五島旅の続き。
石田城(福江城)の一角にある五島氏庭園は国指定名勝に指定されており、どのガイドマップにも必ず載っている。
「庭園」だけかと思いきや、実は立派な家屋も残っているのだ。
堅固な石垣の間に造られた門がお城の一部であることを物語る。
五島氏隠殿屋敷は、30代当主、盛成公の隠居所として建てられ1861(文久元)年に竣工。
住まいなので廃城令による取り壊しも免れ、32代目のご当主が昭和50年代までここに住んでおられた。
さすがに傷んできたので大改修工事が行われ、2016(平成28)年に完了、一般公開されるようになった。
五島家は現在35代目で、今も城内にお住まいだそう。
ガイドさんが細かく案内してくれる。こちらは、ここを建てた盛成公が好きだったという亀をモチーフにした
「亀の間」。明るい角部屋で、公式な接客用に使われたという。
欄間にはかわいい亀の透かし彫りが。壁紙は氷と雪をデザインした流行の模様だが、亀の甲羅にも見える(笑)
釘隠しも亀モチーフだ。
吹き寄せの障子がとってもモダンな印象。
亀の間の10畳と5畳の境の敷居は可動式で、敷居を外側に寄せることにより畳が連続し、一体の部屋として
使用できる。畳モジュールの日本家屋ならでは。
亀の間からよく見える心字池には亀に見立てた島がある。その他にも亀を模した石が多数配置されていると
いうのだが、それらは言われないとちょっと分からない。いや、言われても分からない(苦笑)。
もちろん池には本物の亀もたくさん住んでいる。
一転、こちらのシックな紺色の壁紙の部屋は「梅の間」。亀の間よりも格式が高い仕様となっている。
ここは主人の居間として使われた。
びっくりするのは、この折り上げ天井!!うぉ~~~っ、箱メガネみたいだ!
藍染した雁皮紙に金泥で描かれた「捻り梅」が妖艶に浮かび上がる。これらの壁紙も復刻して作ってある。
この部屋の障子の桟なども、これが近世(江戸時代)に造られたということを忘れるほどモダンなデザインで、
もうほとんど近代和風だ。
欄間にも梅、釘隠しも梅。こだわっているなぁ!
しかし、自分の嗜好を取り入れた亀の間の方を自室にしそうなものだが、逆なのはちょっと意外な感じがする。
二つの座敷の裏手には「化粧部屋」などバックヤードの部屋が並び、襖を全部開けると畳廊下のようになる。
大きな丸窓がポイント。
ずっと奥へ行くと薄暗い女中部屋がある。
正面の障子の桟は、ありそうで見たことがない籠目文様。
仏壇の横の観音開きの物入れを開けたら、何と外へ通じる逃げ道が!
2階は1階の天井の高さに応じたスキップフロアになっている。
階段を上がったところも畳敷で、屋根裏の梁を見ることができたり、小さな板を2方向に開くことで閉まる
しくみの雨戸の鍵なども面白い。そして深さ半間の地袋があり、その襖を開けるとその奥にもう一枚襖があって、
それを開けたら隠し部屋に通じているのにはまた驚いた!!これは説明してもらわないと絶対わからない。
内側の襖も藍色の布張りのきれいなものだった。
こういう忍者屋敷のような造りは今見ると面白いが、当時は緊急事態の実用として作られたわけだ。
トイレは元々3ヶ所あったが、現在は1ヶ所だけが残っており、ガイドさんが扉を開けて見せて下さった。
うぉ〜!!菖蒲柄の陶製便器が。美しい!この角型の便器は瀬戸製。元々は小便器も同様のものがあったと
推測されるということだったが、改修時に撤去されたのか、それともずっと前になくしてしまったのか、、、
当時の状況を知る方はおられなかった。
大きな心字池をめぐる林泉回遊式庭園を散策することもできる。
庭に突き出た小さな部屋は「神様の間」。特別な部屋らしく非公開で、案内の方も入ったことがないという。
なんとこの部屋へ入るための太鼓橋が架かっている!どんな部屋なのか興味をそそられるが・・・見れないのは残念。
TV番組の撮影には使われたことがあるとか・・・
敷地はお城の高い石垣に囲まれている。野面積みの石垣は当時のままで崩れも歪みもせず美しい状態を
保っているのは素晴らしい!五島列島は地震があまりないのだろうか?
五島高校の横に見えたアーチ橋に出られるところがないかと探してみたが、出られなかった。
続く。
石田城(福江城)の一角にある五島氏庭園は国指定名勝に指定されており、どのガイドマップにも必ず載っている。
「庭園」だけかと思いきや、実は立派な家屋も残っているのだ。
堅固な石垣の間に造られた門がお城の一部であることを物語る。
五島氏隠殿屋敷は、30代当主、盛成公の隠居所として建てられ1861(文久元)年に竣工。
住まいなので廃城令による取り壊しも免れ、32代目のご当主が昭和50年代までここに住んでおられた。
さすがに傷んできたので大改修工事が行われ、2016(平成28)年に完了、一般公開されるようになった。
五島家は現在35代目で、今も城内にお住まいだそう。
ガイドさんが細かく案内してくれる。こちらは、ここを建てた盛成公が好きだったという亀をモチーフにした
「亀の間」。明るい角部屋で、公式な接客用に使われたという。
欄間にはかわいい亀の透かし彫りが。壁紙は氷と雪をデザインした流行の模様だが、亀の甲羅にも見える(笑)
釘隠しも亀モチーフだ。
吹き寄せの障子がとってもモダンな印象。
亀の間の10畳と5畳の境の敷居は可動式で、敷居を外側に寄せることにより畳が連続し、一体の部屋として
使用できる。畳モジュールの日本家屋ならでは。
亀の間からよく見える心字池には亀に見立てた島がある。その他にも亀を模した石が多数配置されていると
いうのだが、それらは言われないとちょっと分からない。いや、言われても分からない(苦笑)。
もちろん池には本物の亀もたくさん住んでいる。
一転、こちらのシックな紺色の壁紙の部屋は「梅の間」。亀の間よりも格式が高い仕様となっている。
ここは主人の居間として使われた。
びっくりするのは、この折り上げ天井!!うぉ~~~っ、箱メガネみたいだ!
藍染した雁皮紙に金泥で描かれた「捻り梅」が妖艶に浮かび上がる。これらの壁紙も復刻して作ってある。
この部屋の障子の桟なども、これが近世(江戸時代)に造られたということを忘れるほどモダンなデザインで、
もうほとんど近代和風だ。
欄間にも梅、釘隠しも梅。こだわっているなぁ!
しかし、自分の嗜好を取り入れた亀の間の方を自室にしそうなものだが、逆なのはちょっと意外な感じがする。
二つの座敷の裏手には「化粧部屋」などバックヤードの部屋が並び、襖を全部開けると畳廊下のようになる。
大きな丸窓がポイント。
ずっと奥へ行くと薄暗い女中部屋がある。
正面の障子の桟は、ありそうで見たことがない籠目文様。
仏壇の横の観音開きの物入れを開けたら、何と外へ通じる逃げ道が!
2階は1階の天井の高さに応じたスキップフロアになっている。
階段を上がったところも畳敷で、屋根裏の梁を見ることができたり、小さな板を2方向に開くことで閉まる
しくみの雨戸の鍵なども面白い。そして深さ半間の地袋があり、その襖を開けるとその奥にもう一枚襖があって、
それを開けたら隠し部屋に通じているのにはまた驚いた!!これは説明してもらわないと絶対わからない。
内側の襖も藍色の布張りのきれいなものだった。
こういう忍者屋敷のような造りは今見ると面白いが、当時は緊急事態の実用として作られたわけだ。
トイレは元々3ヶ所あったが、現在は1ヶ所だけが残っており、ガイドさんが扉を開けて見せて下さった。
うぉ〜!!菖蒲柄の陶製便器が。美しい!この角型の便器は瀬戸製。元々は小便器も同様のものがあったと
推測されるということだったが、改修時に撤去されたのか、それともずっと前になくしてしまったのか、、、
当時の状況を知る方はおられなかった。
大きな心字池をめぐる林泉回遊式庭園を散策することもできる。
庭に突き出た小さな部屋は「神様の間」。特別な部屋らしく非公開で、案内の方も入ったことがないという。
なんとこの部屋へ入るための太鼓橋が架かっている!どんな部屋なのか興味をそそられるが・・・見れないのは残念。
TV番組の撮影には使われたことがあるとか・・・
敷地はお城の高い石垣に囲まれている。野面積みの石垣は当時のままで崩れも歪みもせず美しい状態を
保っているのは素晴らしい!五島列島は地震があまりないのだろうか?
五島高校の横に見えたアーチ橋に出られるところがないかと探してみたが、出られなかった。
続く。
え?荒井由実が、当時分校だった奈留高校の校歌を作った話ですが。まあ、校歌にはなりませんでしたが、その話をラジオで聞きながらうらやましく思った次第です。
茶室じゃないのかと思ったのですが、ガイドの方も詳しくわからないようでした。ますます見てみたい!