萩
仙崎から萩までは20キロちょっと。車で1時間足らずで着いてしまう距離だ。
萩といえば、津和野と並んで山口県というより、日本有数の歴史ある町として名高い。実際に訪れた萩は、毛利家のお膝元として260年に渡って城下町として栄えた面影が色濃く残り、幕末~明治維新の時代にこの地で活躍した維新の志士達ゆかりの場所が数多く残り、さながら野外歴史博物館の趣きを持っていた。
それに加え、日本を代表する窯元の萩焼の里としての魅力もそなえ、更にここを訪れた人にだけ深く刻まれるのが、萩の人たちの話し好きで温かな人情。猛暑のなかの2日間の滞在で、こうした萩の魅力を満喫することができた。
~そば処 がんこ庵~
萩の町中の狭い通りに車で入れば、江戸時代にタイムスリップしたような景観が目に飛び込んできた。早く車を降りて散策したいが、まずは腹ごしらえで寄ったそば処の「がんこ庵」。「まっぷる」で紹介されていたので行ってみた。お店は由緒ある感じの平屋の日本家屋。庭を眺めながら和室で頂く十割そばはいかにも頑固な店主のこだわりが感じられる納得の味と食感。萩焼の湯呑みで頂いたそば湯も濃厚。
「がんこ」なのは店主の蕎麦や店へのこだわりだけのようで、ご主人はとても話し好きで気さくな人柄。お店に飾ってある家具や色紙の由来をひとつひとつ丁寧に説明してくれ、そこから世間話にも花が咲いた。いきなり萩の人の人情に触れた。
~城下町地区~
がんこ庵を出て、そのまま徒歩で萩の城下町地区に繰り出した。なまこ壁や土塀が続き、立派な蔵が建ち並ぶ。
民芸品や萩焼のお店、しゃれた和風のカフェも点在している。どこを歩いても情緒あふれる古都の佇まいにすっかり心を奪われてしまった。ゆっくりお店も見て回りたいところだが、やっぱり見所の建築やスポットは見学しておきたい。この界隈では木戸孝允旧宅、円政寺、高杉晋作生誕地、晋作広場、旧久保田家住宅を訪れた。
桂小五郎の名でも知られる木戸孝允旧宅
誕生の間や写真、孝允自筆の掛け軸などから孝允の暮らしの様子がわかる
| 町のあちこちで見かける夏みかんは萩のシンボルの一つ。夏みかんはみすゞの故郷の仙崎が発祥の地で現樹を見てきたが、明治維新後に萩で栽培が盛んになったという。
炎天下の町めぐりの途中、菊屋家住宅近くの「プチカフェ さくら木」に立ち寄って夏みかんソフトで涼を取った。みかんのほのかな甘ずっぱい香りが涼しさを演出してくれた。
みかんの花が咲く5月は町中が甘い香りに包まれるそうで、萩は「香り風景100選」に選ばれている。 |
訪れた建築物では、どこでも係りの人が親切に中を案内してくれる。旧久保田家住宅で説明してくれたおじさんは、「がんこ庵」のご主人と同じく話し好きの人で、近所の顔見知りの人と立ち話をしているようなとても打ち解けた気分になった。
旧久保田家住宅は江戸時代の後期に建てられ、呉服屋から造り酒屋に、
明治時代には宿屋として使われた
帰りぎわ、子供たちに「お父さん、お母さんを大切にしてくださいね。」と声をかけてくれた。親孝行だったという吉田松陰の教えと思いが、この地では確実に今に受け継がれているのを感じた。
~堀内地区~
更に車で堀内地区へ移動して、口羽家住宅と、今夜の宿「千春楽」に近い旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を訪れた。
口羽家住宅では武家屋敷の様子を見ることができる。敷地内に住んでいる口羽家のご子孫が案内してくれた。一番興味深かったのは、座敷の間に隠し部屋として設けられた「相の間」。襖の上には槍が常備されていて、座敷で不穏な動きを察したときは、家来がすかさず槍を構えて襖を「バシン!」と開ける、まさに時代劇のワンシーンが思い浮かんだ。
橋本川の川岸にある庭からは、川や対岸の玉江の眺めが借景のように広がっていて風光明媚。この立地は敵からの侵入に備える防備の意味でも重要だったに違いない。 |
口羽家住宅の「相の間」 |
この日最後に訪れたのが旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。「長屋」という名がふさわしく細長い建物で、長さは51mにも及ぶそうだ。建物に上がることはできないが、敷地内に入ると、間仕切りされた長屋の部屋の内部を眺めることができる。部屋には地図や模型、書画なども展示されていた。
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
毛利元就の五男元秋から始まった厚狭毛利家の屋敷で、幕末の1856(安政3)年に建てられた
今日訪れた4箇所の有料の見学スポットは、9つの施設で有効の共通萩市文化財施設1日券が使えるところ。観光を始めたのは午後遅めだったが、どこもゆっくり見学できて更に元が取れて得できた!
~西の浜の夕景~
宿でゆっくりと温泉につかったあと、夕食の前に「隠れた夕景の必見スポット」とまっぷるで紹介されていた近くの「西の浜」に、浴衣のまま出かけた。みすゞの故郷、仙崎の青海島まで遠くに見えるということだが、近景にぽっかり浮かぶ鯖島の背後にシルエットで見えるのが青海島だろうか。昨日の今ごろ夕日を見ていた仙崎の方に夕日が沈んでいった。2日とも見事な夕日が見れた。
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太陽が沈んだあと、空一面が一気に赤みを増した。このまま暗くなるまで見ていたくなったが、そろそろ夕食だ…
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~重要伝統的建造物群保存地区~
翌日、旅の最終日も朝からカンカン照り!猛暑の中へ飛び込む覚悟で、まずは車は駐車場に置いたまま、宿の周辺の散策コースを歩いた。
このあたりは「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていて、どこを歩いても歴史を感じる古い家並みや塀がひしめいている。名所旧跡の場所を示す標識もあちこちに立っていて、どっちの名所へ行こうか迷ってしまう。そんななか、問田益田氏旧宅土塀、旧二宮家長屋門、旧福原家萩屋敷門、天樹院などに立ち寄りながら歩いた。
問田益田氏旧宅土塀
市内に現存する最長の土塀で、長さは232m 歩いても歩いても塀が続いた
歴史地区とは言っても博物館とちがうのは、そこで現地の人たちが生活しているということ。歴史のある古い塀の中に建つ家は民家だし、郵便ポストも必要。こんなところにはやっぱりこのポストが似合う。
次々と出くわす歴史的な建造物。ここは旧二宮家長屋門。門の中に入って自由に見学することができる。こうした無料の見所もあちこちにある。
旧二宮家長屋門
天樹院は毛利家の墓所のひとつ。お寺は明治の始めに廃寺となり、いまは墓所だけ残っている。木陰に立ち並ぶ石灯籠が往時の様子を偲ばせる。
天樹院
炎暑の中を小一時間歩いてかなりバテてきたところで、暑さしのぎも兼ねて有名な萩焼のお店「雅萩堂」へ入ってみた。
素敵な萩焼の品々が沢山あって目移りしてしまう。とても感じのいいお店の方の説明を聞きながら、両親に湯飲み茶碗を選んだ。嬉しかったのは、サービスで出してくれた萩特産の冷たい夏みかんジュース!生き返った…
夏みかんって、子供の頃はよく食べたりジュース飲んだりしたけれど、今ではすっかりオレンジとか伊予柑とかに押されてるせいかお目にかからなくなったが、ほどよい酸っぱさが暑さのなかでは本当に美味しく感じる。旅館でもらったサービス券で、萩夏みかん工房でもタダでジュースを頂いた。
その夏みかん工房から歩いてすぐの萩城跡指月公園。毛利輝元が築城したお城が建っていた指月山は、海にぽっかりと浮かんでいて絵になっているが、陸側からお堀を抱えた姿もいい。
萩城跡指月公園
今はお城はないものの、公園内には旧跡がいくつもあって面白そうだが時間の都合で断念し、その手前にある萩焼資料館に、旅館でもらった入場券を使って入ってみた。古萩と呼ばれる初期のものから、歴史的な萩焼の名品の数々が展示されていてなかなかの見応えがあった。
~松下村塾周辺~
萩に来て見逃せない重要スポットの松下村塾は、吉田松陰が祀られた松蔭神社の境内にある。
松蔭神社
山口の旅行で出会った人たちはとても穏やかで優しく、話好きな人が多いと書いたが、その話にはしっかりした信念が感じられる。萩の町で、お店の人や案内の人と接していて、それがこの地で生まれ、幕末の世に大きな影響を与えた吉田松陰の存在があるという気がしてきた。松陰の話をするとき、みんな「松陰先生」と自分の先生のように親しみと敬意を込めて呼んでいた。
松下村塾に集まって来て、激動の時代に名を残した幕末の志士たちは、まさに松陰の言葉、そしてその行動に惹きつけられ、その教えを受け継いだわけで、その志がこの地には脈々と100年以上の時を経てなお受け継がれている、と言っても大袈裟ではない。
そう思うと、学ぶことで正しい道を見極め、志を持ってそれを貫いた松陰が教えを説いたこの私塾跡を訪ねることが、益々意味深くなる。そんな重さとは反比例するように松下村塾は質素な佇まいで、「清貧」という言葉が相応しい気がした。
松下村塾
松下村塾から歩いて5分とかからないほどのところに、松下村塾の門下生の一人で、新政府で初代内閣総理大臣となった伊藤博文の旧宅と別邸が並んで建っている。
旧宅の方は茅葺屋根の小さくて質素な平屋建て。松下村塾で学んでいたころの博文が偲ばれる。
対して隣りの別邸は明治の末に東京に建てられ、その後その一部が移設されたもの。「一部」とは言うものの、総理大臣としての威厳が伝わる大変立派で洗練されたセンスも光る建物。
和風の作りでありながら、廊下の照明などには洋風な意匠も感じられる。こうして違いの大きな新旧の家を隣同士で見られるのはとても興味深い。
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伊藤博文別邸 |
~旧湯川家屋敷~
萩で、もう一つ是非訪れたかったのが旧湯川家屋敷。川の水を家の敷地へ引き込み、庭の池や流れに使うだけでなく、家の中で台所の洗い場などにも利用している、というガイドの説明を読んでとても興味を引かれた。
用水路として作られた藍場川沿いにある旧湯川家屋敷へは橋を渡って入る
川の水を引き入れた台所は川のすぐ脇に造られていた。川の水は最初に庭を巡り、建物の下をくぐって台所にこのように溜められて再び川に戻される。水を汲んだり、野菜などを洗うため、水際まで降りられるようになっている。
このような仕組みは「ハトパ」と呼ばれている
| 湯川家は禄高23石余の武士だったそうだが、「23石」は決して高い禄高とは言えなさそう。でもこんな優れたインフラを備えたお屋敷があり、庭園がまた素晴らしい。
川の水が広い庭を巡り、川に沿って園内を回遊できるようになっている。その川の水を集めた大きな池には錦鯉が泳ぎ、岩陰にはサワガニが何匹も歩いていた。
自然な佇まいを活かした木々と水が織りなす池泉庭園の眺めはとても清々しく、厳しい暑さが続くなか、庭を散歩し、縁側に腰掛けて涼めば、心地よい気分に暑さを忘れる。
藍場川沿いには、この屋敷のような川の水を敷地内に取り入れているように見える民家も並び、このあたりをゆっくり散歩すると楽しそう… |
旧湯川家屋敷を最後に見学して、萩の観光を終えた。萩はこれまで訪れた歴史ある古い町の中でもとりわけ美しく落ち着いた品があって、町全体が自然ともしっとりと調和しているのを感じた。松陰先生の志を受け継いだ人々の、純粋で強くて優しい心にも触れ、すっかりお気に入りの町になってしまった。
そんな萩の町中で買い求めた萩焼のタンブラー。内側はわざと素焼きのままにしてあるため、きめ細かいクリーミーな泡立ちのビールを楽しめる。
新山口への帰り道の途中、山口市内のお土産屋さんに寄った。そこで買ったのがこの大内塗りの人形。大内人形と呼ばれ、600年の歴史がある伝統工芸品は少々値段が張ったが、旅行の初日、山口県政資料館内に展示されていたこのまん丸のお人形を見た途端に気に入ってしまい、帰るときに買おう!と思っていた。
山口から新山口までは、本当はSLやまぐち号に乗る予定で乗車券も予約していたのだが、7月の豪雨災害による土砂崩れで長期間の運休となってしまったので、そのままレンタカーで新山口に戻った。
満タン返しにする時間もないほどギリギリに車を返し、大急ぎで帰りの新幹線に乗り込んだ。17時28分発。旅行最終日もほぼ丸一日、山口を堪能した。
5日間カンカン照りの晴天続き。暑さは相当こたえたが、念願だったみすゞの故郷を訪ね、歴史ある山口市や萩を歩き、秋吉台や日本海の大自然を満喫し、美味しい海の幸や温泉、そして温かい人たちに触れた素晴らしい山口の旅だった。
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