星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

9月最後の日の海

2022-09-30 18:52:27 | 日記

9月30日

いよいよ、9月も最終日となりました。9月は秋が始まる季節ですが、色々と残暑のしぶとい月でもありますから、あまり秋めいた気分にもならなかったりします。そう思うと、今から始まる10月こそが秋らしい秋の始まりのようだったりします。9月はちょうど夏と秋の中間的なポジションのようです。涼しい風も、紅葉も、美味し食べ物も、ハロウィンも、これから始まるものです。

しかしここ与論島では、相変わらず昼間は強い熱射が煌めき、海は以前として開いたまま、海水浴はまだまだ健在のシーズン、8月よりかはまだ少し涼しいかなといったところです。

与論島こそいまだ8月と9月の間くらいなもので、ちょうど夏と秋の間くらい、しかもロケーションはかなり夏寄りです。原付を走らせればサトウキビ畑が広がり、コバルトブルーの海がどこに行っても見渡せます。島の人たちも皆半袖で、真っ黒に日焼けした人ばかりです。

与論島に住み始めて2週間と少しが経ち、仕事の休みのたびに原付バイクを走らせて、この小さなの島にあるたくさんのビーチに行く日常が続いています。中でもお気に入りはちょうど東の海岸沿いにある皆田海岸というところです。とても小さいビーチですが、波が穏やかで、岩場や珊瑚が近い位置にあることから、生き物もたくさんいます。ほんの近いところにある浮島も、泳ぎの下手な自分でもたどり着けるくらいで、そこまでの道のりを楽しんだり、海亀を探したりして、時間を潰しています。

今日もそこにいきましたが、生憎の満ち潮により、この前きたときよりも波が荒くなっていました。以前来た時は海岸沿いを歩いて散歩していたのですが、今日はそれもできないくらい、浜辺の一部が海に浸かっていました。

潮の満ち引きについての知識がほとんどありませんので、どのくらい待てば浅くなっていくのかもわからず、あまり長い間海に浸かることなく上がりました。堤防の端っこで、1時間ほど日向ぼっこをして帰ることに。

寮に戻る時、施設管理の担当の人とすれ違ったのですが、海に行って帰ってきたうちの数時間に日焼けしていたことに大笑いしていました。そんなに変わったのか、鏡を見てもわからずじまいでした。


暗闇のビーチウェア

2022-09-28 23:13:29 | 日記

与論島の夜の砂浜は街灯もない暗闇に包まれています。

光らしい光といえば、自分が住むホテルから照らされた明かりが、微かに砂浜の方へ漏れているのと、灯台からの点滅が瞬きのように光った時くらいです。

そんな光のない砂浜の方面へ続く、急な階段を危なげに降りていき、サンダルの隙間から侵食していく砂にも気をとられることなく、私は並んでいるビーチウェアの手軽な一つを選んで、そこに背中を預けました。

ウェアの反発性は程よいものとなっており、目を閉じれば波の音と共に眠りに導かれていきそうです。

そして仰向けとなった私の眼前には、瞬く星々が輝き、こちらを見下ろしています。暗闇のロケーションは居心地良く私の体全てを包み込んでくれる静けさで、危険に思われた暗闇が、逆にこちらの心に落ち着きを与えてくれるのでした。

その暗闇の世界の中で、ワイヤレスイヤホンを耳にあて、最近お気に入りのバンドであるthe pillowsの曲を適当に選んでいきます。少し病んでいるような山中さわおの書いた歌詞は、今の自分には優しい音色の響きに思えて、いつまでも聴いていたくなるのです。特に自分の心象を重ねていたりだとか、共感を得ようとしているだとか、そんなことは一切ありません。それでも自分にはまるで優しい友人に接しているような、そんな頼もしい気持ちにさせてくれるのです。

最近はピロウズのアルバムを、1日1枚は聴いています。ある程度聴き込みができれば、アルバムの感想なんかも書ければと思うのですが、今日はこの辺で。


インターネットの片隅で

2022-09-27 22:06:25 | 日記

9月27日

今まで書いてきたブログを1から確認する作業を、およそ3日間かけてやり終えました。

そこまでの量を書いているつもりもなかったので、数時間ほどで終わると思いきや、意外とそんなこともなく、修正したり削除したりと、少々めんどくさいこともやってのけなければならないほどに、いろいろなことが書かれていました。特に誹謗中傷があったわけではありませんが、少々憂鬱が過ぎるような文面に、きな臭くも感じまして、あまりにもひどい場合には訂正に至るのでした。そして読みやすさを意識した改行が随所に見られたのですが、逆に変な空白めいたものがちらつくようでして、しょうもない小細工に感じたので、大量の空白を埋めていく作業をしていたのでした。

自分の過去に残してきたものは、何も大したことが書かれていない日記でした。それで自分はとにかく安心したように感じます。多少無理矢理にも憂鬱さを引き摺り回して過ごしてきた時間が、自分にとっての何よりの普通の日常であることは間違いありません。それを曝け出すための日記でもないのですが、結果としてそんな暴露にも見えてきます。この文章は自分にとってあくまで一つの性格の一面でしかなく、他の現実は他の自分で賄っていたりします。それはどの人でも変わらない性質のものと自分は思っています。友達といる時、家族といる時、上司といる時、常に同じ自分が表立っていくことは難しいと思います。それの応用で、このブログにはこのブログで出すべき自分が曝け出されていきます。

それが割としっかりと出来ていたのではと思い、私は安心したのでした。それこそ文章はおざなりなところがかなり多く、基本的に病んでいるのがメインだと思います。誰が決めたわけでもありませんが、それこそが自分がこのブログで出すべき時の自分を、その時を見計らうまでもなく出しているように、文章を読み返していて思うのでした。

しかし、そのニュアンスはなんとなくわかるように思うのですが、如何せん伝えたいことの力が文章に及んでいない気がするのでした。少し手を抜いているようで、力をセーブしている。まるでこのブログに出す力なんてこの程度でいいだろうと言わんばかりのように。

最近それに気づいたところもあり、しっかりと文章を書くようにしています。やるならやる、やらないならやらないではっきり線引きを図りたいと思うが故です。とは言っても、自分は住環境が色々と変わってきたこともあって、忙しい時、心にゆとりがない時、さまざまありました。今のような与論の静けさで、タイピングする音だけが響くこと環境なんて稀だったのです。今はこうして力を入れた文章を書くことができるのは、それが出来なかった時期を超えてのものだということも、こうして振り返ってわかることのようです。

今の自分がどれほどの恩恵を受けて生活しているのかは、振り返ったりした時、過去の対比、いろんな時間軸の意識の中で見つけ出されれるものです。のうのうと生きていたらまず見つかりません。こうした意味でも、「記録」する作業はかなり有意義のものであり、続けていく一つのモチベーションになりそうな具合です。

これからも続けていくことでしょう。ひっそりとインターネットの片隅で。

 

 


皆田海岸にて

2022-09-26 23:47:15 | 日記

9月26日

 

 休日ということで、いつもよりも時間に追われることなく朝の眠りを貪り、10時くらいに目覚めてからバイクで海まで行きました。ここ与論島では9月の下旬に差し掛かった今でも海水浴のシーズンはまだ終わっておらず、夏場に比べると観光客は少ないものの、海に行けばチラホラと外から来たであろう人たちがいたりします。バイクで走りながらも、この小さな与論島で特にどのビーチに行くかも決めずして、穏やかな風に身を任せながら海の見える方面へと走っていきました。

 

 さとうきび畑の広がる景観、時速30キロでも十分な広さの離島、一見穏やかにも見えますし、私の心の中でうずくまるものがあったとしても、それは反映されるものもなく、かえって馬鹿馬鹿しく思えてきたり、強い切なさにも感じたり。

 

 田舎の風景はいつもそんな感じがします。いつもそれを観ている時の世界だけ、不思議にも、自分の世界との対立があるのです。都会のゴミゴミした世界の中で生まれ育った自分と、交わることのない自然の世界。自然の世界は常に弱肉強食の殺し合いの最中にあるにも関わらず、それを観ている自分の中で浄化されていくものは、都会の中での鬱屈した精神なのです。お互いに、アイロニーの交互作用を踏まえて、そして私は海に来たのでした。

 

 皆田海岸は岩肌と珊瑚礁と、小さな漁船、そしてブルーハワイの海の色、真っ白な砂浜で構築されています。波はほとんどありません。琵琶湖や瀬戸内海の水面ほどの揺らぎがあるだけです。砂浜からほんの20メートルくらいのところに、小さな横長の浮島があります。浮島と言っても、そこに至るまでの海面が深くないものですから、島というものでもないかもしれません。とにかくそんな具合に入り組んだ海岸となっていまして、それが原因で波がないのかもしれません。

 

 海に潜って、水中眼鏡で底を観察すると、至る所に魚やカニがいました。与論島の海でここまで生き物の多いビーチは初めてかもしれません。自分はダイビングもシュノーケリングもしてませんから、せいぜい浅瀬の砂浜近くで波と戯れているに過ぎません。なので遠くの珊瑚礁などの事情を知りませんから、この浅瀬にいる豊富な生き物の数に感動していました。ハゼのような魚や、手のひらよりも小さいヒラメのような魚、一円玉よりも小さいヤドカリなど、たくさんの生き物は心を沸き立たせます。しばらく海で戯れていると、現地の人と思しき中年の方が唐突にバイクで浜付近まで来まして、話しかけてきました。与論島では見知らぬ人がよく話しかけてくる、そんな文化が根付いています。

 

 その人は私が一人で遊んでいることに不思議を感じたのかもしれません。どこからきてのか、観光で来たのかなどを聞いてきました。私は正直にここのホテルで住み込みで働いていることを伝えました。その人はそれで満足したのか、海水浴をしている私の邪魔になりすぎないように配慮したのか、この海岸では海亀が出るから探してごらんと告げて、再びバイクに乗って去っていきました。

 

 しばらく海を泳いで探してみたものの、海亀は結局見つかることはありませんでした。風も少し吹いてきて、寒くなってきたこともあって海から上がります。海岸沿いはどこまでも歩いて行けそうで、空が動じることもなく広がり続けています。あまりにも不動のものに見えて、神様が書いた水彩画のようです。そんな風景と、海と、砂だけで、とにかく歩くことにしました。音楽は以前から聴き込むようになったthe pillowsを流して、それを相棒にしながら裸となった上半身に太陽が照り付けて、肌が焦げていくのです。自分は体のいろんなところで、いろんなことを感じていたのでした。まるでそれだけで自分の悩みとか壁とかが少しだけ緩和されるような、反面それらのことが一気に思い出されて、フォーカスされていくような。

 

 自分はこの景色を見て、それで世界の広さがわかってしまって、切ないのでした。今まで生きてきた中で、こだわったり反発しあったことは、本当に生きがいの中で大切だったのでしょうか。本当に大切なものは、この景色のように、毎日の日常の中で生き生きとしているのかもしれない。文化の中で、文明の中で、金ピカに塗りたくられたものにしがみついていることが人間の本当の価値なのでしょうか。

 

 わかりません。ただわかることは、自分は今も生きていて、どれだけ過去が醜くても、この景色は今につながっているということ。過去の弱さは未来につながるほどに苦しいけれど、同時にこの景色だって私の未来を彩る。だから生きていけるのだと思う。

またこの海には来ようと思います。


対峙すること

2022-09-25 22:55:35 | 日記

9月25日

今日は自分の住んでいる寮に、新しく入寮してくる人が来ます。そのことを前もって知らされていた自分は、普段のだらけなさを全開にしたようなリビングを片付けることに追われ、皮肉にも気持ちの方はそれでスッキリするのでした。

寮といっても、自分たち住み込みのアルバイトの者には、昔使われていたペンションがあてがわれます。少し古びた建物であることは否めないのですが、そんなことを差し引いたとしても、十分に贅沢と言える広さになります。ベッドルームは3室あり、最大で6人を収容できるペンションです。バス、トイレは別となっており、リビングはそれなりに広々として、テレビを見ながらソファで寛ぐことも可能です。

そんな部屋に、およそ2週間もの間、自分は一人きりで住んでいました。他のアルバイトの人たちは少なくとも2人で住んでいたのにも関わらず、入寮したタイミングが良かったのか、自分は一人きりのままでした。贅沢ではありますが、別に友達もいない与論島での生活において、無駄に広すぎる部屋をあてがわれても、宝の持ち腐れに過ぎることはなかったりします。荷物だってキャリーバッグに詰め込んだ分以上のものはないし、普段はテレビを見ることも稀だったりもするので、リビングにいようが寝室にいようがさほどの違いはありません。実際この寮に来て、本当にありがたいのはユニットバスだったことくらいでして、あとは逆にハウステンボスでのワンルームが恋しいなどと思ったりするレベルなのです。あの巨大な赤茶けたハウステンボスの寮。ハウステンボスの、といっても、サラリーマン風の人とか、大学生とか、日本語学校に通っているアジア人とかが住んでおり、そんないろいろな人たちで雑多となったあの寮が自分的には良いと思えたりもしたものです。

その気持ちとはなんでしょうか、寂しさがうまく紛らうようなものでしょうか。このカオスとした社会の中で、自分もまたカオスの一部分としてあることが表面化されているような、そんな形が心地よかったりするのです。寂しがり屋のくせに、人に深く干渉されるのを煙たがる自分に、うまくマッチングしている環境と言えるでしょう。小さい頃から閑静な住宅街の雰囲気があまり好みではありませんでした。父の実家に遊びに行って、親戚一同でワイワイしている間はいいのですが、みんなが帰ってしまい、閑散としてしまった後の、あの丹後の夜の暗闇とかが、妙に寂しさをカラカラと鳴らしていくようで、幼少の自分はひどく壊れやすい心象をもっていたことがわかります。大人になったからといって、寂しさというものはいまだにちゃんとあり、あの頃の自分と違うのは、その寂しさに食い殺されないようにする術を身に付けただけです。ふとした油断の隙間に、その怪物はぐいぐいと入り込もうとして、心の色はあっという間にセンチメンタルの空に移り変わるのです。

これは死ぬまで変わらない、自分のことです。これと死ぬまで向き合うのが、自分の使命だということにして、毎日を過ごしています。大袈裟のようにも見えますが、決して大袈裟ではありません。人は常日頃から、自分のやわらかい弱点の部分を決して触れさせないようにして生きているのです。生まれながらにして完璧な人間などいないはずなのに、人は社会やお天道様に顔を向けているとき、まるで自分が弱さや罪を持ち得ない人間だというあり方を求められてしまうのです。

そんな自分の在り方が、寂しさとの対峙だと、この静かなペンションの中で思うことなのでした。与論島はいつも静かです。