こないだの日曜日に、伝法川跡をたどってみました。
伝法川は新淀川開削前の旧淀川筋で、正連寺川から分岐していました。
昭和31年3月に埋め立てが完了しています。
正連寺川からの分岐点。鴉宮神社の前に川跡の碑が建っています。
神社は分岐点の剣先に建っていたと思われ、その隣が大きな保育園になっているので、
ほぼここが川筋でしょう。
この保育園、4階建てでとても大きいのですが、格子デザインの窓が端正に並び、
遠くから見ても「おやっ」と思わせる建物です。
その裏は伝法東公園。川跡の定番利用法ですね。
そして鴻池組の寮です。この北側は地図によると鴻池組技術研究所となっており、
その北側に鴻池本店があります。おそらく鴻池本店は川沿いにバルコニーを
向けていたと思われます。
阪神西大阪線が伝法川を渡っていた鉄橋がそのまま、自転車置き場になっています。
(写真がくすんでいて見苦しくてすみません、レンズが曇っていたようです・・・)
この橋げたなど、モロですよね。
高架線路の向こう側はまた幼稚園でした。公共施設も定番です。
ここからしばらくは此花通沿いにマンションなど住宅地になっています。
そして伝法西公園。
そしてここが伝法川の残りで、港になっています。伝法港というそうです。
漁協の建物もあって漁船がたくさん停泊し、海産物を食べさせる店があり、
どこか郊外の漁師町の香りです。大阪市内にこんな漁港があるとは!!
貝のこびりついたこの細い水路を抜けると、新淀川へつながっています。
(この先は見れませんでしたが水門があるようです)
いや~驚きです。
昔東京の佃島へ渡った、佃の漁民たちに出会ったような気がしました!
伝法川は新淀川開削前の旧淀川筋で、正連寺川から分岐していました。
昭和31年3月に埋め立てが完了しています。
正連寺川からの分岐点。鴉宮神社の前に川跡の碑が建っています。
神社は分岐点の剣先に建っていたと思われ、その隣が大きな保育園になっているので、
ほぼここが川筋でしょう。
この保育園、4階建てでとても大きいのですが、格子デザインの窓が端正に並び、
遠くから見ても「おやっ」と思わせる建物です。
その裏は伝法東公園。川跡の定番利用法ですね。
そして鴻池組の寮です。この北側は地図によると鴻池組技術研究所となっており、
その北側に鴻池本店があります。おそらく鴻池本店は川沿いにバルコニーを
向けていたと思われます。
阪神西大阪線が伝法川を渡っていた鉄橋がそのまま、自転車置き場になっています。
(写真がくすんでいて見苦しくてすみません、レンズが曇っていたようです・・・)
この橋げたなど、モロですよね。
高架線路の向こう側はまた幼稚園でした。公共施設も定番です。
ここからしばらくは此花通沿いにマンションなど住宅地になっています。
そして伝法西公園。
そしてここが伝法川の残りで、港になっています。伝法港というそうです。
漁協の建物もあって漁船がたくさん停泊し、海産物を食べさせる店があり、
どこか郊外の漁師町の香りです。大阪市内にこんな漁港があるとは!!
貝のこびりついたこの細い水路を抜けると、新淀川へつながっています。
(この先は見れませんでしたが水門があるようです)
いや~驚きです。
昔東京の佃島へ渡った、佃の漁民たちに出会ったような気がしました!
しかも今も動いているとのこと。
その海産物を食べさせる店が気になります。行ってみたい。
漁港に行き当たったのは偶然なんですか?
鉄橋を自転車置き場に使っているというのも面白い。
そのお店というのは漁協の建物の奥の方にあったので
覗くこともできていませんが、ずいぶん手前から
看板を出していたので一般の人も入れるはずです。
次の記事に書いたとおり、伝法川の残りをめざして
行ったのですよ。
くねくね行ったので遠かった!!
廃川跡からたどりついて頂いたとは、感激です。
猫間川は私も気になっているところです。
いや~なんだか同士が増えたようでうれしいです。
blog拝見させていただきました。
いろいろ見て歩かれていますね。
これからもよろしくお願いします!