連載:関寛斎翁 その21 斗満・陸別の原野を開拓
関寛斎伝・斗満・陸別の原野を開拓苛酷な自然とのたたかい 明治三十五年、関寛斎は古希を過ぎて七十三歳になった。この年の八月五日、寛斎はアイ夫人に見送られ、三男餘作らとともに札幌を出発し、未...
連載:関寛斎翁 その20 阿波を発ち原生林を踏破して陸別へ
世の中を渡りくらべて今ぞ知る 阿波の鳴門は浪風ぞなき寛斎は、感傷に浸る性癖は薄いほうだが、穏やかな鳴門の海を進む船縁に立って、苦節の皺が目立ちはじめたアイの横顔と、遠
連載:関寛斎翁 その19 身をば思わぬ身こそ安けれ
§関寛斎の人物像については、多くの識者が分析している。激動の時代を背景に、類いまれなる才能と豊富な人脈と資金力。これらを背景に、極めて用意周到に、また抜け目なく、北海道開拓の準備を
連載:関寛斎翁 その18 司馬遼太郎 札幌農学校
§作家司馬遼太郎氏は、「胡蝶の夢」の中で、松本良順、島倉伊之助と並び関寛斎に強い思い入れを持ってその足跡を描いている。その心情を「私事」として、あとがき風に吐露している部分を引用
連載:関寛斎翁 その17 近代国家の成立と蝦夷地併合
ここから本連載は関寛斎の北海道入植編に入るわけだが、その前に当時の北海道はどのような状...
連載:関寛斎翁 その16 永遠の理想を求めて
永遠の理想を求めて家庭内での苦悩が重なったのも、このころであった。彼が期待をかけた長男...
連載:関寛斎翁 その15 決意表明
図表:関寛斎 戸石四郎 より子供たちが準備した金婚式の宴の席で、寛斎は自らの北海道移住を切り出した。もちろん皆口々に呆れたり、猛反対したりした。髙田郁氏は「あい永遠に在り」
連載:関寛斎翁 その14 養生心得草
『養生心得草』と養生訓の系譜 《寛斎がその後半生をかけて追求した医道のありようは、一八七五(明治八)年、徳島新聞に発表した『養生心得草』十か条に要約さ...
連載:関寛斎翁 その13 古希の宴
徳島での、関寛斎一家の集合写真です。明治32年、正月4日寛斎さん、70歳となり、家族一同が介して、古希の宴を行った時のことです。寛斎さんの生涯で、一番落ち着いて 安定した、幸せな
連載:関寛斎翁 その12 生三さんのこと
子どもたちのなかで、寛斎の後半生に消しがたい苦悩を刻みこんだのは、長男生三(せいぞう)の存在だった。彼は一八五四(安政元)年、郷里前之内で仮開業した寛斎二四歳のときの出生である。...
連載:関寛斎翁 その10 徳島へ帰還
有名時代小説作家 髙田郁氏が関寛斎の妻の生涯を描いた「あい -永遠に在り-」が、石川さゆり主演の「歌しばい2020」として新橋演舞場で公演されることになりました。...