オコジョ、チャート・レビュー

洋楽チャートの感想や予想を長々と述べます。速報性はありません。

<コラム>ヒップホップが生誕50周年!長めの記事!

2023-08-09 | コラム

 

フォーク・ロック・シンガー、ノア・カハンの "Dial Drunk" がチャート上昇中!

この曲、最初は好みじゃないと思ったけど、意外と好きかも...。

ポスト・マローンを加えたリミックスが好評でチャートを上昇してるみたいだけど、

驚くほどポスト・マローンのパートは原曲に馴染んでいて、ボーカルを追加した感が全然なかった。

...あと、フォール・アウト・ボーイがビリー・ジョエルの曲をカバーしてたのも気になる!

 


 

8/11で音楽ジャンルのヒップホップは生誕50周年を迎えるそうです。

これまでジャンルについて本質を知らないくせに偉そうにだらだら語っていた私は、

これをきっかけにヒップホップについて学ぶことにしました。

いろんなサイトを巡りましたが、米音楽学校のアイコン・コレクティブがいろいろ詳しく説明してくれていたので、

特に重要だと思ったところを引用して、和訳していこうと思います。

 

参考文献:Hip Hop History: From the Streets to the Mainstream (iconcollective.edu)

※太字部分が引用で、それ以外は私情コメントです!!私情はもちろん読み飛ばし可!

 

1.ヒップホップとは

2.ヒップホップ・カルチャーの起源

3.ヒップホップの先駆者

4.初期の音楽技術の影響

5.ヒップホップ黄金時代

6.サンプリングと著作権の法

7.メインストリームへの影響

8.まとめ

 

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1.ヒップホップとは

 

 ヒップホップは音楽以上のもので、さまざまな芸術の要素を含む文化活動です。具体的には4つの要素がヒップホップを形成しており、それは「DJ / ターンテーブル」「MC / ラップボーカル」「B-Boy / ブレークダンス」そして「ビジュアル / グラフィティアート」です。これらも音楽とともに後にさらなるサブカルチャーへと発展していきました。

 

 B-Boy は、初めて知ったのですが「ヒップホップ・ミュージックに夢中になっている少年」という意味だそうです。B-Girl という言葉もあるみたいですね。ターンテーブルで音楽をプレイするDJ、ラップで魅せるMC、ブレークダンスをする B-Boy や B-Girl。そして彼らは視覚的な芸術としてグラフィティアート(壁への落書きアート)をするということでしょう。

 

 これら4つの要素の交差は、文化革命をも起こし、それは急速に世界中に広まりました。ヒップホップ・カルチャーが世界に与えた影響は、音楽スタイル、ファッション、テクノロジー、芸術...など数えればきりがありません。今日まで、ヒップホップは世界的な現象であり、常に過去の世代・今の世代どちらの人々にも影響を及ぼす新しいアートの形を生み続けています。

 

 私は芸術とかはまったく分からない方の人間ですが、ヒップホップの前述した4つの芸術は分かりやすくていいですね。ヒップホップは世界的な現象...それは本当にそうだと思います。

 

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2.ヒップホップ・カルチャーの起源

 

 ヒップホップは1970年代前半にニューヨークのブロンクスで発生した、サブカルチャーであり芸術活動です。それは大規模工業支配後の景気低迷、政治的な論議、そして急速に変わっていく経済の負の側面の影響を受けて生まれました。

 当時のニューヨークは経済崩壊を経験しており、市の移民への対応もひどいものでした。移民は一般社会と分離したコミュニティを作らされましたが、さまざまな血統の移民がいる中で移民同士の関係も劣悪で、犯罪や暴力、貧困もどんどん増えていました。

 

 ヒップホップがカウンターカルチャーであることは一応分かっていたのですが、本当に環境が酷かったんですね...。ちなみにブロンクスは、ニューヨークの北部みたいです。

 

 

 (経済崩壊で)最終的にビジネスチャンスはどんどん減っていきましたが、一方でそれは結果的に都市の若者がストリートに出て、自己を表現するという新たなエンターテインメントの機会創出につながり、廃ビルや駐車場は彼らのブロックパーティーのステージと化しました。これらのパーティーが初期のヒップホップ・カルチャーの基盤を形成しており、DJやMC、ブレークダンサーが生まれるもととなった他、レンガの壁への落書きは芸術へと発展しました。

 このように、怒り・苦難・自暴自棄の負の感情がヒップホップという新たな文化を形成したといえます。しかしながら、それは後に多様でクリエイティブな「感情のはけ口」として機能するようになり、暴力に対処するツールにもなりました。

 

 またもよく知らなかった言葉についてですが、ブロックパーティーは交通を止めて行う野外パーティー...みたいな感じらしいです。馴染みこそありませんが、想像はできますね。最後の「暴力に対処するツールにもなった」、確かにラッパーによるディス・トラックは、言葉の暴力ではありますが、実際の暴力を未然に防いでいる感があります。

 

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3.ヒップホップの先駆者

 

最も有名な先駆者として、"Holy Trinity" と呼ばれる3人がいます。

 

① DJ KOOL HERC

 

 最も影響力のある先駆者の1人にジャマイカからの移民である DJ KOOL HERC がいて、彼は「ヒップホップの父」とされています。1973年、ブロンクスのアパートで彼と彼の妹が行ったパーティー "Back To School Jam" が、ヒップホップ・ムーブメントのはじまりとなりました。

 

 

 彼はDJテクニックとして「ブレイクビート」を使いました。打楽器(ドラム等)のパートである「ブレイク」を延長するため、1つのサンプリングレコードからそれぞれ別のパートを2つ抜き出し、それを「ブレイク」で交互に流し続けたのです。

 「ブレイク」は人々が最も激しくダンスする曲のパートで、それゆえ彼ら(=ブレークダンサー)はブレーク前に輪になり、ブレークに備えて最高のダンスを温存していました。DJ KOOL HERC は彼らをブレイク・ボーイズ略して「B-Boys」、ブレイク・ガールズ略して「B-Girls」と名付けたといわれています。

 

 「B-Boys」「B-Girls」の起源が発覚!!そういう略だったんだ...!音楽の楽器的な話は苦手ですが、DJ KOOL HERC さんに関しては、人々が最も興奮する「ブレイク」のパートをうまく延ばしたことがすごかった、ということだと思います。

 

 彼はまた、MC(ラップ)のパフォーマンスでリズミックに韻を踏むことや言葉遊びをすることの文化も発展させました。楽器のパートにおいてリズムに合わせて喋り、韻を踏んで聴衆をあおっていたということです。彼は友人の Coke La Rock さんもパーティーに読んでいましたが、彼が一番最初のラップMCだといわれています。

 

 ...名前を知らない人ばかりですが、ヒップホップを愛するアメリカ人なら誰でも知っている方々なのかもしれません。覚えておいて損は絶対ない!

 

② AFRIKA BAMBAATAA

 

 「ゴッドファーザー」としても知られる AFRIKA BAMBAATAA も先駆者の1人です。彼は70年代後半にブロンクスでブロックパーティーを開き、他に先駆けてDJや音楽プロデューサーをしていました。彼はまた、若い人々をギャングや危険なドラッグ、暴力といった概念から遠ざけるのにも寄与しました。具体的には、ヒップホップによる表現を通して平和と団結を促進する音楽的組織 Universal Zulu Nation を設立し、都市の若者に「DJ」「MC(ラップ)」「ブレークダンス」「グラフィティアート」を教えたといいます。これらをヒップホップの4大要素と定義したのも BAMBAATAA さんです。このような Universal Zulu Nation は今日も、ヒップホップ・カルチャーを世界に広め続けています。

 

 絶対いい人じゃんこの人...。現代ではもはや音楽に文化を作る力は無いなんていわれるけど、そういわれているからこそ、BAMBAATAA さんが行った活動がものすごいことのように聞こえます。現代はそうではないとは言いませんが、当時は音楽を通して平和を促進...というのがすごく現実的な話だったんですね。

 

1982年、AFRIKA BAMBAATAA と the Soul Sonic Force は初期のヒップホップ・ソングで最も名高い曲の一つ "Planet Rock" をリリースしました。曲はドラム・マシーンの TR-808 を使っていますが、"Planet Rock" は後にヒップホップ・ミュージックの中心となる TR-808 をシーンに広めるきっかけになったといいます。

 

 

 一聴してみて、聴きやすい曲!電子音がふんだんに使われていることもあって、昔の曲感があまりありません。初期の曲にして、早くも革新的というか、すごい曲なんだな~と思いました。

 

③GRANDMASTER FLASH

 

 最後の1人はブロンクス出身のDJ、 Grandmaster Flash。彼はレコードを早送りしたり巻き戻したりするDJテクニックを最初に成功させた人といわれています。彼はまた1976年に Glandmaster Flash and the Furious Five というグループを結成しました。4人のラッパーが交互にラップをし、Flash が無類のDJスキルでそれらを混ぜ合わせるという独特なスタイルです。独特なスタイルやシングルの成功もあってグループはヒップホップ史で最も影響力のあるアクトの1組となりました。

 

 グランドマスター・フラッシュと読むのでしょうか。交互にラップするというスタイルは後にブラック・アイド・ピーズやミーゴスに受け継がれていますよね。ただ、どちらも3人で回している感じなので、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイブの説明を読んだときは「4人も!?」となりました。

 

Grandmaster Flash and the Furious Five はいくつかヒット曲を持ちますが、その中でも最も重要なのが "The Message" という曲です。この大ヒット曲はラップを1つのジャンルとして確立させ、初めてラッパーを流行の最先端へと押し上げました。力強い歌詞はスラムでの厳しい生活の現実を描写したものになっていて、これはリズミックさを重視する初期のヒップホップのスタイルからの重要なシフトでもあります。

 

 

 これ、コイ・リレイの "Players" じゃん!!!昨年末、若手ラッパーのコイ・リレイが過去のヒップホップの有名曲をサンプリングした "Players" をリリースし、それは今年上旬に全米チャートでTop10入りするほどの大ヒットになったのですが、その有名曲がこの "The Message" でした!!知らなかった...。つまり、ヒップホップの一番最初の大ヒットを堂々とサンプリングしたわけですね、そりゃ話題になるわ!

 

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4.初期の音楽技術の影響

 

 80年代前半は、ヒップホップや音楽のプロダクションにおいて非常に重要なターニングポイントになりました。シンセサイザーやサンプラー、ドラム・マシーンが安くなり、手に入れやすくなったのです。特に TR-808 は最強の武器で、プロデューサーはDJのブレイクビート技術に頼らずとも独自のドラム・パターンを生み出せるようになりました。力強いベースのドラム・サウンドで、TR-808 はヒップホップ音楽の要になっていきました。

 

 

 サンプリング技術も80年代に発達しました。DJはターンテーブルを使う代わりにサンプラーを使い、ブレイクをつなぎ合わせる(延長させる)ことができるようになり、プロデューサーはサンプラーを使って原曲を新しくアレンジすることができるようになりました。これは後の「リミックス」技術の原型です。

 

 リミックスのはじまりは80年代なんですね。技術の発達が音楽を変えるというのも、普通のことなのかもしれませんが、面白いです。

 

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5.ヒップホップ黄金時代

 

 1980年代中盤から1990年代前半にかけて、ヒップホップは国中に広まりました。これが(スタイルの)シフト後のヒップホップ・カルチャーの時代の幕開けです。この時代は「ヒップホップ黄金時代」として知られていて、ヒップホップの多様性や影響、革新的なスタイルやメインストリームでの成功から多くの人々はこの時代がジャンルにとって大きなターニングポイントだったと認識しています。

 レーベルもヒップホップを拡大中の儲かるトレンドと捉え、たくさんの資金を投じました。トミー・ボーイ、プリズム・レコード、デフ・ジャム・レコードなど独立系のレーベルも出てきて、成功しています。それらレーベルは地元のラジオやクラブのDJらによるラップ・ミュージック需要に応えようと速いペースで楽曲をリリースし続けたことで、大成功しました。

 

 これが俗にいうヒップホップ黄金時代...!ジャンルが明確に勃興した時代...!デフ・ジャム・レコードは今でもめちゃくちゃ名前を聞きます。黄金時代から現代まで、おそらく数えきれないほどの名ラッパーを輩出してきているのでしょう。

 

 

 ヒップホップ黄金時代の決定的な特徴の一つに、サンプリングの多用があります。当時は音楽をサンプリングから守る著作権がなかったので、アーティストは法的なトラブルなしにたくさんのソースから音楽をサンプリングすることができました。彼らはジャズやロックなどさまざまなジャンルの音楽をサンプルに使えたのです。

 歌詞の内容も同様に発展しました。ヒップホップの歌詞はより隠喩的なものが増え、話題も多岐にわたるように。アーティストはより複雑なアレンジでラップをパフォーマンスするようになりました。Melle Mel、KRS-One、Rakim、Chuck D、Warp 9 といったアーティストが、ヒップホップの歌詞とラップ・パフォーマンスの芸術性を高めたとされています。

 

 そうなのか~。サンプリングって、最近めっちゃ多いから比較的最近のトレンドなのかと思ってたけど、昔から全然あったんだなあ...。出てきた5人のラッパーのうち、ラキムとチャック・Dをぎりぎり名前聞いたことあるくらい。黄金時代といえども、結局知っている人は少なそうです。

 

 ヒップホップをメインストリームに押し上げる上で、欠かせない新手のラッパーたちもいます。例えばランDMCはラップとハード・ロックを融合させ、ヒップホップをさらに広めたといえます(エアロスミスの "Walk This Way" のラップ・バージョンを作り、それが大ヒットした)。他にもL.L.クールJ、ビースティ・ボーイズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、パブリック・エナミーが新しいスタイルで市場を賑わせました。

 さらに、ヒップホップのファッションもメインストリームでヒットすることになります。ヒップホップの服や靴、アクセサリーや髪型が自己表現の一つとして流行し、ストリートのスラングも辞書に掲載されるほどまでに広まりました。

 

 ...と思ったら知ってる人めっちゃいた~っ!!ランDMCはチャートで見ることがありますし、ビースティ・ボーイズもラップとロックのスタイルを知っています。L.L.クールJはグラミー賞の司会でけっこう有名ですね。他の2組も全然名前聞いたことあります。あと、スラングに関しては、何年か前にエミネムの "Stan" がオックスフォード英語辞書に加わったことを思い出しました。Stan は「熱狂的なファン」という意味です。

 

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6.サンプリングと著作権の法

 ラップ・ミュージックは1990年代前半、サンプリングを多用していましたが、原曲の所有者がそれらのアレンジを聴いたところ、彼らは自分の曲で他人が儲けていることを不快に思い、自分の音楽を他人が使うことへの補償がほしいと言うようになりました。

 たくさんの法的なアクションを経て、政府はついにいくつかの著作権法を成立。訴訟を防ぐため、アーティストは楽曲を発表する前にすべてのサンプリングソースを事前に明らかにするよう求められるようになりました。しかし、ソースの明記はコストがかかり、多くのレーベルはそれらをする金銭的余裕がない状態。結果、プロデューサーはオリジナルの音楽を作らざるを得なくなり、ヒップホップはまた新たな方向へと転換しました。

 

 なるほど、ここにきてついに著作権法が...。法律によって音楽性が変わったというのもまたリアルですね。これ以降はロックやR&B、ジャズの要素がラップ・ミュージックからどんどん抜け落ちて行き、純粋なラップ・ソングが増えたらしいです。

 

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7.メインストリームへの影響

 

 ヒップホップはさらに商業的なものになって行き、90年代後半には最も売れるジャンルの1つになっていました。ウエストコースト・ヒップホップ、ギャングスタ・ラップ、サウザン・ラップ、ラップ・ロックなどのさまざまなラップ・スタイルが生まれたのもこの時代です。引き続き新手も登場してきていて、N.W.A.、ドクター・ドレ、Tupac Shakur、スヌープ・ドッグ、ザ・ノートリアスB.I.G.、ナズ、ジェイ・Zがその代表格。90年代の終わりには、ヒップホップは人気音楽の核をなしていて、サンプリングなしにメインストリームのポップやエレクトロニック・ミュージックにも進出しました。

 

 さすがにここまでくれば皆さん一人は知っているラッパーがいると思います。歴史的な話はここまでですが、これ以降だと2000年代はエミネムやカニエ・ウェストが出てきましたし、2010年代はニッキー・ミナージュやケンドリック・ラマーがシーンに大きな影響を与えてきます。ちなみに、今さらですが私が一番最初に聴いた洋楽のラップが、ニッキー・ミナージュの「スーパー・ベース」です。早口ラップがインパクト強かったですね~。

 

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8.まとめ

 

 ヒップホップの歴史はもっと知りたくなるような魅力的なものです。この文化活動は70年代に始まって以来、大きな変化や進化を見せ続けています。ニューヨークの若いアフリカ系アメリカ人、プエルトリコ人のための避難所が、世界的な現象にまで発展しました。今日まで、ヒップホップは圧倒的な影響力を持って世界中の文化に影響を与え続けています。

 

 長かった~...!だけど、めちゃくちゃ読みごたえありました!現在はヒップホップの情勢が弱いとか、そういう表面的なことばかり気にするべきではないですね。大事なのはそのジャンルの役割で、ヒップホップは感情のはけ口だったり、自己表現の手段だったり、現実を世に知らしめるツールとしての役割があるのではないでしょうか。音楽が文化を作る、というのは私は実感したことがないのですが、実は気づいていないだけで知らないうちにどこかで小さな文化が生まれているかもしれません。ヒップホップは分かりやすい例でしたが、今後そういうのを実感してみたいとも思いますね。

 

 



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