12月11日(火)クリスチャン・ツィメルマン(Pf)
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.ドビュッシー/版画
2.ドビュッシー/前奏曲集第1巻~
帆、吟遊詩人、雪の上の足跡、亜麻色の髪の乙女、沈める寺、西風の見たもの
3.シマノフスキ/3つの前奏曲(9つの前奏曲 Op.1~第1、第2、第8番)
4. ショパン/ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58
このところピアノを聴く機会が多いが、ツィメルマンのリサイタルはその中で抜きん出てチケット代が高かった。それでもツィメルマンのドビュッシーが聴きたくてチケットを買った。やっぱり高かったかな、という気持ちがぬぐい切れず会場へ。入口でリサイタルの録音を強く戒める警告文が、ツィメルマン自身からのメッセージとして配られたばかりか、開演直前に同様のアナウンスが入った。ツィメルマンさん、よっぽど腹に据えかねたんだな。リサイタルをワクワクして待ちかねる気分が少々くじかれたが、だからと言ってこれがツィメルマンの演奏への感銘を損ねることにはならなかった。
前半はドビュッシー。先月聴いたエマールのドビュッシーも素晴らしかったが、今夜のドビュッシーはまた別の意味で素晴らしかった。ツィメルマンは演奏者の私情を徹底的に排除し、ひたすら透徹としたドビュッシーの音世界を表現していた。深い湖の底がくっきりと見えるような透明感は、心の奥底にあるものを射抜くように真っ直ぐに見つめてくる。明晰で不純物のないクリスタルな響きの美しさもツィメルマンならではのものだろう。「版画」にしても、前奏曲集にしても、それぞれ象徴的なタイトルを持つ曲たちに託された音の風景と心象は、真実に貫かれ、真理という言葉が相応しい。前奏曲集の方は1巻から6曲の抜粋だったが、曲集通りの順ではなく、「西風の見たもの」で締めくくるあたりからも、ツィメルマンの厳しく真理を追究する姿勢が窺えた。
後半のシマノフスキが始まる前に、「これから演奏するシマノフスキは、震災で犠牲になった方々へ捧げる」というアナウンスが入った。こうなると、ツィメルマンはいかに追悼の気持ちを音で表現しようとしているかを聴こうとしてしまうが、演奏からはそうした先入観を抜きにしても、魂が洗われるような、静謐で美しい心からの祈りが結晶して行くのが感じられた。
そして最後のショパン、相変わらずの澄みきった音色で細部まで明瞭に描かれ、曖昧なところが一切ない毅然とした演奏には、最初からどこか鬼気迫るものを感じたが、強烈な印象を植え付けられたのが第3楽章。モノローグ調のメロディーが、美しいというよりも、深い傷口から血が流れているような痛々しい姿で胸に迫って来た。瀕死の傷を負った人が真剣な目で何かを必死に訴えてくる。そして続く第4楽章は更に変な例えだが、末期がんの患者なのに、どこにそんな力が残されているのかと思えるような力を振り絞り、最期の仕事を成し遂げようとしている、壮絶なまでの集中力とエネルギーの凝縮。本来この曲から感じていた壮麗で華々しい空気はなく、ましてやロマンチックな抒情なんて全く無縁の凄まじいまでの衝動が突き上げてきて、息もできないぐらいだった。
1回きりの演奏を大切に、これほど真剣勝負で挑むツィメルマンにとって、心ない聴衆による録音がネット上に流れてしまうことがどんなに耐えがたいことであるかが痛いほどにわかった。チケット代が高くても次もきっと来よう!と思った。
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.ドビュッシー/版画
2.ドビュッシー/前奏曲集第1巻~
帆、吟遊詩人、雪の上の足跡、亜麻色の髪の乙女、沈める寺、西風の見たもの
3.シマノフスキ/3つの前奏曲(9つの前奏曲 Op.1~第1、第2、第8番)
4. ショパン/ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58
このところピアノを聴く機会が多いが、ツィメルマンのリサイタルはその中で抜きん出てチケット代が高かった。それでもツィメルマンのドビュッシーが聴きたくてチケットを買った。やっぱり高かったかな、という気持ちがぬぐい切れず会場へ。入口でリサイタルの録音を強く戒める警告文が、ツィメルマン自身からのメッセージとして配られたばかりか、開演直前に同様のアナウンスが入った。ツィメルマンさん、よっぽど腹に据えかねたんだな。リサイタルをワクワクして待ちかねる気分が少々くじかれたが、だからと言ってこれがツィメルマンの演奏への感銘を損ねることにはならなかった。
前半はドビュッシー。先月聴いたエマールのドビュッシーも素晴らしかったが、今夜のドビュッシーはまた別の意味で素晴らしかった。ツィメルマンは演奏者の私情を徹底的に排除し、ひたすら透徹としたドビュッシーの音世界を表現していた。深い湖の底がくっきりと見えるような透明感は、心の奥底にあるものを射抜くように真っ直ぐに見つめてくる。明晰で不純物のないクリスタルな響きの美しさもツィメルマンならではのものだろう。「版画」にしても、前奏曲集にしても、それぞれ象徴的なタイトルを持つ曲たちに託された音の風景と心象は、真実に貫かれ、真理という言葉が相応しい。前奏曲集の方は1巻から6曲の抜粋だったが、曲集通りの順ではなく、「西風の見たもの」で締めくくるあたりからも、ツィメルマンの厳しく真理を追究する姿勢が窺えた。
後半のシマノフスキが始まる前に、「これから演奏するシマノフスキは、震災で犠牲になった方々へ捧げる」というアナウンスが入った。こうなると、ツィメルマンはいかに追悼の気持ちを音で表現しようとしているかを聴こうとしてしまうが、演奏からはそうした先入観を抜きにしても、魂が洗われるような、静謐で美しい心からの祈りが結晶して行くのが感じられた。
そして最後のショパン、相変わらずの澄みきった音色で細部まで明瞭に描かれ、曖昧なところが一切ない毅然とした演奏には、最初からどこか鬼気迫るものを感じたが、強烈な印象を植え付けられたのが第3楽章。モノローグ調のメロディーが、美しいというよりも、深い傷口から血が流れているような痛々しい姿で胸に迫って来た。瀕死の傷を負った人が真剣な目で何かを必死に訴えてくる。そして続く第4楽章は更に変な例えだが、末期がんの患者なのに、どこにそんな力が残されているのかと思えるような力を振り絞り、最期の仕事を成し遂げようとしている、壮絶なまでの集中力とエネルギーの凝縮。本来この曲から感じていた壮麗で華々しい空気はなく、ましてやロマンチックな抒情なんて全く無縁の凄まじいまでの衝動が突き上げてきて、息もできないぐらいだった。
1回きりの演奏を大切に、これほど真剣勝負で挑むツィメルマンにとって、心ない聴衆による録音がネット上に流れてしまうことがどんなに耐えがたいことであるかが痛いほどにわかった。チケット代が高くても次もきっと来よう!と思った。