10月15日(日)下谷教会音楽賛美礼拝
日本基督教団 下谷教会
【音楽夕礼拝 次第】
♪ (前奏)バッハ/ファンタジア BWV562
☆ 招きの言葉
♪ (賛美)11(1954)
☆ (祈祷)
♪ (演奏)バッハ/カンタータ第99番「神の御業は善きことなり」BWV99
☆ (聖書)マタイによる福音書第6章25~34節
♪ (賛美)Ⅱ-57
☆ (説教)「まず神の国と神の義とを求めよ」
♪ (賛美)326(1954)
♪ (献金)こどもさんびか
♪ (賛美)546(1954)
☆ (祝祷)
「まず神の国と神の義とを求めよ」
♪ (後奏)
司式・説教:藤田義哉/オルガン:藤田 泉
【カンタータ演奏】
S:石合陽菜/A:高橋和真/T:石黒達也/B:玉山彰彦
沼田臣矢指揮 東京藝術大学バッハカンタータクラブ
♪ カンタータクラブによる楽器紹介 ♪
♪(管楽アンサンブル)ラヴェル/ボレロより
♪(チェンバロ&オルガン デュオ)サザエさん「エンディングテーマ」
♪(弦楽合奏)芥川也寸志/弦楽のための三楽章「トリプティーク」~第1楽章
藝大バッハカンタータクラブは、20年来のルーティン活動として地元の下谷教会での音楽礼拝でカンタータを演奏している。先月の藝祭ではちゃんと聴けなかった曲をやるし、何より本来教会の礼拝のために書かれたバッハの教会カンタータを、実際の礼拝のなかで体験できることに興味を引かれて夫婦で初めて出掛けた。下谷教会は、プロテスタント教会としては珍しい立派なオルガンを備え、キレイでアットホームな空間。
礼拝が始まる前、牧師さまより、カンタータクラブの演奏は礼拝の一部として行われるものなので、演奏後の拍手はご遠慮頂きたい旨のアナウンスが入った。礼拝が神様への祈りを捧げる厳粛な場であることを謳ったもので、信者でなくても自ずと背筋が伸びる。カンタータの演奏は一連の礼拝の次第のなか、祈祷が終わったあとに全曲通して行われた。バッハの時代の礼拝形式を踏襲しているわけではなさそうだが、カンタータの内容に合わせた箇所の聖書朗読、説教、讃美歌の唱和という一連の礼拝の中でカンタータ演奏が果たす役割がはっきりとわかった。
カンタータクラブの演奏は、この役割を担うのに相応しいものだった。冒頭の合唱を導く管弦楽は優しくかつ生気に溢れ、人々を「思い煩い」から解き放つように奏でられ、続く合唱によるコラールは、迷うことなく神様に自らを委ねる気持ちが真っ直ぐに、喜びを以て届いてきた。ソリストの多くは藝祭とは違ったが、どの歌からも言葉を大切にし、共感を伝える姿勢が感じられた。とりわけ玉山さんの歌ったバスのレチタティーヴォからは、確信と気高さが伝わってきた。そして最後に歌われるコラールが、それまでレチタティーヴォやアリアで歌われた内容を総括する。いつもながらのカンタータクラブの、喜びと愛に満ち、ひたすら素直に聴き手の心に届く歌が、いつもに増して心に沁みた。本来会衆の信仰と教義への共感の証しとしてカンタータの最後で歌われるコラールを礼拝のなかで聴くことで、その意味をはっきりと認識した。
シンプルで親しみ易いメロティーに乗って、平易な言葉で歌われるコラール、この「音楽賛美礼拝」では、礼拝のなかで5曲もの讃美歌を皆で歌った。牧師様の美声で上品な語り口の聖書朗読や福音を解説する説教を聴き、それに相応しい讃美歌を教会に集まってきた人たち(土地柄もあっていろいろな世界の人達が集っていた)で共に声を合わせることで連帯感や高揚感が生まれる。これこそ、ルターがちょうど500年前に始めた宗教改革で目指した「ただ聖書を拠り所とし、ひたすら信じることで救済される」という信仰の目的を実現する手段として、神学に次いで重要とルターが位置付けた音楽であるコラールを取り入れたことの意味を、身を持って体験することが出来た。礼拝の最後には、カンタータクラブによってカンタータの終結コラールが再び演奏された。できれば大好きなカンタータクラブのメンバーと一緒にドイツ語で歌いたかったな。
礼拝終了後、素敵な演奏を奉げてくれたカンタータクラブによる「楽器紹介」というお楽しみがあった。管楽器、鍵盤楽器、弦楽器についてメンバーによる楽しくためになる紹介と共に、それぞれがアンサンブルで演奏を披露した。カンタータクラブのメンバーがしゃべるのを聴く機会や、「カンタータクラブ」として、バッハやその周辺の作曲家以外の演奏を聴く機会も貴重だ。さすが藝大生は何を演奏しても上手く、特に弦楽アンサンブルでやった芥川の曲がかっこよかった。こうして地域に貢献する活動を続けることは素晴らしい。
藝祭2017(1日目)
CDリリースのお知らせ
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け
日本基督教団 下谷教会
【音楽夕礼拝 次第】
♪ (前奏)バッハ/ファンタジア BWV562
☆ 招きの言葉
♪ (賛美)11(1954)
☆ (祈祷)
♪ (演奏)バッハ/カンタータ第99番「神の御業は善きことなり」BWV99
☆ (聖書)マタイによる福音書第6章25~34節
♪ (賛美)Ⅱ-57
☆ (説教)「まず神の国と神の義とを求めよ」
♪ (賛美)326(1954)
♪ (献金)こどもさんびか
♪ (賛美)546(1954)
☆ (祝祷)
「まず神の国と神の義とを求めよ」
♪ (後奏)
司式・説教:藤田義哉/オルガン:藤田 泉
【カンタータ演奏】
S:石合陽菜/A:高橋和真/T:石黒達也/B:玉山彰彦
沼田臣矢指揮 東京藝術大学バッハカンタータクラブ
♪(管楽アンサンブル)ラヴェル/ボレロより
♪(チェンバロ&オルガン デュオ)サザエさん「エンディングテーマ」
♪(弦楽合奏)芥川也寸志/弦楽のための三楽章「トリプティーク」~第1楽章
藝大バッハカンタータクラブは、20年来のルーティン活動として地元の下谷教会での音楽礼拝でカンタータを演奏している。先月の藝祭ではちゃんと聴けなかった曲をやるし、何より本来教会の礼拝のために書かれたバッハの教会カンタータを、実際の礼拝のなかで体験できることに興味を引かれて夫婦で初めて出掛けた。下谷教会は、プロテスタント教会としては珍しい立派なオルガンを備え、キレイでアットホームな空間。
礼拝が始まる前、牧師さまより、カンタータクラブの演奏は礼拝の一部として行われるものなので、演奏後の拍手はご遠慮頂きたい旨のアナウンスが入った。礼拝が神様への祈りを捧げる厳粛な場であることを謳ったもので、信者でなくても自ずと背筋が伸びる。カンタータの演奏は一連の礼拝の次第のなか、祈祷が終わったあとに全曲通して行われた。バッハの時代の礼拝形式を踏襲しているわけではなさそうだが、カンタータの内容に合わせた箇所の聖書朗読、説教、讃美歌の唱和という一連の礼拝の中でカンタータ演奏が果たす役割がはっきりとわかった。
カンタータクラブの演奏は、この役割を担うのに相応しいものだった。冒頭の合唱を導く管弦楽は優しくかつ生気に溢れ、人々を「思い煩い」から解き放つように奏でられ、続く合唱によるコラールは、迷うことなく神様に自らを委ねる気持ちが真っ直ぐに、喜びを以て届いてきた。ソリストの多くは藝祭とは違ったが、どの歌からも言葉を大切にし、共感を伝える姿勢が感じられた。とりわけ玉山さんの歌ったバスのレチタティーヴォからは、確信と気高さが伝わってきた。そして最後に歌われるコラールが、それまでレチタティーヴォやアリアで歌われた内容を総括する。いつもながらのカンタータクラブの、喜びと愛に満ち、ひたすら素直に聴き手の心に届く歌が、いつもに増して心に沁みた。本来会衆の信仰と教義への共感の証しとしてカンタータの最後で歌われるコラールを礼拝のなかで聴くことで、その意味をはっきりと認識した。
シンプルで親しみ易いメロティーに乗って、平易な言葉で歌われるコラール、この「音楽賛美礼拝」では、礼拝のなかで5曲もの讃美歌を皆で歌った。牧師様の美声で上品な語り口の聖書朗読や福音を解説する説教を聴き、それに相応しい讃美歌を教会に集まってきた人たち(土地柄もあっていろいろな世界の人達が集っていた)で共に声を合わせることで連帯感や高揚感が生まれる。これこそ、ルターがちょうど500年前に始めた宗教改革で目指した「ただ聖書を拠り所とし、ひたすら信じることで救済される」という信仰の目的を実現する手段として、神学に次いで重要とルターが位置付けた音楽であるコラールを取り入れたことの意味を、身を持って体験することが出来た。礼拝の最後には、カンタータクラブによってカンタータの終結コラールが再び演奏された。できれば大好きなカンタータクラブのメンバーと一緒にドイツ語で歌いたかったな。
礼拝終了後、素敵な演奏を奉げてくれたカンタータクラブによる「楽器紹介」というお楽しみがあった。管楽器、鍵盤楽器、弦楽器についてメンバーによる楽しくためになる紹介と共に、それぞれがアンサンブルで演奏を披露した。カンタータクラブのメンバーがしゃべるのを聴く機会や、「カンタータクラブ」として、バッハやその周辺の作曲家以外の演奏を聴く機会も貴重だ。さすが藝大生は何を演奏しても上手く、特に弦楽アンサンブルでやった芥川の曲がかっこよかった。こうして地域に貢献する活動を続けることは素晴らしい。
藝祭2017(1日目)
CDリリースのお知らせ
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け