星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

苛立ちとか捨ててしまいたい

2022-02-26 20:52:46 | 日記

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およそ数週間ぶりに部屋の掃除をしました。

いつまで手に付かないものだと思っていたのですが、ようやく重い腰が上がってホッとしています。部屋に入るたびに、散乱したフケや埃によって目鼻の粘膜をやられていたのですが、それも解消されました。

今日はこのあとSさんと中崎町にある蕎麦屋で会う予定です。私は少し早めに梅田に来ており、阪急ビルにあるカフェでこれを書いています。土曜日ということもあって人集りがすごく、嫌気が指しそうです。

本当はマクドナルドでブログを書こうと思っていたのですが、このご時世だというのにアホみたいに人だらけですぐに退店しました。自分が言えた義理ではありませんが、世間の流れにはもはや自粛もクソもないんだなということが、外の状況を目の当たりにして実感しました。

数年前のコロナが騒がれ始めた頃なんて、昼間でも開いていない店があったりしたものですが、今ではまるでコロナが治まったのではないかと錯覚してしまいそうな騒々しさとなっております。

しかし感染者は依然として多いです。外出をする際に対策はきちんとしておかなければと考えております。

そして人混みが嫌いというわけなのですが、おそらく小さい時からその気はあったのでしょうが、ここ最近特に強く自覚しています。人混みが好きな人の方が稀なのかもしれませんが、嫌いの度合いも人によってはまちまちで、今まで私レベルの「嫌い」は普通くらいなのかなとあまり着目したことはなかったのですが、最近人よりもその度合いは強いのかなと思ったりします。

例えばカフェに行って、席の確保をした後注文をしにカウンターに行くのですが、そこに少しでも行列ができていると、それだけで苛立ちが募ります。阪急ビルの一階の入り口に人だかりができているだけで胸糞が悪くなります。エスカレーターを二列に並んでいるカップルとか友達同士に道を阻まれていると、ふざけんなと叫んでやりたくなります。

要するに心の余裕がない人なのだと思いますが、心の余裕がない人はこうなってしまうのかと、時折通行人に怒鳴りつけたりしている大阪人特有の親父がいたりしますが、そんなイメージでしょうか。そこまで強く主張する気はありませんが、私も心療内科にお世話になっている身ではありますので、できれば選択を続けられるように、足元掬われない生き方をしてみたいとともに、割とガチで心に余裕を持たせたいとしみじみ感じております。

 


どうにかなるかといえばわからない

2022-02-25 17:21:03 | 日記

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私が気分変調性障害だと心療内科で判明したあたりから、まったくもって読書に励むことができていません。

それもあってか、日に日に文章力が下がってきているような気がします。側からブログを見ている方からすれば、大した変化はないかもしれませんが、自分の中でさまざまな選択肢を選びながら書いていく中で、ちょっとずつ選択肢が減ってきているような感覚です。当たり障りのないことしか言えなくなってきている感じでしょうか。

なので文章を書いていく中で選択していく楽しさが減ってきました。

 

最近、さまざまなものを失っています。お金に仕事に、ワイヤレスイヤホンの充電コードとか、文章力とか。得たものの良さに気づく前に、そのような消えていく虚しさに着目してしまうのです。

このマイナス思考も、気分変調性障害の傾向によれば、元々の性格ではなく、症状から来るペシミズムらしいですが、こんなもの中学生くらいからずっとなので、にわかには信じられません

このブログに書いてある毎日のことも、圧倒的にマイナスなことばかりだと思います。そんなものわざわざ見返さなくてもわかります。たとえこれが症状から来る思考の傾向だとしても、この癖のような冷笑的な、厭世的な態度は治らないと思います。この私が前向きなことを書けるのかというと・・・いやー難しいのではないでしょうか。

最近は特に強い症状に見舞われています。昨日はシェアハウスでご飯会があったのですが、参加できませんでした。とてもじゃありませんが、そんなテンションでもなかったし、とりあえず一人になりたかったからです。とにかく惨めったらしくて、誰を信用したらいいのかも定かではなく、つまらないし、やりきれない。これも症状のせいでしょうか。

現状を変えなければ・・・

そう思い、今日はダイソーでクリップボードと紙紐、それらを壁に吊るための画鋲を買ってきました。家に帰ったらそれを壁に貼り、しなければならないことを整理をつけようという算段です。

果たしてうまくいくのでしょうか。でも「死」に向かう以外はどうにかして生を意識するしかなく、そうすれば自ずと動かなければならないこともわかってくる。部屋をぐちゃぐちゃにして生活を狂わせて、お金を無くしてめちゃくちゃな状態から這い上がろうとする、

そんな「生」の力です。そんなふうにして借り出していく、そのサイクルすらもはや慣れきった感があります。その底力に頼らざるを得ない状況を繰り返していることも、気分変調性障害の影響なのでしょうか。そうなれば何もかもがこれのせいじゃんかと、大きな声で叫びながら嘆くしかありません。

 


さまざまな失望を持って

2022-02-24 16:57:13 | 日記

 

 

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夕方、サンマルクの席でこれを書いています。

あまり元気のない状態ですが、それはまあ相変わらずということで、仕方なしです。先ほどまで、気分変調性障害についての本を読んでいました。気分変調性障害とは、先日心療内科にて私に下された診断結果です。200ページほどの、そう分厚くはない本で、症状についての詳しい情報や、対策などが書かれている本です。

読んでいる途中で挫折してしまいました。今の私に読み進めていく集中力がないのか、それとも本の内容に対して期待していたことが芽生えなかったからでしょうか。

期待していたこと、どはどのようなことでしょうか。おそらく今の苦しい気持ちを解きほぐしてくれるような、自分の憂鬱を淡く薄めてくれるような、そんなことだと思います。

その本には、「ノー」と言ってみる大切さについて書かれていました。

自分を卑下せず、役割を持ってして、できないことや怒りを感じることについては、なるべく「ノー」を言っていこうというわけです。

アホな、そんな言えるもんならとっくに言うてるわと、私はゲンナリしてつい読み進めるのをやめてしまいました。「ノー」を言えないことが対人においても、自分の人生においても、相手の立場に対しても、悪影響を与えていることくらい100も承知しているわけです。

それを勇気を持ってとか簡単なことを言うなと。

読みながら嫌な気分になって、結局憂鬱は全く晴れることがないまま、何もかもがくだらなく見えてくる始末です。どうせシェアハウスで楽しい時間を過ごしたって、問題そのものは解決されることがない。世の中は苦しいことを誤魔化すために、楽しいことがあるのでしょうか。この世の娯楽の全ては、憂さ晴らしにしか過ぎず、内面に抱えている苦しみを受け止める器がいっぱいになる前に、どうにかして掬い取って捨てているのでしょうか。

私は誰にも愚痴を言ったことがありません。

ムカついてくるのです。愚痴を言わなければならない自分、弱みを見せなければならない自分、そんなものはあってはならないと感じてしまうのです。私の両親がそもそもそんな人たちで、想像力のかけらもないどうしようもない大人で、世の中でいけないと言われていることを忠実に守り、本当は自分が何を考えているのかも自覚できないままに、自分や他者の非を認められないのです。

だから親からは私の非も認められませんでした。唯一認められる瞬間は、「いずれ」できる大人になるための前段階、今回できないのはまあ仕方ないと言った、猶予を持たせるような許し方です。

言ってしまえば、大人になればそんな非のある人間になるなということになりましょうか。そんなニュアンスを含めた言い方で、私に哀れみを持って、嘆きを持って、我慢を押し殺して、言うのでした。

私は両親に対して、強い怒りを感じる時があります。

おそらく私が心療内科に言っていることだって、まさか予想もついていないでしょう。仕事に行けなくなって辛い思いをしていることだって、気づくわけがないでしょう。

私のことを狭い想像の範囲内でしか意識できない人たちだから、ちゃんと育ててやったって、本気で思っているに違いありません。このまま私が歩んでいく方向性を見せつけてやることによって、ざまあみろと言ってやりたいです。

 

 


うわーーー

2022-02-23 21:18:08 | 日記

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部屋が散らかっています。

どうにかして片付けようとしたのですが、まるで手につかず、しなければいけないことが山積みになっており、それでも心のエネルギーが枯渇してしまったように、何一つ行動することができません。

多少は元気になれたと思ったのですが、まだまだ甘かったようです。

気分変調症(抑うつ神経症)はいまだに続いており、現在ひどい状態となっております。このブログも何度も書くのをやめようとしたり、再び書き始めたりの繰り返しです。

シェアハウスのみんなにも全く状況を伝えていなくて、独りで殻に閉じこもっています。

気分変調症についての本をネットで買い、昨日届いたのですが、全く読む気にもなりません。

どんどん萎んでいく花のようです。 

食欲もあまりわかず、どうでもいいような気がしています。

母親からのラインも、なんだかムカついて無視しています。

お前が私をこういう性格にしたんだろ、今まで私にしてきた理不尽なこと全部謝罪しろ、と叫び出したくなる気持ちです。

今まで私を親目線で見ておきながら、全く私を理解しないどころかどうでもいい説教ばかりしてきた奴らに、腹立たしい思いが募っているのです。

ささくれているのが自分でもよくわかります。

今日はあまり文章にするべきじゃなかったのかもしれませんね。

でもこんな日もある。なるべく包み隠さず書いていきたい。

おやすみなさい。

 

 


多分、化学反応を期待している

2022-02-22 13:00:48 | 日記

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また新たな1週間が始まり、大阪市は慌ただしい喧騒を巻き起こして、出社を余儀なくされる社会人たちを歯車で動かしていきます。

職にあぶれた私はそう悠長にしていられないのが現状なのですが、今こうしてブログを書いているのは、つまりそういうことになります。情けない話で、いまだにシェアハウスのみんなには、私が抑うつ神経症を発症し退職している旨を伝えられていません。なのでずっと家にいるとあいつどうしたんだと疑われかねないので、こうして外出して朝マックを頬張りながら書いているのです。

神経症のせいか、夜はまともに寝られず、今は強烈な眠気が私を襲います。こうしてブログを書いていられるのも、毎日の習慣としているからできているだけで、いわば惰性に近いのかもしれません。

noteの方も更新していきたいのですが、あちらの方は依然として書きたいことが浮かんできません。

できることといえば、こうしてタラタラとブログを書くか、あるいは音楽を聴くか、それくらいになります。読書をしようとして谷崎潤一郎の全集を手に取っても、内容が一切頭に入ってこない有様です。

なので気持ちを落ち着かせることに専念することが、最適解なのでしょう。ただこの状態を誰にも打ち明けないのは難しいことでもあるので、今週末にはSさんと会う約束をしました。今度、梅田駅近くの蕎麦屋に一緒に行きます。

私はその時、どれだけ自分をさらけ出せるでしょうか。そのために誘ったようなものです。

ちなみに音楽は今、CHEMISTRYを聴いています。シェアハウスの一人が最近CHEMISTRYにハマっているらしくて、一緒にカラオケに行ってもpiece a dreamとか一緒に歌うようになりました。おそらくはFIRST TAKEに動画が上がっていたのを観たのでしょう。

CHEMISTRYといえば私が小学生の時に人気のミュージシャンで、車の中で親が流していたのを覚えています。piece a dream はその中でも特に好きな曲でして、ドライブ中などでも、親にこの曲流してくれとせがんでいました。MステでCHEMISTRYが出演した時は一緒になって歌っていました。

そんな子どもの頃に聴いていたミュージシャンが、今になってYouTubeで再び注目を浴びるようになって、なんだか嬉しい気持ちになります。私は昔から好きだったので、よくカラオケで歌っていて、一緒に来ている友人に知っているかと尋ねては、やっぱり知らないものかと少し落胆して、一人で歌っていたことも多かったのですが、今ではまた変わっているものでしょう。

どの時代にどんな人たちが注目を浴びたり人気が出たりするのか、先を見据えたとしても判明できるものではないのでしょう。人気の有無にかかわらず、好きなものは好きでいたいのは依然として変わりませんが、過去の良かったものがリバイバルされることで、元々好きなものが新しい好きの形に変わっていきそうな、そんな希望の予感もあったりします。