4月7日
自分自身でもいいのか悪いのかも判別がつかないものを、とりあえず書き殴っていた今日の午後であった。書き殴っていたと言っても、macbookのpagesでただひたすら思いつくままに文章を打っていただけなのだが。やはり頭に思い浮かんだものを素早く表現するのは手書きよりもタイピングの方は有利である。もちろん手書きは手書きの良さがあるわけなのだが。今の自分にはこうして画面上に文字を起こす方が滞りなく作業が進む。
今の自分は、文章をたくさん書ける状態へと移行しているようなもののようだ。逆に読書とか、何か勉強して習得することとか、そのようなものは難しくなっている気がする。せっかく買った三島由紀夫の全集を読み始めても、全くと言っていいほど内容が頭に入ってこない。こういう時は、とことんアウトプットしていくに限る。
正直、書き始める時は、自分なんか何も出すことの出来やしない人間なのだと卑下していた。本当に何も思い浮かばなかったし、そんな自分と向き合うのが本当に嫌だったわけだ。しかし実際蓋を開けてみるとどうだろう。まるで脳みそがそれを望んでいたかのように、自分の手は何かしらの文章を紡いで見せるわけだ。こうして文字を打ち込めば打ち込むほどに、散々溜め込んでいたモヤモヤを吐き出すかのように頭は洗練されていく。こんなにも何かを溜め込んでいた自覚もなかったのだ。むしろもっと自分の頭には、色々な情報や感性を詰め込んでいかなければと考えていたので、それがしんどくなる原因にもなっていたのかもしれない。
手ぐせのような感覚で文章は進んでいくわけだけれども、このまま走り続けることをやめてはいけないだろう。もっと無意識の底へ潜り込むように、自分は潜在されているものを吐き出してやりたい。だから空っぽのような状態でも出すことだ。そして自分の限界を歓迎してやろうではないか。それを楽しみに、そして恐怖して、書き続ける。