が作品に託した「怒り」「痛み」「生への執念」が、凄まじい塊となって押し寄せてきた。
「焉歌」は、撃沈された船に乗っていた疎開児童たちへのレクイエムとして書かれたという背景があるが、この曲に「救済」はない。曲の最後で誰もが知っている「ねんねんころりよ…」という子守唄のメロディーがヴィオラのユニゾンで奏でられるが、これが悲しみや怨みを一層際立たせた。
静かに曲が終わって立ち現れたのが、子供たちのアカペラ斉唱による「かごめかごめ」。2つの作品が見事に結び合わされた瞬間だ。海の底に沈んだ子供たちの魂が永遠の闇の中をさまようシーンが浮かび上がった。執拗なまでに情け容赦ないオーケストラの攻撃的な咆哮とは別の次元にいるような子供たちの声。たった4つの音しか使っていない単純な童歌が、いかにリアルな存在感を放つかということを、三善はオーケストラとの対比という形で見事に表現している。
全身全霊を投入した沼尻/桐朋オケの入魂の演奏には身震いを覚えるほどだったし、こちらを静かにじっと見つめている大勢の子供たちの「眼」が「ぼくたちは生きているよ」と訴えているようにも聴こえた児童合唱も素晴らしく、異界へ連れて来られたような感覚。
本来この「響紋」は、三善の「レクイエム」、「詩篇」と併せて3部作という扱いになっているが、今夜の「焉歌」と組み合わせたバージョンは、演奏時間の点からも三善作品の上演の機会を増やせそう。想像を絶する陰惨な出来事が続く今の時代にこそ、三善のこのような音楽が訴える力を持つのではないだろうか。後半のプログラムを美智子さまと共に聴いていた小澤征爾さんあたりが呼びかけて、世界に向けてもっとこの三善ワールドを発信できたら素晴らしい。
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オーケストラの夕べ ~三善晃先生追悼コンサート~
東京オペラシティコンサートホールタケミツメモリアル
【曲目】
1.ピアノ協奏曲(1962)
Pf:石井楓子
2.ヴァイオリン協奏曲(1965)
Vn:豊嶋泰嗣
3.焉歌・波摘み(1998)
4.響紋 童声合唱と管弦楽のための(1984)
合唱:桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室 桐朋女子中・高等学校音楽部合唱班
一昨年の10月に80歳で逝去した作曲家・三善晃と深い関わりのあった桐朋学園の主催による追悼コンサートを聴いた。曲目は、前半に20~30代に書かれた2つのコンチェルト、後半は作曲家としても円熟の頂点を迎えていた50~60代の大規模な作品が2つという、20年以上の歳月を隔てた2曲ずつが配された4曲構成。
今夜の演奏会を聴いて改めて感じたのは、年代によって作風の変化はあるが、三善晃という作曲家は聴衆におもねることも、また奇を衒うこともなく、常に自らの明確な美意識、揺らぎない信念を持ち、それを音楽で伝えた作曲家であるということ。
前半の2曲は若い三善の鋭くて新鮮な感性が迸る情熱溢れた秀作。純粋な器楽作品として美しく結晶している。とりわけ最初のピアノ協奏曲には強い感銘を受けた。ピアノとオーケストラのやり取りには、緊迫した応酬もあれば、嬉々とした戯れも伝わってきた。
沼尻さんが指揮する桐朋の学生オケの透明でシャープな切れ味の瑞々しい演奏、石井さんの確信に満ちた鮮烈なピアノソロも素晴らしかった。石井さんはこの難曲を完全に手中に収め、オケとの応酬の場面でも時おり楽しそうな表情さえ浮かべ、オーケストラと渡り合う姿は実に清々しく頼もしかった。
2曲目のヴァイオリン協奏曲でソロを受け持った豊嶋さんは、急病の竹澤恭子さんのピンチヒッター。普段慣れ親しんでいるとは言えないはずの曲で代役を無難のこなすというレベルを超え、音楽に託されたメッセージをはっきりと伝えていた。
前半の颯爽としたドライな作品から20年以上の歳月を経て書かれた後半の2曲は、三善晃の人間臭さが濃厚に作品に投影され、魂の叫びとも言える熱い思いが押し寄せてくる圧倒的な音楽で、作曲家・三善晃の神髄を表す、世界中に訴えかけ得る傑作であることを再認識した。
作曲年代としては10年以上も前後する2つの作品が作曲順を逆にして続けて演奏され、一つの大きな作品のように感じられた。どちらの曲からも作曲者が作品に託した「怒り」「痛み」「生への執念」が、凄まじい塊となって押し寄せてきた。
「焉歌」は、撃沈された船に乗っていた疎開児童たちへのレクイエムとして書かれたという背景があるが、この曲に「救済」はない。曲の最後で誰もが知っている「ねんねんころりよ…」という子守唄のメロディーがヴィオラのユニゾンで奏でられるが、これが悲しみや怨みを一層際立たせた。
静かに曲が終わって立ち現れたのが、子供たちのアカペラ斉唱による「かごめかごめ」。2つの作品が見事に結び合わされた瞬間だ。海の底に沈んだ子供たちの魂が永遠の闇の中をさまようシーンが浮かび上がった。執拗なまでに情け容赦ないオーケストラの攻撃的な咆哮とは別の次元にいるような子供たちの声。たった4つの音しか使っていない単純な童歌が、いかにリアルな存在感を放つかということを、三善はオーケストラとの対比という形で見事に表現している。
全身全霊を投入した沼尻/桐朋オケの入魂の演奏には身震いを覚えるほどだったし、こちらを静かにじっと見つめている大勢の子供たちの「眼」が「ぼくたちは生きているよ」と訴えているようにも聴こえた児童合唱も素晴らしく、異界へ連れて来られたような感覚。
本来この「響紋」は、三善の「レクイエム」、「詩篇」と併せて3部作という扱いになっているが、今夜の「焉歌」と組み合わせたバージョンは、演奏時間の点からも三善作品の上演の機会を増やせそう。想像を絶する陰惨な出来事が続く今の時代にこそ、三善のこのような音楽が訴える力を持つのではないだろうか。後半のプログラムを美智子さまと共に聴いていた小澤征爾さんあたりが呼びかけて、世界に向けてもっとこの三善ワールドを発信できたら素晴らしい。
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そして、後半は本当に身震いするような凄まじい演奏で、涙がとめどもなく流れました。
最近安っぽく使われすぎている「魂がふるえる」という言葉は三善晃の音楽にこそ相応しいと思いました。