いちまでぃ くくるや じゅうしちはち
みぃぬ ちびぬる がってぃんさん
「 日の本に 神あり 君あり 光あり 」
縁あって
懇意にしている方たちと
ともに過ごせる このじクウかんは
この先 あとどれくらい 残されているでしょうか・・・
炎天下 色とりどりの 盆灯篭が
青い空に すっきり映えて ほんとうに美しい
「 アジヤ興せば 世界は晴れる 」
仏さまも たくさんの方々が お参りに来られ さぞかし お喜びでしょう。
「 ああ、加計 いうんよ 」 破顔したそのひとが いうには
最近 夜は ずいぶん 涼しくなって、
窓をあければ 冷房なしでも 眠れるのだとか。
照りつけられた 真っ赤な頬に
ときおり すうっと よい風が 吹きぬけていきます。
・・・・・・夏の終わり、か。
先を歩いていた加計 生まれのひとは
ふじ棚の木陰で よく涼んで のろのろ歩く私たちを 待っておりました。
みぃぬ ちびぬる がってぃんさん
入ソ直後の混乱と、
受刑直後のバム地帯での もっとも困難な状況という、
ほぼ二回の淘汰の時期を経て、
まがりなりにも 生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、
人間としては 完全に「均された」状態にあった。
私たちはほとんど おなじようなかたちで 周囲に反応し 、
ほとんど おなじ発想で 行動した 。
受刑直後のバム地帯での もっとも困難な状況という、
ほぼ二回の淘汰の時期を経て、
まがりなりにも 生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、
人間としては 完全に「均された」状態にあった。
私たちは
このような環境のなかで、鹿野武一だけは、
その受けとめかたにおいても、
行動においても、他の受刑者とは はっきりちがっていた。
抑留のすべての期間を通じ、
すざまじい平均化の過程の中で、
最初から 全く孤絶したかたちで 発想し、行動してきた彼は、
他の日本人にとって、しばしば 理解しがたい、
異様な存在 で あったにちがいない。
その受けとめかたにおいても、
行動においても、他の受刑者とは はっきりちがっていた。
抑留のすべての期間を通じ、
すざまじい平均化の過程の中で、
最初から 全く孤絶したかたちで 発想し、行動してきた彼は、
他の日本人にとって、しばしば 理解しがたい、
異様な存在 で あったにちがいない。
しじんとぅ まぐりてぃ いちゃびんでえ
King Crimson - 21st Century Schizoid Man (Including "Mirrors")
「 日の本に 神あり 君あり 光あり 」
縁あって
懇意にしている方たちと
ともに過ごせる このじクウかんは
この先 あとどれくらい 残されているでしょうか・・・
今年も 広島に 参りました。
駅を降り
北に車を走らせ
山の中腹にある墓参りを ご一緒いたしました。
昨年も訪れた 比較的あたらしい その霊園は 区画整備され
まるで 公団住宅のような 真新しい墓石が 並びます。
ここも すぐに 満杯になってしまうでしょう。
北に車を走らせ
山の中腹にある墓参りを ご一緒いたしました。
昨年も訪れた 比較的あたらしい その霊園は 区画整備され
まるで 公団住宅のような 真新しい墓石が 並びます。
ここも すぐに 満杯になってしまうでしょう。
「 国民精神総動員 」
「 進め一億火の玉だ 」
「 進め一億火の玉だ 」
小っちゃな子供たちは 走り回り
墓周りの おそうじ
墓前の あれこれと 大人たちは 忙しい
園内を回り 枯れた墓花で いっぱいになったゴミ屑を
もくもくと片付ける 高齢の管理人さん
墓周りの おそうじ
墓前の あれこれと 大人たちは 忙しい
園内を回り 枯れた墓花で いっぱいになったゴミ屑を
もくもくと片付ける 高齢の管理人さん
「 君は一系 民は一心 」
「 一億 一列 一歩調 」
「 一億 一列 一歩調 」
炎天下 色とりどりの 盆灯篭が
青い空に すっきり映えて ほんとうに美しい
「 アジヤ興せば 世界は晴れる 」
仏さまも たくさんの方々が お参りに来られ さぞかし お喜びでしょう。
「ナークニー」
帰りは 10分ほど 山道を 下ったところにある
芸備線の 無人駅に 向かいます。
暑い、暑いと 歩きながら ふと 思い出した
カケイという 連日猛暑のニュースで 何度も目にした 地を話すと
芸備線の 無人駅に 向かいます。
暑い、暑いと 歩きながら ふと 思い出した
カケイという 連日猛暑のニュースで 何度も目にした 地を話すと
「 ああ、
最近 夜は ずいぶん 涼しくなって、
窓をあければ 冷房なしでも 眠れるのだとか。
照りつけられた 真っ赤な頬に
ときおり すうっと よい風が 吹きぬけていきます。
・・・・・・夏の終わり、か。
先を歩いていた
ふじ棚の木陰で よく涼んで のろのろ歩く私たちを 待っておりました。
みなと 連れだって進む
楽しい にぎやかな道なりに
突如 ぬうっと お稲荷さまの鳥居の現れ
目にも 鮮やかな その優美ないろに ほうっと目を奪われます。
こんにちは。
いくつもの 朱赤のだんだんが 深まる 夢と現 の 境メ
土地神さま。
楽しい にぎやかな道なりに
突如 ぬうっと お稲荷さまの鳥居の現れ
目にも 鮮やかな その優美ないろに ほうっと目を奪われます。
こんにちは。
いくつもの 朱赤のだんだんが 深まる 夢と
鳥居の向こう先を見やると
しめ縄と 真白の紙垂 の 真新しい 小さなお社があります。
しめ縄と 真白の
土地神さま。
よそ者を通していただき
ありがとうございます。どうぞ お健やかに。
ありがとうございます。どうぞ お健やかに。
1. 雨-皿 《あむばるわりあ》無伴奏女声合唱のための
二両のワンマン電車は
老若男女の ひとヒとひト ひとで いっぱいでした。
空きスペースを 何とか見つけ 火照る身体を あずける。
アンティークの調度品と化した
車上の 古めかしい 大きな扇風機は もう 回ることはないでしょう。
山あいの ひとたちを乗せ それぞれの目的 ち へ
まだだ。マだ・・・・・・ナラヌ
何故 まんま咲く イイ夢に まどろむ ゲンザイで「ある」か?
「救い」
「神人合一」「超越」
「悟達ゼン後」などと くちアマい 「かみ」のシト よ
くちサキの 超ヤク定型句
くちマカセな 現臨のイのりが通る 「みと」の トキは すでに過ぎた。
「 生めよ 殖やせよ 国のため 」
秘事は 睫毛にあり。
よい言葉を (いえばいい)(わかればいい)、
ありのままで(在る)何も(必要ない)という ワケでは 「い」けないのです。
「 空へ この子も捧げよう 」
・・・などに よくミられる 良言、至言のタグイは 兎角 ツブシが効くモノですから
それは 臨終にある 人間の かなしい譫妄 で 御座いましょう。
バム地帯のような環境では、
人は、ペシミストになる機会を 最終的に奪われる。
( 人間が人間でありつづけるためには、
周期的に ペシミストになる機会が あたえられていなければならない)。
なぜなら 誰かが ペシミストになれば、
その分だけ 他の者が 生きのびる機会が 増すことになるからである。
かのひとたちと
美味い酒肴を いただいた後 それぞれに 別れ、
今度は 市電に乗って 広島市 中心部 もと町かみや町へ。
盆休みのない 繁忙期の最中
ほんとうは 何処にもいかず 少しでも 横になって休みたい。
・・・・・・けれど、そうもいかず
スキマ時間に よる公開予定のエセー記事を 推敲。
「 神建てし国 神祭る民 」
「 み民いま 立上る時は来た 」
山の日に 「どうしても」 と思い、
徹夜し、出発直前に なんとか 読める形には したものの
本来なら 2,3日の 再考を要する 拙文。
ゴ・ジシンの言葉を よく「観る」といい
老若男女の ひとヒとひト ひとで いっぱいでした。
空きスペースを 何とか見つけ 火照る身体を あずける。
アンティークの調度品と化した
車上の 古めかしい 大きな扇風機は もう 回ることはないでしょう。
山あいの ひとたちを乗せ それぞれの
届けてくれた このつましい路線は 廃止の危機にある。
車窓に あおい 山々が 流れていきます
車窓に あおい 山々が 流れていきます
今は まだ そのときで アってはいけない。
・・・まだです
・・・まだです
まだだ。マだ・・・・・・ナラヌ
何故 まんま咲く イイ夢に まどろむ ゲンザイで「ある」か?
「救い」
「神人合一」「超越」
「悟達ゼン後」などと くちアマい 「かみ」のシト よ
くちサキの 超ヤク定型句
くちマカセな 現臨のイのりが通る 「みと」の トキは すでに過ぎた。
まだ ここに 「イ」続けますか
名を変え 姿かたちを変え
都合が ワルくなりゃ 即トンずら「moha」よ
今度は シャクヤク Steward なりナリし仮想現実世界 の 「よき自分」
よき エンじゃ兄弟に しがみ付かずには 「イ」られない シンガ 「よい」ひとビと よ
都合が ワルくなりゃ 即トンずら「moha」よ
今度は シャクヤク Steward なりナリし
よき エンじゃ兄弟に しがみ付かずには 「イ」られない シンガ 「よい」ひとビと よ
「 生めよ 殖やせよ 国のため 」
むべなるかな。
み言葉ジタイ 「呪術 」に 属するモノゆえに
み言葉ジタイ 「
秘事は 睫毛にあり。
よい言葉を (いえばいい)(わかればいい)、
ありのままで(在る)何も(必要ない)という ワケでは 「い」けないのです。
「 空へ この子も捧げよう 」
・・・などに よくミられる 良言、至言のタグイは 兎角 ツブシが効くモノですから
「 包め 世界を 日本精神 」
非情な一蓮托生 の ミはたらきが 生じてしまう
身口意に 疎 かな 人間の 慢心 による
「よい」 主体主語が いみと 裏腹な コトワリを 徒に 早めます。
「よい」 主体主語が いみと 裏腹な コトワリを 徒に 早めます。
非情な
さきのない 「ヒ」に あるからこその
イジョウに 「よい」ゴト「よい」 言動への イジョウな 執着
イジョウに 「よい」ゴト「よい」 言動への イジョウな 執着
それは 臨終にある 人間の かなしい
Nirvana「 Smells Like Teen Spirit 」
~ ニルヴァーナ 識らぬ輩が ニルヴァーナを説く褻 ~
~ ニルヴァーナ 識らぬ輩が ニルヴァーナを説く
バム地帯のような環境では、
人は、ペシミストになる機会を 最終的に奪われる。
( 人間が人間でありつづけるためには、
周期的に ペシミストになる機会が あたえられていなければならない)。
なぜなら 誰かが ペシミストになれば、
その分だけ 他の者が 生きのびる機会が 増すことになるからである。
かのひとたちと
美味い酒肴を いただいた後 それぞれに 別れ、
今度は 市電に乗って 広島市 中心部 もと町かみや町へ。
「 国あり 我なし この日あり 」
「 一日も 早き お召を たゞ祈る 」
「 一日も 早き お召を たゞ祈る 」
盆休みのない 繁忙期の最中
ほんとうは 何処にもいかず 少しでも 横になって休みたい。
・・・・・・けれど、そうもいかず
スキマ時間に よる公開予定のエセー記事を 推敲。
「 神建てし国 神祭る民 」
「 み民いま 立上る時は来た 」
山の日に 「どうしても」 と思い、
徹夜し、出発直前に なんとか 読める形には したものの
本来なら 2,3日の 再考を要する 拙文。
これも 致し方ない、ありのママ の 自分 でアリます・・・
鉄工島 LIVE 2021「場踊り・場叩き」
「神」「愛」「真実」 をうたい
「全部、と想えない人達」 と宣 い、「すべて」を 言葉で 教え説ける
よき人 、聖霊、神の子をカタリ
さとり、覚醒者の イイには 非言語の表現が まずない。 出来ない。
彼らは 言語で「物事 」を わからせ、教えられるらしい。
ぺらぺら ヨク語る。 ジシンの言葉を 信じている
どうしょうもない。 アリふれた ただの 見栄坊である。
「全部、と想えない人達」 と
よき人 、聖霊、神の子をカタリ
さとり、覚醒者の イイには 非言語の表現が まずない。 出来ない。
彼らは 言語で「
ぺらぺら ヨク語る。 ジシンの言葉を 信じている
どうしょうもない。 アリふれた ただの 見栄坊である。
自己陶酔に 耽る 出来そこない だ。
「西行の和歌における、
宗祗の連歌における、
雪舟の絵における、
利休が茶における、其 貫道する物は一なり」と 芭蕉の 言う
言語を超える次元、
言語のない 非言語の 「ロゴス」 を 感得してイない
彼らの言動には 言語を超える 「 あ る 」 レトリックが ないのだ。
「西行の和歌における、
宗祗の連歌における、
雪舟の絵における、
利休が茶における、其 貫道する物は一なり」と 芭蕉の 言う
言語を超える次元、
言語のない 非言語の 「ロゴス」 を 感得してイない
彼らの言動には 言語を超える 「 あ る 」 レトリックが ないのだ。
Satori Part II
ゴ・ジシンの言葉を よく「観る」といい
独 自 の スタイル や 詩 が ない
練られた 思索 ないし 論理 が ない。
練られた 思索 ないし 論理 が ない。
こころないが故に 行間 は なく むげんを 表現できない。
まことでないが故に 論理破綻した 畸形の道理 を 説いて見せる。
まことでないが故に 論理破綻した 畸形の
AI キカイ人間 に 等しい 定型慣用句、定型思考の イイなり である。
(モノかたり)エセー:「かこ」のふたり
「それから」の ひとりとふたりと( 2024- 8-11 公開)より
「 この短い詩に、私はすくなからず苦しんだ 」
「 ここまで集約するのは 容易ではなかった 」 と 詩人 田中冬二は 言いました。
「 一億が 心一つに 道一つ 」
粋な コトバ 遊び や
真贋のつかない モノ 真似、
高尚な サル芸ぐらい 出来て 当然の行為「ライティング」なのですが。
8月6日 あの原爆に耐えた 龍宮神社という 御社を詣でました。
高天原 に 神留座 す。 神魯伎 神魯美 の詔以 て。皇御祖神伊邪那岐大神 。
筑紫 の日向 の橘 の小戸 の阿波岐原 に 御禊祓 へ給ひし時に 生座 る祓戸 の大神等 。
諸 の枉事罪穢 を拂 ひ賜へ淸め賜へと申 す事の由 を天津神國津神 。
八百萬 の神等共 に 聞食 せと 恐 み恐 み申 す
緋字文は
石原吉郎詩文集「ペシミストの勇気について」(講談社)から。
青と赤の斜字は 戦時下標語・国策標語です。
(モノかたり)エセー:「かこ」のふたり
「それから」の ひとりとふたりと( 2024- 8-11 公開)より
ある覚者が「読む瞑想」と評価する
クリシュナムルティの文章には はっきり 彼とわかる文体 が ございます。
龍樹「根本中頌」も 漢詩の五言絶句、七言絶句に似た 彼独自の詩句 を している。
さて。うちに よく ご訪問くださる 貴方
(モノかたり)エセー「かこ」のふたり
「それから」の ひとりとふたりとは では、
クリシュナムルティの文章には はっきり 彼とわかる
龍樹「根本中頌」も 漢詩の五言絶句、七言絶句に似た 彼独自の
さて。うちに よく ご訪問くださる 貴方
(モノかたり)エセー「かこ」のふたり
「それから」の ひとりとふたりとは では、
クリシュナムルティと 龍樹の 文体スタイルに 倣った
ある文学的手法 を 私は イト的に 「シ ヨ ウ」して おりましたが
何でも よくご存知の 感性豊かな方ならば、 トウゼン お気づきですよねえ?
ある
何でも よくご存知の 感性豊かな方ならば、 トウゼン お気づきですよねえ?
【監視】神。あるいは、それに準ずる者
ラムネ
地中海 マルタ島 英国海軍
水雷艇隊
魚形水雷発射演習の
水色に淡紅色のすずしさうな旗
地中海 マルタ島 英国海軍
水雷艇隊
魚形水雷発射演習の
水色に淡紅色のすずしさうな旗
「 この短い詩に、私はすくなからず苦しんだ 」
「 ここまで集約するのは 容易ではなかった 」 と 詩人 田中冬二は 言いました。
神に あらしめられた ジンジン まったき感性をお持ちの方
高次元の 精神世界に 至り すべてを さとられた 覚醒のミナさまは
ゆうめいな この田中冬二の詩どころか
拙い私の レ・トリックですら よく見逃してくださる
高次元の 精神世界に 至り すべてを さとられた 覚醒のミナさまは
ゆうめいな この田中冬二の詩どころか
拙い私の レ・トリックですら よく見逃してくださる
「 一億が 心一つに 道一つ 」
「 前進へ また前進へ 大歓呼 」
「 笑顔で臣道 命がけ 」
「 笑顔で臣道 命がけ 」
このブログで 取り上げたことのある
(塚本邦雄)の 和歌に おける、
(黒田喜夫)の 詩に おける、
(久石譲)の 音楽に おける、
(田中一村)が 絵画に おける 其 貫道する 一のスタイル を
しんに 感得・感応できるものならば
(塚本邦雄)の 和歌に おける、
(黒田喜夫)の 詩に おける、
(久石譲)の 音楽に おける、
(田中一村)が 絵画に おける 其 貫道する 一のスタイル を
しんに 感得・感応できるものならば
粋な コトバ 遊び や
真贋のつかない モノ 真似、
高尚な サル芸ぐらい 出来て 当然の行為「ライティング」なのですが。
te’ / 夜は光を掩蔽し、幾多の秘密を酌み、さかしまな『夢想』を育む。
おそらく 加害と被害が 対置される場では、
被害者は〈集団としての存在〉で しかない。
被害において ついに 自立することのないものの連帯。
連帯において 被害を平均化しようとする衝動。
被害の名における 加害的発想。
集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。
しかし 加害の側へ押しやられる者は、
加害において 単独となる危機に たえまなく さらされているのである
被害者は〈集団としての存在〉で しかない。
被害において ついに 自立することのないものの連帯。
連帯において 被害を平均化しようとする衝動。
被害の名における 加害的発想。
集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。
しかし 加害の側へ押しやられる者は、
加害において 単独となる危機に たえまなく さらされているのである
8月6日 あの原爆に耐えた 龍宮神社という 御社を詣でました。
参拝していたのは 私だけの とても小さな御社です。
手を合わせ ご挨拶した後
あの日の 劫火にまみえた柱に 触れ、やわらかな その木目を 全身で 記憶する
「 あゝ揚がる この日の丸が 次々に 」
手を合わせ ご挨拶した後
あの日の 劫火にまみえた柱に 触れ、やわらかな その木目を 全身で 記憶する
「 あゝ揚がる この日の丸が 次々に 」
すみよし わたつみの御方様方
私は 神にも魔にも なりたくありません。
覚醒解脱なる 崇高なたわゴト
選民アセンションのじゃれアイ たわけらの全き 国スイ主義
わたくしごとに コレら 一切 要はない
私は 神にも魔にも なりたくありません。
覚醒解脱なる 崇高なたわゴト
選民アセンションのじゃれアイ たわけらの全き 国スイ主義
わたくしごとに コレら 一切 要はない
高橋 竹山 「中じょんから節」
と く
のぞむ ジゲン「チ」へ イコウせよ
わが「ち」に よりし
ソコな 全きのかみ 空けのモノども
のぞむ ジゲン「チ」へ イコウせよ
わが「ち」に よりし
ソコな 全きのかみ 空けのモノども
人が 加害の場に立つとき、
彼は つねに 疎外と孤独に より近い位置にある。
そして ついに 一人の加害者が、加害者の位置から 進んで脱落する。
そのとき、加害者と被害者という
非人間的な対峙のなかから、はじめて 一人の人間が生まれる。
〈人間〉は つねに 加害者のなかから 生まれる。被害者のなかからは 生まれない。
人間が 自己を最終的に 加害者として承認する場所は、
人間が 自己を人間として、ひとつの危機として 認識しはじめる場所である。
彼は つねに 疎外と孤独に より近い位置にある。
そして ついに 一人の加害者が、加害者の位置から 進んで脱落する。
そのとき、加害者と被害者という
非人間的な対峙のなかから、はじめて 一人の人間が生まれる。
〈人間〉は つねに 加害者のなかから 生まれる。被害者のなかからは 生まれない。
人間が 自己を最終的に 加害者として承認する場所は、
人間が 自己を人間として、ひとつの危機として 認識しはじめる場所である。
「私」は ただびととして そのせいを 全うできるよう
最後まで人間 として いきてゆきます。
それが 「わたし」の こころからの希 み で 御座いましたから。
最後まで
それが 「わたし」の こころからの
シルヴィ・ギエム カウントダウン「Bolero」
緋字文は
石原吉郎詩文集「ペシミストの勇気について」(講談社)から。
青と赤の斜字は 戦時下標語・国策標語です。
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