9月26日
休日ということで、いつもよりも時間に追われることなく朝の眠りを貪り、10時くらいに目覚めてからバイクで海まで行きました。ここ与論島では9月の下旬に差し掛かった今でも海水浴のシーズンはまだ終わっておらず、夏場に比べると観光客は少ないものの、海に行けばチラホラと外から来たであろう人たちがいたりします。バイクで走りながらも、この小さな与論島で特にどのビーチに行くかも決めずして、穏やかな風に身を任せながら海の見える方面へと走っていきました。
さとうきび畑の広がる景観、時速30キロでも十分な広さの離島、一見穏やかにも見えますし、私の心の中でうずくまるものがあったとしても、それは反映されるものもなく、かえって馬鹿馬鹿しく思えてきたり、強い切なさにも感じたり。
田舎の風景はいつもそんな感じがします。いつもそれを観ている時の世界だけ、不思議にも、自分の世界との対立があるのです。都会のゴミゴミした世界の中で生まれ育った自分と、交わることのない自然の世界。自然の世界は常に弱肉強食の殺し合いの最中にあるにも関わらず、それを観ている自分の中で浄化されていくものは、都会の中での鬱屈した精神なのです。お互いに、アイロニーの交互作用を踏まえて、そして私は海に来たのでした。
皆田海岸は岩肌と珊瑚礁と、小さな漁船、そしてブルーハワイの海の色、真っ白な砂浜で構築されています。波はほとんどありません。琵琶湖や瀬戸内海の水面ほどの揺らぎがあるだけです。砂浜からほんの20メートルくらいのところに、小さな横長の浮島があります。浮島と言っても、そこに至るまでの海面が深くないものですから、島というものでもないかもしれません。とにかくそんな具合に入り組んだ海岸となっていまして、それが原因で波がないのかもしれません。
海に潜って、水中眼鏡で底を観察すると、至る所に魚やカニがいました。与論島の海でここまで生き物の多いビーチは初めてかもしれません。自分はダイビングもシュノーケリングもしてませんから、せいぜい浅瀬の砂浜近くで波と戯れているに過ぎません。なので遠くの珊瑚礁などの事情を知りませんから、この浅瀬にいる豊富な生き物の数に感動していました。ハゼのような魚や、手のひらよりも小さいヒラメのような魚、一円玉よりも小さいヤドカリなど、たくさんの生き物は心を沸き立たせます。しばらく海で戯れていると、現地の人と思しき中年の方が唐突にバイクで浜付近まで来まして、話しかけてきました。与論島では見知らぬ人がよく話しかけてくる、そんな文化が根付いています。
その人は私が一人で遊んでいることに不思議を感じたのかもしれません。どこからきてのか、観光で来たのかなどを聞いてきました。私は正直にここのホテルで住み込みで働いていることを伝えました。その人はそれで満足したのか、海水浴をしている私の邪魔になりすぎないように配慮したのか、この海岸では海亀が出るから探してごらんと告げて、再びバイクに乗って去っていきました。
しばらく海を泳いで探してみたものの、海亀は結局見つかることはありませんでした。風も少し吹いてきて、寒くなってきたこともあって海から上がります。海岸沿いはどこまでも歩いて行けそうで、空が動じることもなく広がり続けています。あまりにも不動のものに見えて、神様が書いた水彩画のようです。そんな風景と、海と、砂だけで、とにかく歩くことにしました。音楽は以前から聴き込むようになったthe pillowsを流して、それを相棒にしながら裸となった上半身に太陽が照り付けて、肌が焦げていくのです。自分は体のいろんなところで、いろんなことを感じていたのでした。まるでそれだけで自分の悩みとか壁とかが少しだけ緩和されるような、反面それらのことが一気に思い出されて、フォーカスされていくような。
自分はこの景色を見て、それで世界の広さがわかってしまって、切ないのでした。今まで生きてきた中で、こだわったり反発しあったことは、本当に生きがいの中で大切だったのでしょうか。本当に大切なものは、この景色のように、毎日の日常の中で生き生きとしているのかもしれない。文化の中で、文明の中で、金ピカに塗りたくられたものにしがみついていることが人間の本当の価値なのでしょうか。
わかりません。ただわかることは、自分は今も生きていて、どれだけ過去が醜くても、この景色は今につながっているということ。過去の弱さは未来につながるほどに苦しいけれど、同時にこの景色だって私の未来を彩る。だから生きていけるのだと思う。
またこの海には来ようと思います。