3月31日
野辺山から電車で2時間半の旅を続け、長野県上田市に到着した。朝からの旅路で疲労は溜まっている。上田は城下町ということで、風情ある街並みが特徴的である。商店街も活気があり、そこそこに発展している。甲府とか、佐久平とかよりも居心地が良いような気がする。昼間は買い物とかもしながら、上田城の桜を見に行った。は散々歩き回ったので、今晩は上田市のゲストハウスでゆっくり一泊することにする。
正直、ゲストハウスは落ち着きがなくてすこし苦手だったりする。いろんな人が行き交う中で文章を書くことは、少しやりづらく、普通にビジネスホテルとかに泊まればよかったと感じている。人見知りで、あまり人の雰囲気に飲まれたくないからというのもあるけれど。なんというか、初めてシェアハウスに住み始めたときのそわそわした感じを思い出す。大阪に住んでいた時、常に廊下やリビングで人が行き交い、すれ違えば挨拶をして、同じ空気感を当たり前のように共有し合う、あの空間。ああいう賑やかさがとても恋しい時もあった。あの時の自分は、やっぱりあの時の空気感が必要だったのだ。あの生活こそにやりがいを感じていたし、自分の場所だと堂々と胸を張って思えるものだった。
今の自分は、とにかく一人で文章を書き続けていく時間が欲しいのだ。だから、寂しさを解消したり、誰かと賑やかに暮らしていくことを求めるわけにはいかない。実際、こうやって自分のやるべきことを求めていけば、自然と自分の身を置いておくべき空間というものが、おのずと見えてくるような気がする。自分の今住んでいる野辺山は、不便さこそは目立つけれど、自分の作業を邪魔されることはない。孤独感や寂寥感、静けさに襲われて飲み込まれてしまいになるけれど、それは問題ではない。そもそも安心を求めて生きているのではないのだからと、そういった気持ちで絶望と隣り合わせにならなければいけないのだ。
それはとてもスリルのある生活ではある。捨て身のものでもある。そんなものが必要かと疑問にも思う。でも安寧の暮らしでは、賑やかな暮らしでは、きっと無意識の領域には達することができないであろう。自分はそれが欲しいのだと、最近気づいた。無意識の領域、その狭き門をこじ開けなければ、自分は所詮その程度止まりだろう。その程度で終わるのが嫌だったので、家を飛び出して、シェアハウスを飛び出して、関西を飛び出した。馴れ合いがあれば、きっと手を緩めてしまう。幸福があれば、そんなもの忘れてしまうだろう。忘れてしまった方が楽だったかもしれない。でも忘れられないから、今の自分がある。多分死ぬまで忘れないと思う。