2月22日(日)バッハ・コレギウム・ジャパン 第111回定期演奏会
バッハ:世俗カンタータ・シリーズ Vol.5
汝の死を憶えよ 〜追悼のカンタータ集~
東京オペラシティコンサートホール
【曲目】
<オルガン前奏>
♪プレリュードとフーガ ヘ短調BWV534
♪オルガン・コラール「我ら苦難の極みにある時」BWV641
♪オルガン・コラール「我はあなたに叫び求めん、主イエス・キリストよ」BWV639
Org:鈴木優人
1. バッハ/カンタータ第104番「神の時こそ こよなき時」BWV106
♪♪♪ 2. クーナウ/バッハ編/「義しき者は滅ぶとも」BWV deest
3. ホフマン/「打ちて告げよ、待ち焦がれし時を」BWV53
4. バッハ/カンタータ第198番「公妃よ、いま一条の光を」BWV198
【演 奏】
S:ジョアン・ラン/カウンターT:ロビン・ブレイズ/T:ゲルト・テュルク/B:ドミニク・ヴェルナー
鈴木雅明 指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
バッハのカンタータを聴く機会は多いが、番号を聞いて曲が浮かぶものはそれほど多くはない。そんな中、104番のカンタータは僕が最も好きな作品のひとつ。それが演目に入っていたので、この演奏会に出かけた。
まずはBCJの定期演奏会のセレモニーとしてオルガンの前奏。今日は優人さんが演奏した。拍節感の佇まいが心地よく、優しく端正なオルガンの響きがホールを満たし、「追悼のカンタータ集」という今日のテーマの前奏に相応しい空気を整えた。
歌詞対訳が欲しかったので購入したプログラムの巻頭で、鈴木雅明氏が今日の演奏会をについて「過去の2回の大震災の節目でもあり、終戦70年という区切りでもある年に創立25周年を迎えるBCJの初めの演奏会にちなんで、[追悼]をテーマにした」といった内容を書いていて、後半の演奏開始前には、鈴木氏によるお話もあった。
追悼行事のために書かれた106番の第1曲、ソスティーナでガンバが緩やかな足取りの通奏低音に乗って奏でられた瞬間、広いステージで演奏者が座る場所だけに淡い光が灯されているような感覚を覚えた。これは葬列の足取りだろうか、それとも、天国へと召される魂の歩みだろうか… そこへ重なる2本のリコーダーのシンプルな調べは、痛みを共有したように親密に心に寄り添ってくる。この最少人数によるアンサンブルが息を合わせ、労わるように語りかけてくるのを聴いただけで、全身がジワジワっと温かいもので満たされた。そして「神の時は…」と歌い始めた合唱の、何と比類のない美しい発音と清らかで艶やかな響き!大きなホールの3階に座っている自分にだけ歌いかけてもらっているような、プライベートな感覚。
BCJの演奏からは、歌のパートであれ、器楽パートであれ、一つ一つのフレーズで「言葉」が発せられるのを感じる。お互いの息遣いを伺いつつ、言葉や音の末端まで神経を行き届かせ、最良の姿を描いて行く。それは、ひとつひとつのパーツを丹精込めて精巧な手工芸美術品を作り上げ、仕上げに「魂」を入れる行為のようにも感じる。それにしてもこの106番のカンタータは、何と美しい調和に司られた音楽なんだろう。聴き進むうちに、心が温かいもので満たされ、「命」を神様に委ねる準備ができてしまうのがわかる。そんな素晴らしい音楽が、優れたソリストを始めとしたBCJの精鋭メンバーによって、心を込めて、また卓越した御業で演奏され、珠玉の輝きを放った。もうこれを聴けただけで幸せだ。
後半は、「追悼」のテーマに相応しい、柔らかな空気で包まれた合唱曲と、実際に打ち鳴らされる追悼の鐘と共に歌われた、死をむしろ晴れ晴れとした気持ちで待ち望む歌曲に続き、ザクセンのエーバーハルディーネ侯妃の葬儀のために書かれた大規模な世俗カンタータが演奏された。
バッハのカンタータは、馴染みが薄い曲であっても、聴けば心から感動することが多いが、この曲に関しては残念ながら正直殆ど心に響かなかった。それは、普遍的な摂理をテーマとした106番とは異なり、自分には全く馴染みのない侯妃の死を悼む音楽であるためかも知れない。もしこの曲が教会カンタータに転用されたら、全く違う感動を味わえたかもとも思え、こちらの聴く姿勢に問題があったのかも知れない。
鈴木氏はMCで「この侯妃は政治的なプレッシャーに抗い、プロテスタントの信仰を貫き通した、という意味で、音楽に宗教的な意味合いが込められたと考えてもいいし、侯妃ではなく、自分にとって身近な故人に置き替えて聴いてもいい」と言っていたので、そんな気持ちで聴こうとしたが、侯妃(Fürstin)とか女王(Königin)という言葉が散りばめられていると、なかなかそんな気分になるのは難しい。いっそのこと、単純な機会音楽と割り切って聴いた方が楽しめたかもしれない。
バッハ・コレギウム・ジャパン 第108回定期演奏会 2014.6.1 東京オペラシティコンサートホール
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バッハ:世俗カンタータ・シリーズ Vol.5
汝の死を憶えよ 〜追悼のカンタータ集~
東京オペラシティコンサートホール
【曲目】
<オルガン前奏>
♪プレリュードとフーガ ヘ短調BWV534
♪オルガン・コラール「我ら苦難の極みにある時」BWV641
♪オルガン・コラール「我はあなたに叫び求めん、主イエス・キリストよ」BWV639
Org:鈴木優人
1. バッハ/カンタータ第104番「神の時こそ こよなき時」BWV106
3. ホフマン/「打ちて告げよ、待ち焦がれし時を」BWV53
4. バッハ/カンタータ第198番「公妃よ、いま一条の光を」BWV198
【演 奏】
S:ジョアン・ラン/カウンターT:ロビン・ブレイズ/T:ゲルト・テュルク/B:ドミニク・ヴェルナー
鈴木雅明 指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
バッハのカンタータを聴く機会は多いが、番号を聞いて曲が浮かぶものはそれほど多くはない。そんな中、104番のカンタータは僕が最も好きな作品のひとつ。それが演目に入っていたので、この演奏会に出かけた。
まずはBCJの定期演奏会のセレモニーとしてオルガンの前奏。今日は優人さんが演奏した。拍節感の佇まいが心地よく、優しく端正なオルガンの響きがホールを満たし、「追悼のカンタータ集」という今日のテーマの前奏に相応しい空気を整えた。
歌詞対訳が欲しかったので購入したプログラムの巻頭で、鈴木雅明氏が今日の演奏会をについて「過去の2回の大震災の節目でもあり、終戦70年という区切りでもある年に創立25周年を迎えるBCJの初めの演奏会にちなんで、[追悼]をテーマにした」といった内容を書いていて、後半の演奏開始前には、鈴木氏によるお話もあった。
追悼行事のために書かれた106番の第1曲、ソスティーナでガンバが緩やかな足取りの通奏低音に乗って奏でられた瞬間、広いステージで演奏者が座る場所だけに淡い光が灯されているような感覚を覚えた。これは葬列の足取りだろうか、それとも、天国へと召される魂の歩みだろうか… そこへ重なる2本のリコーダーのシンプルな調べは、痛みを共有したように親密に心に寄り添ってくる。この最少人数によるアンサンブルが息を合わせ、労わるように語りかけてくるのを聴いただけで、全身がジワジワっと温かいもので満たされた。そして「神の時は…」と歌い始めた合唱の、何と比類のない美しい発音と清らかで艶やかな響き!大きなホールの3階に座っている自分にだけ歌いかけてもらっているような、プライベートな感覚。
BCJの演奏からは、歌のパートであれ、器楽パートであれ、一つ一つのフレーズで「言葉」が発せられるのを感じる。お互いの息遣いを伺いつつ、言葉や音の末端まで神経を行き届かせ、最良の姿を描いて行く。それは、ひとつひとつのパーツを丹精込めて精巧な手工芸美術品を作り上げ、仕上げに「魂」を入れる行為のようにも感じる。それにしてもこの106番のカンタータは、何と美しい調和に司られた音楽なんだろう。聴き進むうちに、心が温かいもので満たされ、「命」を神様に委ねる準備ができてしまうのがわかる。そんな素晴らしい音楽が、優れたソリストを始めとしたBCJの精鋭メンバーによって、心を込めて、また卓越した御業で演奏され、珠玉の輝きを放った。もうこれを聴けただけで幸せだ。
後半は、「追悼」のテーマに相応しい、柔らかな空気で包まれた合唱曲と、実際に打ち鳴らされる追悼の鐘と共に歌われた、死をむしろ晴れ晴れとした気持ちで待ち望む歌曲に続き、ザクセンのエーバーハルディーネ侯妃の葬儀のために書かれた大規模な世俗カンタータが演奏された。
バッハのカンタータは、馴染みが薄い曲であっても、聴けば心から感動することが多いが、この曲に関しては残念ながら正直殆ど心に響かなかった。それは、普遍的な摂理をテーマとした106番とは異なり、自分には全く馴染みのない侯妃の死を悼む音楽であるためかも知れない。もしこの曲が教会カンタータに転用されたら、全く違う感動を味わえたかもとも思え、こちらの聴く姿勢に問題があったのかも知れない。
鈴木氏はMCで「この侯妃は政治的なプレッシャーに抗い、プロテスタントの信仰を貫き通した、という意味で、音楽に宗教的な意味合いが込められたと考えてもいいし、侯妃ではなく、自分にとって身近な故人に置き替えて聴いてもいい」と言っていたので、そんな気持ちで聴こうとしたが、侯妃(Fürstin)とか女王(Königin)という言葉が散りばめられていると、なかなかそんな気分になるのは難しい。いっそのこと、単純な機会音楽と割り切って聴いた方が楽しめたかもしれない。
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