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留学体験記 Uni-Lüneburg, Uni-Münster, Uni-Rostock, Uni-Trier, Uni-Würzburg

2023年08月15日 | ドイツ留学相談室
ドイツ留学体験記

ここではドイツ留学(オーストリア、スイスのドイツ語圏を含む)をした獨協大学の学生の体験記を中心に紹介しています。体験記には、現地での手続き、授業の様子や寮生活、街の様子、これから留学する方々へのアドバイスなどが記されています。情報としては新しくありませんが、いつになっても決して色あせることない先輩達からの貴重なメッセージがたくさん綴られています。ご自身の留学に是非役立ててください。そして、あなた自身の留学体験をお寄せください。

このページでは、獨協大学のサーバー上で公開していた体験記のうち、著作者からこちらのサイトへの掲載に許諾を頂いた方の体験記のみ掲載しています。新たに体験記を掲載したい方(ドイツ語圏の大学で正規の授業の受講で留学した方であればどなたでも)、旧サイトに掲載されていた体験記をこちらでも掲載して構わないという方は、是非お知らせください。この記事下の「コメントを投稿する」から連絡ください。投稿されたコメントは公開せず、個別にお返事を差し上げます。

リューネブルク大学
ミュンスター大学
ロストック大学
トリーア大学
ヴュルツブルク大学

リューネブルク大学
SS 2006 鈴木美香さんからの体験記
ミュンヘン大学の語学コース
 私は3年の秋学期から1年間留学していました。半年間は休学してミュンヘン大学の語学コースに、残りの半年はリューネブルクに認定留学していました。語学にまだ不安があったのと、以前ミュンヘンに短期留学した際にすごくミュンヘンが好きになったこともあり半年は語学力をあげることに勤めようと決めました。ここでは、ミュンヘンの語学学校時代のことを中心に書きたいと思います。

 ミュンヘン大学の語学コースは、ミュンヘン大学に正規の学生として入りたい人が通う学校でした。なので、生徒のやる気ももちろんのこと、このクラスのレベルではないだろう、と思う人ばかりでした。毎日宿題がたっぷり出るので、その日の復習をやる時間がなく授業についていくのに精一杯でした。私は語学学校の寮に住んでいたので、そこの住人に宿題を毎日手伝ってもらっていました。

ミュンヘンで大変だった事は、滞在許可を取得することです。ミュンヘンはドイツの中でも特別許可が下りないケースが多く、しかも国人が多く住んでいるので外国人局はいつも行列ができていました。私は幸いにもすぐに許可をもらえましたが、外国人局の担当の人が違ったら許可がもらえなかった可能性がありました。ビザや滞在許可の申請は時間に余裕を持って申請手続きをした方がいいと思います。

 私が語学学校、大学と経験して考えた事ですが1年間大学に行けばよかったかなぁ、ということです。人それぞれ目的が違うので一概には言い切れませんが、語学が不安で語学学校に行こうと思っている人なら尚更大学にいくべきだと思います。大学でも語学はしっかり勉強できるし、語学以外の授業で自分の興味のある教科をとった方が意外にも語学アップにも繋がります。何より、ドイツでは大学生の身分が偉大で学割が使えるし、授業料もかからないしメリットが大きいです。

 私は、認定が出るギリギリの成績でした。だけど、留学したい、自分の大学生活において何か付加価値をつけたいという気持ちは強くありました。1年を長く感じさせるか短く感じさせるかはその人がどう過ごすか次第だと思います。

リューネブルク大学
認定留学先のリューネブルク大学は、兎に角手厚い保護をしてくれました。話で聞く限り、留学生に対するサポートはNo1かと思います。バディーというお世話係が到着当日に空港まで迎えに来てくれてVIP待遇を受けました。こんなに幸せな生活が送れていいのか?という日々でした。

リューネブルク大学に対する不満は私は一つもありません。田舎町ですが、街並みがかわいく大好きです。もっと早くここに来ていればミュンヘンで苦労もしなかったかな、と思いますが、あの時の苦労もまた自分を成長させられたのだと今は考えています。

大変なこと、悔しいこと沢山ありましたが私は本当に良かったと思いました。沢山な人と知り合い、色んな経験をして本当に幸せな1年間でした。助けてくれたみなさんありがとうございました。

WS 2004/05 bis SS 2005 村槇 麻美さんからの体験記
 私は、2004年の3学年冬学期から2005年の4学年夏学期にかけて、リューネブルク大学に認定留学をしました。ここで私の留学生活がどのようなものであったかを報告し、これから留学をしようと考えている人たちの少しでも参考になれたらと思っています。

留学先が決まるまで
 私が留学をしようと思い、実際に動きだしたのは2学年の冬の頃だったと思います。認定留学の自分の好きな大学を選べるという利点を生かして、私はぜひ前々から興味のあった観光学を学べる大学にいきたいと思い大学探しを始めました。大学探しはインターネットやDAADの出版している小冊子を元に行ったのですが、そこで唯一大学で観光学を開講しているリューネブルク大学を知りました。(後に聞いた話では他大学でも開講しているようです)そのため、リューネブルク大学にどうしても留学したかったのですが、HPをみるとDSHなしで短期留学できるのは提携大学の生徒のみと書いてありました。なので大学の留学生課に、獨協大学は提携大学ではないがDSHなしの1年間留学をさせてもらえないかとの趣旨を問い合わせると、すんなりOKの返事が来て留学できることとなりました。

WG
 住居は留学前に大学から連絡があり、もし必要であれば仲介を行ってくれるとのことだったので、大学にお願いをしました。なので何ら問題なく引越しをすることができました。私の住居は寮ではなく、ドイツ人家族の家の3階部分がWGになっておりそこをアメリカ人と2人で間借りするという形でした。ただ大家さん一家とは家族のように仲良くなり、時間が合えば一緒に過ごし食事をしたりしました。ちょうどWG暮らしとホームステイの間といった形態でした。私にはとても合っていたと思います。

授業
 大学ですが、私はドイツ語コースを何個か受け、そのほかに観光学科が属する文化学科の授業を中心に受講しました。1番力を入れた授業が観光学科のゼミナールで、受講生は20人弱で、与えられたテーマごとにプレゼンテーションを行い、ディスカッションをしました。私のプレゼンテーションが回ってきたときには、一緒に担当する友人と図書館にこもり文献を探したり、泊り込みで準備をし、つたないドイツ語ではあったと思いますが、何とか形にすることができました。またこの授業では自分のプレゼンテーションのテーマをレポートとして提出しなくてはならず、学期末、長期休暇前半はそれにかかりきりでした。しかしこの授業の単位をもらい担当してくださった先生に「頑張ったね」と言われたときの達成感はいまだに忘れられません。その他の授業としては、講義型の観光学入門や都市地理学、20世紀建築、英語の授業などを聴講生などとして受講しました。

フリームーバー
 私は大学ではフリームーバー制度というDSHなしで2学期までゲスト学生として勉強できる制度を利用したこととなるそうです。(ヨーロッパ出身の学生になるとエラスムス制度と呼ばれます。)リューネブルク大学の留学生課ではこのエラスムス学生とフリームーバー学生対象とした催し物をたくさん計画してくれて、週末には遠足、さまざまなパーティーに参加することができました。また一人一人にドイツ人学生の「バディー」と呼ばれるパートナーをつけてくれ、留学前からコンタクトをとり、到着時の出迎え、その後の相談役になってくれました。リューネブルク大学は全学生数が7000人余りの比較的小さな規模の大学で、エラスムス・フリームーバー制度で来ている留学生も60人弱と少なかったためにこのように面倒見が良かったのかもしれません。ただ、小さな大学なので他大学に比べるとドイツ語コースの数は少なく、ドイツ語を集中して勉強したい人にとっては物足りないかもしれません。

自分に合った大学を探す
 このように大学にはそれぞれ大学の特徴というものがあります。またその街によっても雰囲気というものもかなり違ってくると思います。○○を学んでみたい、または○○の街に住んでみたい、とにかくドイツ語コースが充実しているところに行きたいなど、希望するものは人それぞれだと思います。必ず自分に合った大学はあると思うので、これから留学を考えている人は頑張って大学探しをしてみてください。

 この1年間を振り返ってみると、ドイツ語の上達はもとより、1人で何でもしなくてはならないという環境から多くを学び成長できたと感じています。またドイツで1人で生活をして、多くの方に親切にしてもらい感謝の気持ちでいっぱいです。また日本にいる家族や友人たちの大切さを改めて知ることができました。留学が終了して今思うことは、本当に留学をしてみてよかったということです。

 ミュンスター大学

WS 2005/2006 bis SS 2006
安田カトリンさんの「ドイツ・ワールドカップ2006」 ボランティア体験記
無事ワールドカップフィーバーを乗り越え、ミュンスターに戻ってきました。 ニュルンベルクでのワールドカップボランティア投入期間は2週間で、そのあとすぐに戻ってくる予定でしたが、ボランティアの打ち上げパーティーがり、それにどうしても出たかったので、ニュルンベルクに居ました。 私がニュルンベルクで体験したことはレポートでは書き尽くせませんが、どんな仕事をしたか、どんなことを感じ・考えたか、少し書いてみます。

私は2週間ニュルンベルクに居ましたが、その間、働いたのはニュルンベルクで試合のあった5日間です。それ例外はボランティアで知り合った友達と色々なことをしました。もちろん試合観戦づけの毎日でしたし! 仕事内容は以下の3つがローテーションで回ってきました。

1.スタジアム付近での質問対応
2.スタジアム入り口でのチケットチェック
3.スタジアム内ブロック入り口での座席案内

200人近くいるボランティアが、8人前後の小グループに分けられて、そのグループで仕事をしました。私たちは、"スタジアム付近・およびスタジアム内"担当だったので、仕事後はスタジアムで試合を見ることができました。ワールドカップっていうのは、どの試合でも鳥肌がたつものなんですね。毎回ゾクゾクしていました!

何が一番特別だったかというと、日本戦(日本対クロアチアがニュルンベルクであった)の前日と当日。「日本選手の通訳をして」って言われたんです!試合前日はどのチームも45分間の練習時間が与えられて、その後に「明日への意気込みは?」的な軽いインタビューがシャワールームからバスに乗り込むまでの通路でされるんですが、ドイツ人記者がドイツ語で日本人選手に質問する場合にお手伝いをしました。クロアチア戦後も同じく、試合後、通訳のお手伝いをしました。 楽しかったなあ。。

私、通訳をしつつ、まじまじと選手の顔を眺めていました。でも選手たちはみんな普通の人でした。オーラも何もあったもんじゃなく、シャワーをしたにも関わらず、ダラダラと汗をかいていて、「それ、質問の答えになってないだろう?」というような返答をしていて 『サッカー選手 = ステキ』は幻想でしかないことに気づかされました....

今回のボランティアで、多くの人と知り合いました。 各国から来たファン、ボランティア、そしてただただ町で知り合った人たち、色々な人から色々なことを学びました。私は"ワールドカップの成功 = ボランティア自身が楽しむこと"だと思っていました。ボランティ自身が楽しむ、笑顔でいる。そうしたらお客さんにもそれが伝わって、みんなが笑顔になる。心と心が繋がれば、国籍も言葉も障害も無意味になる。みんなが友達。

今回のワールドカップではそれを身をもって体験できました。最高に楽しかったし、幸せでした。2006年のドイツワールドカップのことは一生忘れません。

最高の経験と思い出をくれたドイツワールドカップに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

 ロストック大学

SS 2004 bis WS 2004/05 小山田瑞斉さんからの体験記
大学や町の様子
まずロストックの街の印象はというと、一言で言うならば「ホッとする街」といった感じです。決して大きな街ではありませんが、必要最低限の物は揃っているので生活に不自由する事はありません。また小さな街だけあって街に出れば大学の友達と偶然会うという事もしばしばです。そんな所を見ても和やかな街と言う事が出来ると思います。
大学の方はというと残念ながらキャンパス大学ではないので、教室の移動に悩まされる事もありましたが、学生は路面電車やバスに無料で乗れるので、慣れれば問題ないと思います。大学の設備は古く、決して使い勝手が良いとは言えないような教室もある反面、最近では学食や図書館が新しく建てられたりもしています。設備に関してもこれからもどんどん良くなっていくと思います。

授業
夏学期はドイツ語の授業を中心にし、余っている時間にいくつか講義形式の授業を履修していました。ドイツ語の授業は留学生のためにSPRACHENZENTRUMという所で、初級コースから経済や法律学などの専門分野まで用意されていました。ちなみに値段の方はというと1学期(週8時間程)で15ユーロでした。多くの外国人学生がこのSPRACHENZENTRUMでドイツ語授業を取るので、ドイツ語の上達はもちろん、世界各国に友達を作る場としても絶好の場所だと思います!

冬学期はというと、経済の授業を4つ(プロゼミナール1つ)、そしてゲルマニスティーク関係のものを2つ(プロゼミナール1つ)受講していました。しかし全ての授業の予習復習をし、完璧に理解する事には時間的にも無理があるので、その中で特に興味を持ったいくつかの授業を重点的に学習していました。それ以外の授業は聞き取りの練習といった感じで聴講していました。

ドイツ語コースは、ロストック市民大学で週6時間くらいの講座を取っていました。市民大学では学生だけでなく社会人など、いろいろな人と共に学習でき、大学では味わえない一味違った刺激を受けることが出来ました。

生活や寮について
日常生活についてですが、平日は授業、そしてその準備などで多くの時間を割かれてしまっていました。しかし週末は友達とスポーツをしたり、お酒を飲みに行ったり、また近くの街に観光に行ったりと出来るだけリフレッシュするように心掛けていました。

ドイツの生活で苦労した事を強いてあげるとすれば、朝の7時30分から授業があったという事です。いくら大学の近くに住んでいるからとはいえ慣れるまでには時間がかかりました。

ドイツの大学の寮は、日本の寮とは違い大学が学生のために部屋を貸すだけといった感じなので、のびのびと快適に過ごす事が出来ました(門限などはもちろんありません)。家に帰ってきてもドイツ語でコミュニケーションを取れることはドイツ語の上達にとても大事だったと思います。またわからない事があれば同じ寮に住んでいる友達にすぐ聞ける事も寮に住む特典だと思います。

留学を終えて
留学して自分自身の中で変わった事というと、思い切り間違いをする事が出来るようになりました。分からない事があれば質問をすればいいし、自信が無くても自分の考えや思った事を尊重出来るようになったと思います。やはり最初の頃はわからない事だらけでその事に抵抗を感じていましたが、わからない物をそのままにしておく事の方が自分にとってマイナスだという事に気付きました。とても単純な事ですが、大きな変化だったと思います。

この事を僕に教えてくれたのは一人のスペイン人でした。彼はドイツに来るまでドイツ語などほとんど勉強した事が無かったので、当然分からない事だらけでした。しかし彼の行動力は、それをみんなに示したいというくらい積極的なものでした。そして彼のドイツ語は短い期間に驚くほど成長していきました。

またこの留学をきっかけにたくさんの人と出会い自分の興味の幅が広がったという事はこの留学最大の成果だと思います。ある時は医学生と、またあるときは哲学科の生徒と話し合ってみたりする事で、これからしてみたい事がたくさん見つかりました。目標であったドイツ語の習得にはまだまだ練習が必要ですが、それを達成するためのモチベーション、また自分がもう一歩成長するためのきっかけを掴む事が出来ました。

アドバイス
まず、漠然的でも留学をしてみたいと考えている人は短期でもいいので早めに一度留学をしておくと良いと思います。僕は4年生になりようやく留学へと漕ぎ着けたのですが、留学して初めて気付く事は非常にたくさんありました。そしてもう少し早く留学する事が出来ていたらとも思いました。授業への取り組み方、自宅での学習の姿勢などドイツの学生から学ぶところは多々あると思います。

幸い僕はこうしてこの事に気が付く事が出来たので、これからの学生生活、ひいては人生にこの経験を役立てていきたいと思っています。
今回のボランティアで、多くの人と知り合いました。 各国から来たファン、ボランティア、そしてただただ町で知り合った人たち、色々な人から色々なことを学びました。私は"ワールドカップの成功 = ボランティア自身が楽しむこと"だと思っていました。ボランティ自身が楽しむ、笑顔でいる。そうしたらお客さんにもそれが伝わって、みんなが笑顔になる。心と心が繋がれば、国籍も言葉も障害も無意味になる。みんなが友達。

今回のワールドカップではそれを身をもって体験できました。最高に楽しかったし、幸せでした。2006年のドイツワールドカップのことは一生忘れません。

最高の経験と思い出をくれたドイツワールドカップに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

 トリーア大学

SS 2008 bis WS 2008/09 A.S.さんからの体験記
Trierの町について
 Trierはローマ時代の遺跡を数多く残し、ドイツ最古の都市と言われている人口約10万人の小さな町です。しかし、駅前には大きなスーパー、郵便局、中心地にはデパートや雑貨屋、飲食店、大学の近くにもスーパーや本屋があるので、買い物などの面では特に問題はありません。アジア食品店もあるので、日本の食べ物を手に入れることもできます。

部屋探しについて
私は、Trierに着いて、ホテルに泊まりながらまず部屋探しをしました。大学寮の空きがなかったので、大学内の外国人課へ相談に行ったり、インターネットでPrivatの寮やアパートの空きを調べたりしましたが、最終的には、大学内にたくさん張られているWG(Wohngemeinschaft=学生数人でお風呂やキッチンを共有する形態の住居)の住人募集の張り紙の連絡先に直接電話をかけ、家の所有者と連絡を取って部屋を見せてもらい、契約をしました。

 WGでは少人数で一緒に家を共有しながら生活するので、ほかの人と話す機会もあり、学校外でドイツ語でのコミュニケーションがとれるいいチャンスだと思います。

大学・授業について
 大学では、正規の授業が始まる前の春休み中に約3週間のEinführungsseminarという、これからTrier大学で勉強を始める留学生向けのドイツ語の準備コースがありました。クラス分けテストによってレベル別のクラスでドイツ語の授業が行われました。

 学期が始まると、ドイツ人学生に混ざっての正規の授業に参加するようになりました。授業は主に、1年通してDaFのドイツ語コースと、前期はSoziologieのVorlesungや、後期はEthnologieのSeminarに参加し、また、Trier大学にはJapanologieがあるので、JapanologieのSeminarもとっていました。また、日本語の授業に手伝いとして参加させてもらい、ドイツ語や日本語でドイツ人学生に日本語を教えていました。後期はそれぞれの授業でドイツ語でのプレゼンテーションをやりました。

 また、日本人とJapanologieの交流イベントが頻繁にあるので、そこで知り合ったドイツ人学生とタンデムパートナーになり、週に何回かタンデム(お互いに日本語とドイツ語を教えあう)をしていたので、会話力はそれによって来たときよりもだいぶ身についたと思います。

一年を振り返って
この1年で、授業や普段の生活での難しさの経験や、また様々な人との出会いを通してとても成長できたと思います。留学は自分から積極的にチャレンジしてみることですごく充実したものにできるということを実感しました。語学力を伸ばすということだけではなく、他にも日本では得られないような多くの貴重な経験をすることができました。

SS 2008 bis WS 2008/09 (匿名希望)さんからの体験記
1、大学や町の様子
Trierは人口約10万人ほどの小さなところです。「黒い門」という意味のポルタ・ニグラを中心として、多くの遺跡や大聖堂が世界遺産に登録されています。このTrierはモーゼル川沿いに位置し、ワインの産地としても有名です。

小さい町ですが、駅前の大きなスーパーを始め、買い物には全く困りません。日本食が恋しくなった時は、駅からほんの少しだけ歩いたところにアジア食品店が2ヶ所ぐらいあるので、そこに足を運べば問題ないです。もちろん少しだけ値段が高いです。

2、授業
授業はDaFのコースを中心としていました。その他の授業は聴講生という形で興味あるものに参加しました。中でもJapanologieの授業には数多く参加しました。DaFのコースは週に6コマあり、試験は学期に2回ありました。この試験は普通に授業に参加し、自分なりに予習や復習をしていれば、まったく問題ないと思います。

3、生活について
とにかくTrierについてからは部屋を探しました。まずは駅前にあるホテルにとりあえず泊まりながら、大学に毎日通いました。大学の掲示板の前で、辞書を片手に慣れないドイツ語と必死に戦いました。そして、良さそうなものがあったら電話してコンタクトをとり、その部屋を見学しに行きました。そういったことを一週間ぐらい繰り返しいたら、たまたま先に留学している友達にドイツ人を紹介してもらい、結果的にその人から学生寮に空きがあることを教えてもらいました。大学まで歩いて15分ぐらいのところだったのですが、ちょっと面倒くさいと思い、留学の後半は大学の目の前にある違う寮に引っ越しました。 

  大学が始まった頃は、Einführungsseminarで知り合った他の国の人たちとよく遊びました。映画やクラブに行ったり、一緒にご飯を作ってテレビを見たり、単純にみんなでパーティーをして飲んだりしました。その他にも一緒にドイツ国内、また違う国も旅行したりしました。しかし、Japanologieの学生達と友達になり始めてからは、そちらの友達とほとんど遊ぶようになりました。Japanologieの学生とは一緒にタンデムをして、お互いにドイツ語や日本語を話して勉強しました。自分はタンデムにすごく力をいれていたので、ほぼ毎日誰かとタンデムしていました。

4、留学を終えて
この留学は私にとって一生忘れられないものとなりました。ここでは本当に多くのことを学び、経験しました。なんとなく憧れていた留学が現実となり、不安を抱えながらドイツに飛びました。そして、色々な思い出とともにあっという間にこの一年間が過ぎて行きました。

学習面においても多くを学びましたが、私にとって一番大きかったことは、なによりも、多くの他の国の人と交流し、違う価値観や考え方に触れたことです。これは、勉強なんかよりももっと大事だと私は思っています。時には楽しく、時にはお互いの意見をぶつけ合って喧嘩したりなど、全てが本当にいい思い出です。この経験から自分は少しだけ変わったと確信しています。

5、アドバイス
現在、少しでも留学を考えている人がいるならば、私は間違いなく行くことをお勧めします。誰でも留学に対して不安はあります。私はドイツ語がそんなにできなかったので、かなり不安でした。だけど、そんなことはいくらでも変えられると思います。今しかチャンスがないなら絶対に行くべきです。自分もそんな不安の中で留学を経験した一人なので、やはり留学を強くお勧めします!!!

SS 2008 bis WS 2008/09 A.S.さんからの中間報告
 Trierはルクセンブルク国境付近、モーゼル川沿いに位置し、世界遺産が数多く存在するドイツで最も古い都市のひとつです。日本ではあまり有名な街ではありませんが、観光地としてヨーロッパでは有名で、週末には街中で観光客をよく見かけます。小さい街ですが、必要なもの(アジアンマーケットなど)は揃っており、生活するには困りません。

家探し
  私は新規留学生のための準備コース開講の1週間前にTrierに到着し、安ホテルに宿泊しながら家探しをしました。学生課の住居案内や、学内に張り出されているWG募集のチラシ、AAAの方にPrivatの寮の連絡先を教えてもらい、とにかく電話をしました。語学力が及ばず中々うまくいきませんでしたが、運よく学校から徒歩2分のPrivatの寮に空きがあり、3月中は仮住まいで友人と2人暮らし、4月からはキッチン、風呂付の一人部屋に入居することができました。

準備コース
 準備コースは、午前中はレベル別語学コース、午後は手続きとなっており、学籍登録、住民登録、口座開設、ビザの申請、保険申込など、必要な諸手続きをクラス全員で学生チューターに助けてもらいながら一斉に行います。履修登録の相談などにものってもらえます。また交流イベントも多く、夜はKneipentour(居酒屋ツアー?)やFilmabend、週末にはExkursionがあり、他の留学生と仲良くなる絶好の機会でした。ぜひ参加することをお勧めします。

授業
 夏学期中、私はDaFコース3コマ、JapanologieのProseminar(日本の歴史・文化について)、GeschichteのVorlesung(第三帝国における教会の抵抗運動および同調について)、そしてJapanologieの日本語の語学コースにアシスタントとして参加しました。空き時間にはJapanologieの学生とタンデムをして、お互いの宿題を手伝ったり、日常会話から語彙を増やしたりしました。Japanologieの学生はタンデムパートナーを探している人がとても多く、日本人留学生がパートナーを探すことはとても容易です。私は夏学期5人のタンデムパートナーに恵まれました。正規の学生と机を並べる授業では、残念ながら内容をほとんど理解できなかったので、私はタンデムの時間を重要視しました。

余暇
 夜は友人と一緒に勉強をしたり、一緒に食事をしたりし、週末はカフェに行って勉強したり、パーティ、バーベキュー、旅行など…さみしさを感じることはほとんどありませんでした。Trierに来て本当に良かったと思うのは、ここでしか会うことのできなかったたくさんの人たちと仲良くなれたことです。

 私は歌うことが大好きで、日本でもアカペラサークルや地域の合唱団に所属していました。ドイツでもその趣味を続けたいと思い、大学の合唱団に入団しました。ドイツ語での練習は、最初は何が何だかわからなくて大変でしたが、夏学期の終わりに大学の大講堂でコンサートの舞台に立つことができたのは一生の思い出です。

留学を半分終えて
 現在は専門演習でのテーマに沿った文献を読んだり、DaFコースのレベルも上がってプレゼンやレポート提出など、夏学期よりさらにつっこんだ勉強をしています。帰国準備や就職活動など、するべきことに追われる毎日ですが、今ここでしかできないことを存分にして、胸を張って日本に帰りたいです。

SS 2007 bis WS 2007/08 (匿名希望)さんからの中間報告
Trierの町の様子
 Trierは人口10万人の小さな町です。しかし日常に必要なものはほとんど町の中で手に入るのですごく暮らしやすいと思います。例えば日本食材がほしいときなどは駅の近くにあるアジア食品店か、そこから少し離れたところにあるもうひとつのアジア食品店に行けば大体は手に入ります。そのほかにも町の中にはボーリング場、プール、ディスコ、映画館などもあり、小さい町だけれど飽きることはないと思います。

 この町のシンボルはローマ時代に建てられ、現在は世界遺産になっている黒い門「ポルタ・ニグラ」です。そのほかにも町のいたるところにローマ時代の遺跡があります。そのため休日になると、ルクセンブルクなどから来た旅行者がたくさん訪れます。しかし旅行者が多いにもかかわらず、治安はすごくいいと思います。また夜になると、一面に広がる星空を眺めることが出来ます。しかしTrierの天気は変りやすく、晴れていたのにいきなり雨が降ったり、また雨が降っていたのにいきなり晴れたりと不規則なのでそれが少し困ります。

大学・授業の様子
 大学は町からバスで15分くらい行った丘の上にあります。大学までのバスは多いのでそこまで交通面での不便はないと思います。大学の周りは本当に静かだし、図書館やスポーツ施設も充実しているので留学生活を送るにはとてもいいところです。

 私は学期が始まる前に三週間ほどEinführungsseminarをしました。これは大学の授業についていけるかどうか不安のある留学生を対象にしたドイツ語コースです。最初にクラス分けテストをして、3つのグループに分けられました。それぞれのグループには大学の正規の学生が一人ずつチューターとして、いろいろ相談にのってくれたり、手伝ってくれます。またこの時に学籍登録、銀行口座の開設、住所登録など留学で必要なことをすべてやるのでこのコースには参加したほうがいいと思います。

 学期が始まると私はDaFのコースを中心にとっていました。週に6コマあり、進んでいくスピードも速いので大変でした。試験は学期中に二回行われました。これらの試験は普段の授業で予習復習をしていれば何にも問題はないと思います。私のグループにはスペイン人、トルコ人、フランス人、イタリア人など、いろいろな国の人がいました。そのほかにもJapanologieのSeminarに聴講生として参加していました。

 学期中はさまざまな催し物がありました。例えばJapanologieで月に一度あるStammtischや、七夕、友達の誕生日会、そして学期末には日本や、それぞれの国に帰っていく友達のためのAbschiedspartyなど、本当に楽しかったです。

 また学期中には一週間くらいPfingstferienという休みがあり、前学期から留学していた日本人の先輩と一緒にドイツ国内を旅行しました。

生活について
 私は町の中心から歩いて15分くらいのところにある、モーゼル川沿いのPrivatの寮に住んでいます。ここではキッチンとシャワーが共同で、ひとつのフロアにだいたい15人くらい住んでいます。私のフロアにはドイツ人はもちろんこと、シリア人、アメリカ人、カメルーン人、モロッコ人などいろいろな国の人が生活しています。この寮に住んでいるほとんどの学生は正規の学生なので、ドイツ語がまったく問題なく話せます。そのためよくキッチンで顔あわせたら、勉強を教えてもらったり、ドイツ語の表現を教えてもらったりしています。しかし学校までが遠く、毎日片道約45分かけて行かないといけないので大変です。

 休日は仲の良いほかの国から来た留学生達とサッカーをしています。またサッカーをしないときもほかの友達と映画を見に行ったり、その人の家でご飯を作ったり、モーゼル川沿いでみんなでバーベキューをしたり、町まで行って飲みに行ったりしていました。私の寮には日本人が私しかいないので、一緒の時期に留学しに来て同じ寮に住んでいるアメリカ人とオーストラリア人たちととても仲良くなり、学校が終わったあとなど必ず誰かしらの部屋をノックしてちょくちょく遊びに行っていたと思います。特にオーストラリア人とはいつも一緒で、二人でジムに行ったり、ディスコに行ったり、飲みに行ったりしていました。

留学を半分終えて
 私の中でこのSommersemesterはとても充実したものだったと思います。ほかの留学生と仲良くなったり、Japanologieの学生とタンデムをしたり、日本人の学生たちとパーティをしたり。こんなに充実したのは初めてだと思うくらい色々なことがありすぎました。この学期で仲良くなった留学生はほとんどそれぞれの国に帰ってしまい、少し寂しいです。しかし来学期にまた素敵な出会いがあるということを信じて、あと半分の留学生活を楽しんでいこうと思います。

WS 2005/06 bis SS 2006 伊藤志織さんからの体験記
生活や寮について
ドイツに来る前に日本で5日間くらいTrierの安いホテルを予約して、そのホテルに泊まりながら部屋探しをしました。

インターネットと大学のWGメイト募集の張り紙をチェックして、良さそうなところは見に行ったり、大学のAAAには「部屋が見つからなくて困っているので寮の空き部屋があったら教えて欲しい」と伝え、その後もAAAには空き部屋が見つかったかどうか、こまめに足を運びました。

ドイツ語がかなり拙かったことも手伝って部屋探しは難航し、結局ホテルには8日間ほど滞在しましたが、10月の始めにAAAから大学まで徒歩5分ほどの寮の一部屋(トイレ・お風呂・キッチンが共同の3人部屋)を紹介してもらいました。

家賃は毎月インターネットと水道代・光熱費込みの265ユーロ(Trierの平均家賃と比べるとこの金額は高めです)で、入寮するときに300ユーロくらい敷金を払いました(この敷金は寮を出るときに返ってきました)。ちなみにTrier大学の寮は全部で7個あって、その他にprivatの寮もあります。

授業
冬学期はDaFの週12時間の集中コースに加えGermanistikの講義を2つ(ロマン派についてのものと、演劇についてのもの)、Kunstgeschichteの講義を1つ(色彩方法についてのもの)、Geschichteの講義を1つ(ヨーロッパの独裁者についてのもの)と、Japanologieの授業、 夏学期はGermanistikの講義(ドイツロマン派についてのもの)、Kunstgeschichteの講義(フランス印象派の画家について)、Geschichteの講義(ヨーロッパの宗教と社会についてのもの)、Politikの講義(ドイツの政治体制についてのもの)に行きました。

「単位振り替えはそんなにできないもの」と割り切って、授業を楽しみました(実際、単位振り替えの為の提出書類や審査はとても厳しいです)。

留学を終えて。アドバイス。
私は3年生の5月半ばあたりまで留学の時期を4年生の春からにするか、3年生の後期からにするか悩んでいましたが、「善は急げ」「思い立ったが吉日」だと、締め切りぎりぎりに心を決めてはバタバタと必要書類を送り、9月末にTrierへ渡りました。

始めの2週間ほどは寂しくてどうなることかと思いましたが、その後色々な国の友達はできたし、旅行もたくさん行ったし、大充実の一年になりました。支えてくれた友人、家族には本当に感謝しています。

これから留学する学生さん、自分次第で楽しさは無限です。たくさん刺激を受けてきてください。

 ヴュルツブルク大学

SS 2004 bis WS 2004/05 米山貴子さんからの体験記
大学
町中と町の中心から少し離れた所(Am Hubland)に別れていて、私の専攻したドイツ学、日本学がある建物はHublandにある。Hublandの大学の敷地は比較的広く、図書館、学食、語学センターなどがある。町の中心から少し離れているので、通うのが少し面倒だが大学行きのバスがあるので問題はない。


ビュルツブルクは大きすぎず小さすぎない町なので、ちょうどよい大きさで不便なことはなく住みやすい。交通機関はバスと路面電車かあり、町中たいていの場所へはバスで行くことができる。

授業について
私が履修した授業は主専攻としてドイツ言語学入門講義とドイツ言語学ゼミI、副専攻として中世ドイツ学入門ゼミと日本学の小説の講読ゼミ、その他に外国語としてのドイツ語の授業としてOberstufe 1、Wortschatz、Landeskunde(Oberstufe)だった。

ドイツ学、日本学の学生たちはとても積極的に授業に参加してる。日本の学生とは学ぶ意欲が違う。当然のことだが、質問があったらすぐに質問するということがドイツの学生には出来て日本の学生にはできていない気がした。特にドイツ語の授業で思ったが、日本人には大勢の前で発言するという事に対する恥ずかしさと恐れがあるように思えた。

授業の特徴をあげてみると、ドイツ言語学の講義とゼミでは入門であるだけに、基本的な理論や概念をじっくり学んでいく。私はその授業の内容、進め方がとても良いと思った。三年修了時点で留学をしたので基本的専門知識はあって当たり前のはずなのに、実はほとんど分かっていないことに気付かされた。この留学中に改めてちゃんと勉強できた。


日本学の学生が主催したクリスマスパーティー

日頃の授業への取り組み方としては、ドイツ言語学ではノート、プリント、入門書、時にはインターネットも利用して予復習をしていた。ゼミでは出された課題もやっていた。講義、ゼミ共に入門なので、難しくついていけないということはほとんどなかった。中世ドイツ学のゼミは中高ドイツ語(Mittelhochdeutsch)から新高ドイツ語(Neuhochdeutsch)への翻訳が主な内容で、そのための文法知識や当時の作品の特徴なども学ぶ。予復習にはかなりの時間がかかった。ただでさえままならないドイツ語力で中高ドイツ語を学ぶことは大変難しい。試験の時は外国人学生のみ辞書持ち込み可だが、それでも理解するのは大変だった。

日本学のゼミでは日本語の小説をドイツ語へ翻訳し、授業中に訳を発表するため、毎日の事前予習は欠かせず、その予習はドイツ人学生と協力してやっていた。翻訳におけるお互いの難点を一緒に取り組むことで補うことができた。

ドイツ語の授業では毎回出される課題を主にやっていた。Oberstufeでは文法の学習はほとんどせず、主に毎回一つのテーマについて話し合ったり意見を言ったりするディスカッションタイプの授業であった。

生活について
私が住んでいたのは寮ではなく一般の家で、ドイツ人とルーマニア人の女の子との3人WGだった。人にもよるが、私たちの場合は共同生活に付き物の問題はまったくなかった。3人とも仲がよく、よく一緒にご飯を作って食べたり、一緒に出掛けたりもした。ビュルツブルクでできた友達は、まず語学コースでの友達で、日本人の他に主にスペイン人の友達が多く、よく一緒にに飲みに行ったりディスコに行ったりした。それから、日本学の学生の友達も多い。毎週木曜のStammtischという日本学の学生と日本人や日本に興味のある人の集まりがあり、ゼミのほかはそこで知り合った学生と仲良くなった。

留学を終えて
留学中にやったことは何であれ、すべて自分の身になったと思う。特に苦労したことは必ず身になると思った。私の留学は実を言うと一年間で最初の半期は休学留学だった。留学前にドイツの大学からの入学許可を待ったが結局正式に入学するにはDSHが必要で、正規の学生として大学に登録することはできなかったので、2004年夏学期中は語学コースに通い、9月にDSH準備コースをうけ、10月にはDSHに合格した。この合格によりあとの半期を認定留学にできたというわけである。DSH準備コースはこの留学の中で大変だったことの一つである。合格したいが受かるかわからないという不安と精神的プレッシャーが大きくつらかった。他に大変だったことは家探しである。大学の寮の申請を出さなかったため、ドイツに着いてすぐ家を探さなければならなかった。ドイツには家探しから契約までたいてい自分でやらなければならないので大変だったが、むしろやってよかったと思っている。

これから留学する学生へのアドバイス
留学をしたいと思っている人は絶対してください。人によって留学をするにはいろいろ問題があるだろうけれど、思い止まってしまったら後で後悔します。留学をするとしないでは本当に大きな違いがあります。どんなかたちであれ留学を通して学ぶことはたくさんあります。

それから、留学をする人はドイツへ行ったらひたすらドイツ語を使ってください。家や図書館に閉じこもって書くだけでなく、外に出て話してください。書くことは日本でも出来ますが、話すこと聞くことはドイツで勉強できる人の特権です。特にこのことはアドバイスしておきたいのですが、ドイツに行ってまで日本人だけでかたまらないほうが良いです。これをするとドイツ語を話す機会が減るばかりか、まわりの人も近寄りづらくなります。ドイツにいる以上、その場でしかできないことを無駄にしないでください。

これから留学する学生、留学を考えている学生たちの成功をいつも祈っています。

★米山さんからの追加情報(2022.9.6)
ヴュルツブルク大学の日本学部は2006年にニュルンベルク大学(Universität Erlangen-Nürnberg)への移転が決まり、現在ヴュルツブルク大学には日本学部はありません。日本語コースは引き続き開設されています。

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