星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

深い話に行きそうになって止めるブレーキ。

2023-04-12 23:25:11 | 日記

4月12日

 

サウナに入ったあとにワインを呑んで、晩飯も食ってかなり頭もボヤけているこんな状態でも、一応はパソコンを開いて日記を書くわけである。こうした習慣として染み付いたものは、なかなかやめることもなく、反射的に続いてしまっている。それはとてもいいことではある。しかしいつまで続けるのだろうかとふと考えた時、なんとなく闇の向こう側を見通してやろうとして、いつまでも真っ暗闇であることに気づいた時の不安のようなものを抱く。死ぬまで書き続けるんじゃないだろうかという不安。誰にあてたメッセージでもないこの長ったらしい日記は、一応こうして全世界に発信されている現実があるわけだけれども、そこにはどんな意義があるというのだろうか。独り言を聞いてもらうための空間。箱庭に閉じ込められている生き物が一人ぼっちで暮らしている、そんな世界を見てもらうだけの小さな空間なのようだ。

 

文章を書き続けていくことが、まるでマラソンのようなものを延々続けていくことと似ていると思うのは自分だけではないだろう。そしてマラソンのようなものは、まるで死という名のゴールに向かっている人生と似ていると感じるのもまた同じだ。文章を書く行為は人生の一部分として見立ててもいい。文字の一つ一つは呼吸の一粒一粒のように細やかである。このふたつは非常に相似しているが、決定的な違いがある。文字というのは存在した瞬間から常に一定にあり続けている。それと比較して呼吸は、一息発したときの刹那を超えたらすでに大気の一部となる。時間に依存しているか否かが二つの違いである。呼吸は時間に依存して、文字は時間に依存していないのだ。これは非常に大きな役割を持つ特性だと自分は考えている。

 

…まあこんなことを話していたらそれこそ大量の時間を使わなければならないのでやめておくことにする。つい深いところまで話題を突っ込んでしまうのが自分の悪い癖だ。別に時間を使ってもいいのだが、いかんせんワインの酔いがかなり回ってきているのでその辺にしておくのがベストだと思う。話を広げるのは簡単でも、まとめたり結論づけたりするのは難しい。難しいことを思いついたとしても、それに対して自分なりの答えとかまとめが出来上がらないのならほどほどにしておくべきだろう。日記なんて難しいことを悟るための空間でもない。これはただの日記で、これを書いている自分は学者でもなんでもない人間なのだ。あくまでも普通にとどめておきたいわけなのである。

 

それで先程の自分は、いつまでこの日記を書き続けられるのかと、そんな嘆きみたいなものを書いてみたが、そのうちGWが近づけば嫌でも忙しくなって日記なんて書いているひまなど見いだせなくなると思う。だからこうして有意義にしたいのか無駄にしたいのかもわからないニュアンスのものだと開き直ったりしているわけなのである。そんな今の時間はとても貴重といえるだろう。物事の曖昧さに溺れている時間、これはなによりの贅沢なのだ。大学生が進路に悩んでいる時間、無職がタウンワークでだらだらと求人一覧を見る時間、レストランで何を頼もうか一向に決まらない時間。優柔不断とはまるで贅沢者の所業かともいえる。自分はとにかく色々と迷っている。精神はどこまでも決められない物事の渦に巻き込まれていく。

 

これでいいと思っている。まあそう思うのも今だけかもしれないが。明日になって、ふとしたことで機嫌が悪くなって物事の見方が変わったら、こんなもの簡単に否定して見せられるだろう。でもその程度には肯定している。それくらいしかない。自分の書いたものに手向けてやることなんて、ちょっとした肯定くらいなものだ。