星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

仕事が始まって大変ですが。

2021-12-24 08:28:28 | 日記

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おはようございます。

いつの間にかクリスマスイブとなりまして、私の住むシェアハウスでも今日はクリスマス会が開かれる模様です。私は月曜日から新しい仕事が始まりまして、毎日のように早朝に目覚めては御堂筋線の満員電車に揺られる日々です。

勉強とかブログとか、いろんなものがおざなりになってしまいそうな中でも、何とかして軌道を自分の方に持っていくようにして、今こうして再び日記を書いているわけでございます。ちなみに今はカミュの『ペスト』を読んでいます。カミュは『異邦人』を読んだことしかなかったのですが、こちらもなかなか面白いです。携帯電話もなかった時代のアルジェリアでのペスト騒動(フィクション)を描いているのですが、昨今のコロナ事情などと少しかぶるような面もあって、ウイルスによって醸し出される人々の恐怖心などは、いつになっても変わらないものなのかと感慨深かったです。

コロナも、今では日本の感染者も少なくなってはいますが、殲滅仕切ったわけではなく、イギリスでは依然として感染者数が数万人規模の被害となっております。巷で噂される、オミクロン株とかいうやつらしいです。感染力はそこそこあるそうですが、感染者の被害はそこまで大きなものにならないそうです。

だったら放置していてもいいのでは・・・とかいう話を昨日友達としていましたが、じゃあ自分がかかってもいいのかと考えると嫌なので、こんな話は愚の骨頂でしかないという結論に。

そんなメリークリスマスの前です。


どうなることやら、一時の希望のような

2021-12-17 18:00:59 | 日記

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久しぶりに日記を書きます。しばらく日記を書かなかった理由としてなのですが、別に病んでいたわけではありません。むしろ果敢に色々と、試行錯誤の繰り返しでした。とはいっても、誰かに何かの影響を与えたわけではありませんし、ここ最近の私の、外部の世界に働きかけたものなんて、この日記以下の存在感でしかないわけでして。それでも私は自信を持っていうことができるのです。

この数日間私にとって有意義なものだったと。

ひたすらに興味のあるものに着手したり、今までまともにしたことのなかった、過去に書いてきたメモの振り返りや、さまざまなジャンルの勉強など、してきたことは無限大のような気がします。

その結果、ちっぽけな自分に気が付いたとも言えますし、ちっぽけな自分とが案外認められそうな気もするわけです。今までの無知な自分と、今の無知な自分には、ほんの少しですが確かな差が見られ、そのおかげでこれからの遥かな先に希望を見捨てないでいられそうでもあるわけです。いくらACTの勉強をしたって、都合のいい自分は生まれないだろうし、理想の自分は永遠に理想のままです。

それは果てしない絶望のはずなのですが。。。意外と元気な私がいます。

これからどうなるかはわかりません。

それでもいいかなって、スピッツの『運命の人』を聴きながらしみじみしてます。

もう少し勉強したら家に帰ります。


四日ぶりの鳴き声

2021-12-15 15:01:21 | 日記

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最近はいろんな感情を交えながらも、とにかく勉強しています。昨日の日中は西洋美術の歴史や日本文学についてなど、ざっくりとした歴史の流れなどを調べ上げたりして、それだけでもなかなか充実した時間でありました。おかげ様で、夜家に帰る頃には、気が狂ってしまったように頭が回っていて、薬物の深海に溺れてしまったかのようでした。物事の、自分の知らない面を知っていくという作業は、毎回のように気が狂いそうになっていきながらも、どうしてもやめることには至らない、不思議な自己の破壊作業のようです。私はこれまで以上に勉強をしていくつもりですが、その本質的な意図を具体的に言葉にできるのかといえば、それは難しい話でございます。もっと気楽なことに着手して、そのまま平坦な生き方の中に、少しずつ日々の楽しさとか美しさに価値を見出していく、そんな生活だって素晴らしいはずなのに、そして私はそんな世界を夢見ているはずなのに。価値のある世界は人それぞれに違っており、私はこんなところで終わらせてしまいたいのに、どうしても何も見えないところがよく見えるようでして、そこに見てしまうのです。これから先の顛末なんかを。

さて、私は常日頃の自分を立ち震わせてやろうと、ある程度躍起になっているのですが、どうしても人間であるが以上、コントロールできない感情は要所に現れていきます。そのまま過ぎ去っていくことを願いながら、私は怒りとか、欲望とかいう立ち塞がる邪魔者たちに屈してしまうのです。これはいくら知識を積んでも変わらないもののように思います。いっそのことこれすらも認めてやれたら、本当の人智を超えられるのでしょうか。一体私はいつまで、自分を偽っているのでしょうか。私の真の目的はどこにあるのか。それは死んだとて見つからないのでしょう。オートマティクにつらつら書いてしまいましたが、こうやって吐き出すのが唯一の解決策のように思いますので、たまには言葉を散らかしてしまいたい。鳴き声と同じようなものです。


壁というか試練

2021-12-10 13:39:24 | 日記

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勉強を始めるときの、小説を書き始める時の、あの独特なやる気のでない嫌な感じは依然として続いていきます。

席について、ふうと一息してから朝マックを平らげて、半分ほど残ったホットコーヒーを相棒にしてパソコンを開いてみるも、何も思いつきません。

いや厳密には、書くことくらいは今しているように、書き続けられるわけですが。問題は自分の書きたいことが文章化されているか、そして一つの物語としてまとまりがあるか、それに着目しようとしても全く身に入らないことです。もうたらたらしていられない、仕事が始まるまであと10日もないのだから、早く書いてしまいたいのは山々なのですが、ずっと苦しみの迷いの中、右往左往の無限回路を走り続けているのです。

おそらく、完成度を高くしよう高くしようと、躍起になっているのが原因でしょう。いつまで立っても書くことができない。それで執筆に時間を掛ければ、それだけ完成度の高さを自分に求めてしまい、そのハードルの高さに苦しめられるのです。ああでもない、こうでもないと、ずっとそれです。頭の中には簡単にあるはずなのに、進まないのです。もう馬鹿なのでしょうか。あと10日しかない。別にできないのならできないで構わないのですが、これでできなければ多分一生できないままだと思います。だからこれは自分に賭した試練でもあるのです。

もう、命懸けでもなんでもいい。私はプロでもなんでもないのですが、意地でもやり遂げたい気持ちは強く、だからこそここまで苦しんで、自己嫌悪にやられまくっているのでしょうか。それしか考えられない。でも結局は、世の中でどれくらいの力を見せられて、認めさせることができるかは、その人の努力が全てではないでしょう。才能は持って生まれた人がそりゃいるに決まっているし、のち越えられない壁はないとは言えない。絶対に無理なことは存在する。それが果てしない無力感を生み出していき、それは空間を埋め尽くして、人々の憂鬱を駆り立てていく。それに抗うような形で、娯楽とか芸術とかに身を委ねて明日とか明後日をうまく掻い潜っていくのでしょう。それが人生なのだとしたら、この自分の表明していく側に立ち回った時、それはサービス精神の全てでやっていくしかないのでしょうか。それとも自身の魂を、命懸けの精神を、ありったけに詰め込んで出来上がるのが、本当の傑作と言えるのでしょうか。結局世の中で認められるものは、ちょっとした偶然で決まったりするから、私のしていることに、本当に実を結ぶ気でいるのならば、手当たり次第に営業をしていくのか、それとも見つからない自分でも悔いのないように、全力でぶつかっていくのか、それともまた、単純にマイペースに楽しくやっていくのがいいのか。多分全部にやり方があって、満足度も違っていて、悪くないと言えるのでしょう。とりあえず悔いのないように。


あまり気分のよろしくない頃

2021-12-09 11:53:34 | 日記

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一ミリもやる気が出ないのだけれども、どうしたらいいのでしょう。

いつも朝は7時過ぎに目を覚ましては、家から一番近くのスターバックスまでわざわざ出向いて、これを書いているわけなのですが、今日は起きる時間もいつもより遅かったし、家を出ても倦怠感が抜けることなく体内に滞留しているのでした。いつも根気がなくて自己嫌悪に陥りがちなのは、この先にある展開に希望を見たことがないからで、そして何かに打ち込んでいる、希望までの道のりに対しても色褪せた感想しかなくなってしまうことなのでしょうか。

シェアハウスの環境も少しずつ変わってきてはいるのでして、それはファミリーたちにとって都合のいい時もあれば、今の私みたいにやるせなさでいっぱいの時だってあるわけです。正直心細さでいっぱいになる。誰に今の心境を愚痴ってしまえば楽になるのかもわからないですし、私自身が自分の心境をうまく説明できるわけでもありません。こんな時、さっさと退去して一人暮らしでも始めたらよかったのかなとも思います。今更出るに出れないような、持ちつ持たれつの関係になっているわけですから。

そう、今の私の理念とか価値観とかを優先するのであれば、早く出るべきだとも思います。私はみんなと楽しく、わいわい過ごすことも好きですが、今こうして文章に打ち込んでいくこと、一人で文学や音楽などの嗜好に浸ることを良しとしています。今更に今更ですが、結局シェア生活など私には向いていなかったのでしょうか。結局私のやりたいことの一つすらも誰にも言えていないこの現状です。私は時々憎たらしくなります。誰にとか、何にとかもわからないままに。ただ憎悪の感情だけが私を包み込んでいくみたいに飲み込んでいって、手当たり次第に雑言を吐き飛ばしてやりたい。そんな気持ちを抱えてしまいます。

結局どれくらい悩んだところで、解決しないものはそのままでしょう。だからこれから先のことはしっかり自分で決めなければなりません。仲良くなったことだけが、全ての問題を解決するものではないのでしょう。