五線譜のリボンたなびく

音楽のことメインに、色んなこと書いていきます。

クリスマス

2018年12月24日 | お題
クリスマスに思い入れがないんだよ。

まず、うち貧乏だったし、子どもの頃サンタさんが来たの、2回くらいしか記憶ない。うち担当のサンタさんは病気もしてたし正直プレゼントどころじゃないなってのは子どもは察しますからね。ねだろうとも思わなかった。
病気になる前のわずかな記憶で、おままごとできるおうちのおもちゃをもらったことだけは覚えてるけどさ。


あとは大人になっても、クリスマスって聞いて思い出すことって・・・

ひとつめー。昔の相方の誕生日ー。

ふたつめー。それと別の相方とお別れした日ー。


クリスマスが誕生日の相方は、クリスマスである前に自分が生まれた日だからクリスマスケーキといっしょくたにされるの嫌だったって思い出をさんざん聞いた。だから私も、誕生日を祝うってことしか考えてなかったし、それこそプレゼント要らないなって思ったし、むしろあげたよね。
遠距離だったのもあって、形とかどうでもいいなって2人しておんなじ考え持ってたからね。

別れた相方は、もうこうするしかなかったんだよなあ。一緒にケーキ作って食べたわ。思い出すわー。未練はないけど場面は強烈に覚えてる。



日本人だしなあ…クリスマスよりお正月なんだよなあ。
ただ、イルミネーションは大興奮しますけどね。そういう意味でテンションは爆上げになっけどね。

急行きたぐに

2018年12月16日 | お題
きたぐにはね、絶対なくしちゃいけなかったと思うの。
大阪や京都に行くときに何度かお世話になった。初めて利用したのは大学4年の時。ゼップOSAKAまでTOKIOのアコースティックライブを観に行く為に使った。
当時お金がなくて普通の4人掛けのボックス席で行ったつわものです。盗難に気を付けて下さいというアナウンスを聞いて、鞄の中に財布を入れた状態でその布鞄を2つ折りにして枕にしてったなあ。

その後、社会人になってからも数回使わせていただいた。寝台席で。音鉄がいたな。アナウンスを録音してる人がいたり。外国人も結構利用していて、朝からうっせえなと思ったり。
正直寝台車は眠れない。でもそれでいいの。旅に行くわくわく感が寝台にはあるからね。


きたぐにがなくなり、北陸新幹線が出来たことで、さらに関西方面には行きづらくなった。



トワイライトは1度だけ利用したな。北海道に行くために。たまたまとれたのがツインで、2人分の人数だから33000円くらい?とられたけどそれはもう快適だった。午前3時半頃にちょうど竜飛海底あたりで、ひたすら海底の線路を目で追ってたな。


トワイライトもなくなっちゃったもんな…どんどん寝台がなくなる。
長距離列車はどんなに速い列車が出来てもね、ゆっくり電車旅を楽しみたい者としては必要なんだよ。


復活しないかね…

お手伝い

2018年12月15日 | お題
サーカスは1度だけ行った。「柿沼大サーカス」。チラシが朝入ってて、家族みんなで行ってみようよと、車で20分くらいの特設広場まで行った。大きいテントが特設されていて、結構家族連れが並んでいた。

私も姉も小学生の時。私が小3だったかな。きょうだいでお出かけ用のお揃いワンピースを着て行ったのを思い出す。
着いてから、カメラ持ってきてないじゃん!あーあ、まいっか、とか言って、中に入ってった。

円形の客席。近いようで遠い、遠いようで近い。正直ショーの中身ってほとんど覚えてない。が、唯一ハッキリ覚えてることがある。


ピエロがレンガを使って大道芸みたいなことをやっていた。誰かお客さんに来てもらって…ってなった時に、真っすぐうちらんところにめがけてピエロが歩いて来たんだよ!
姉の前に行った。姉はずっと顔を伏せていた。あれ?いつもうちにはあんなに強いくせに、何?恥ずかしいんかい?意外!
で、私のところに手を出してきたから、手をおいて、一緒にステージのとこまで歩いた。
れんがをピエロに渡すお手伝いをした。
すげえなこんな近くでピエロがショーやってるよ!なんて見とれてたらピエロがじーっと見て笑った。最後は有難うと頭をさげられて、そそくさと元の客席へ戻った。
割れんばかりの拍手をいただいた。気持ちが良かった。

翌日、実は担任の先生も家族で来てたそうで、その話を朝の会に出されて、みんなの前で話をしたのを覚えてる。

ピエロは近くで見るとこえーんだなと思った。カメラあったら記録に残せたのにもったいないよね、もうこんな経験2度とないよね、って親に言った。
あれからサーカスなんて行く機会ない。本当に貴重な経験。

恩師2人

2018年12月14日 | お題
来年1月下旬から職場にフル復帰出来るということで、やっぱりずっとお世話になっている恩師2人には報告しておきたかったので、手短にメールをしました。
高校を卒業してからほぼ会ってないものの、1~2年おきに報告をしており、メールで返事をいただいている間柄。

いつも情けない報告ばっかだな、申し訳ないな、いつまでも子供みたいだな…とちょっとネガティブになっていた時にすぐ返事をいただいた。

1人は高3の時の担任。この人がいなかったら私は大学に行けていない。張り切り過ぎない、無理しない、少しずつゆっくり行こう、連絡ありがとう、退職前に会えたらいいねとまであって、ぐっときて泣きそうになった。
もう1人は数学の恩師。この人がいなかったら理学部に進もうとも思わなかったし数学の道を選ぶこともなかった。
この人は雰囲気も文面もクールな印象は変わらないけど、その中にも優しさがあり、慣らし運転していきましょう、そのうち全速力で走れるようになるから、と。


2人の恩師には感謝してもしきれない。こんな私に、いつも芯をついた一言と、あたたかい言葉をかけて下さる。
私もこういう大人でありたい。きちんと、この人たちから受けた恩を仕事の中で返していきたい想いでいっぱい。


先生、私頑張ります。頑張りすぎないよう気を付けます。もっといい報告が出来るように、身体と相談しながらこれからも精進して参ります。

詰めまくり

2018年12月14日 | お題
某お菓子会社で、ポテトチップスを透明の細長い容器に敷き詰める作業をしました。コンソメ味、青のり味、うすしお味など…においに酔いながらも、向こう側から小さいポテトさんたちが延々と流れてくるもので、きちんとスペースが空き過ぎないように詰め込まないとどんどん先がつかえて機械が止まっちゃうんですね。

ここは難しいよと言われてその場所の長さんのお隣で頑張ったんだけど、一回だけ機械を止めてしまってパニくったね…
大事な場所を任されてやりがいはあったけども。



ある日は、また別のポテトチップスのところで作業。おもっきし窯から焼けたてのポテトさんたちを、瞬時に目で追って割れてるものは下に落とす。きちんと丸いものだけをひっくり返して次の工程に流す…消毒を念入りにしてからポテトエリアに入り、素手でポテトさんたちをひっくり返す作業を午前中の3時間とか集中してやるので、熱くてたまらんかったですね。

甘いお菓子もちょっとやったな。黒い点がちょっとでもあったらベルコンに乗せずに下に落とす。


そんなアルバイトを1か月。大学の長期休暇の時にやりました。給料はメチャメチャ良かった。その給料はどう消えてったかと言ったら、自転車が盗まれて新しいのを買ったり…そんな悲しい消え方をしましたね。