QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

子供のしつけとSNSのお作法 (2)、そして消極的に探し人。

2024-08-07 20:24:24 | 日記
内容が少々タイトルと変わってきてしまうのだが、一応前回の続きなのでそのままで続ける。

というか、読んでいる人が少ないブログだが、もしかして届いたら面白いなと思うので探し人の情報もあとの方で書いてみる。

因みに、そのカルカッタのホテルはホテルパラゴンと言う。インドに行く前にバンコクのバーで隣にいた欧米人旅行者に宿の情報を聞いたらそこがいいということで決めた。その時に「隣にあるホテルマリアも有名だけど、ジャンキーの旅行者が多いから避けた方がいいわよ」と言われたので避けた。

泊ったのは数回だが一度の滞在期間が長かった。いつも一部屋にベッドが8台ほど並んだドミトリーに泊まっていたが、初めて泊ったときは3月でドミトリーの8割ほどが日本人だった。ほぼ全員がA型肝炎にやられて春休みの1~2週間を日がな一日カルカッタのベッドで天井を見ながら過ごしていた。

僕は毎日観光に出かけると、帰りに露店で彼らにバナナを買った。みんな食事がのどを通らないと言っていたからだ。

食事がのどを通らない割には夕方になるとほぼ全員がむくむくと起きだして宿の屋上に行って、大麻を吸っていた。マリファナではなく、ハシーシの方。

前にも書いたが僕はそういうものに全く興味がないので、インドの労働者の煙草、ビーディーを持って行って夜じゅう一緒におしゃべりを楽しんだ。禁煙して28年になるが、以前は一日60~70本ほどを吸うかなりのヘビースモーカーだったので煙草の味にはうるさい(笑)、ビーディはその僕が非常に美味しいと思った煙草の一つだった。

そんな彼らは全員が日東駒専、MARCH、慶応早稲田、どこかの学生だったので(地方の国立大学の学生も数人いた)、今はそれぞれそこそこの会社でそれなりのポジションについているんだろうなと思う。

そのあともホテルパラゴンには数度泊ったが、そのうちの一回が忘れられない。その時は10日ほど宿泊していただろうか。いつものようにドミトリーにベッドをもらうと、隣のベッドに日本人男性、あとは全員欧米人の男女だった。その日本人男性は「自分探し系」で、でもそれまでにインドで出会った自分探し系よりははるかに深い何かを持っていそうな人で、話がとても弾んだ。

初日は夜になると、部屋の真ん中のベッドに陣取っていた陽気なイギリス人女性が「じゃ、みんなどこから来たか、それぞれ自己紹介しようよ」ということで、昔のユースホステルのイベントのようになり、それを機にその部屋の空気が一気に和んだ。

僕は翌日はずっとペンフレンドだったインド人に弾丸で突然会いに行ったのだが(過去の日記参照)、ペンフレンドが泊って行けよと言うのでその夜は連絡もせず宿に帰らなかった。翌日の昼に帰ったら、初日の夜に自己紹介した同室のみんながとても心配して翌日帰ってこなかったら警察に行こうと言っていたとその日本人の彼に聞いて、嬉しいような申し訳ないような気に。安宿は安宿なりの安全さがあると思ったのもその時だった。

ペンフレンドの家から帰った後、その日本人が北のダージリンに移動すると言っていた数日後までは、二人で飯を食ったりお茶に行ったりしていた。

前述の通り彼は自分探し系で、日本の生活の全てを突然捨ててインドに来たと言っていた。少なくともその旅の間は、すべてを流れに任せて、何をするかではなく自分が「そこに『ある』」ということを特に重視している人だった。

「この旅が終わったらどうされるんですか?」と聞いたら、「日本のどこかの人形劇団で人形劇に携わろうと思う」と言う。特に誰とも交流しない感じの人だったが、僕のことは「なんか、面白い旅をする人だなと思った(からちょっと話をしてみようと思った)」と言ってくださった。

ダージリンには「トイトレイン」と呼ばれるナローゲージの登山鉄道で行くのだが、彼がそれに乗る日の夕方「最後にプリンでも食いに行きますか?」と誘って、僕のお気に入りのカルカッタで美味しいカスタードプリンを出すコーヒーショップ(カフェ・フィエスタだったかな?)に連れて行った。(このほか、給仕のオジサンたちが白いユニフォームをかっちり着ていて植民地の香りを思わせる「カルカッタコーヒーハウス」という美味いスペシャリティコーヒーを飲ませるカフェもお気に入りであった。)。

その時も話が弾んで、そろそろ駅に行かないと乗り遅れるのではないかと思った僕は「そろそろ行かないといけないんじゃないですか?」と言ったら、「遅れたらその時はその時だよ。今は君との話が興味深いからこっちの方が重要だ。」と言う。

時計を見て彼を急がせた自分が少々恥ずかしくなったが、「ま、そうは言ってもそろそろ行かないとね。」と彼はにこっと笑った。

その時のカスタードプリンの代金は、次の目的地に旅立つ彼へのはなむけに僕が払ったと思うが、席を立つときに、

「こういう時に連絡先を事細かに交換するのは得意じゃないけど、いつかまた会えるように」と氏名だけを書いたメモを一枚くれた。

「鳴川」さんと言う名前だった。

「じゃ、僕も・・」とメモを書こうとすると「それはいいです。人には会うべきときに必ず会えるから。」と制された。

それ以来もう30数年になるがまだそのタイミングは来ていない。ごく少数の人しか読んでいないこのブログに書くくらいなら、彼も構わないんじゃないかと思い書いてみた。

万が一連絡がついたらとても面白いですね。

当時はインターネットなどと言うものは影も形もなかったが、ネットが使えるようになってから一度だけ彼の名前を検索してみたことがある。ご自身でおっしゃったようにとある人形劇団の公演情報に彼の名前を見つけた。

子供のしつけとSNSのお作法 (1)。

2024-08-07 13:43:17 | 日記
先日とあるSNSに旅の話題をかきこんだら、しょっちゅう高級ホテルに泊まって旅をしている人間だと思われたようで「どうしてそんなにお金があるんですか?」というコメントをいただいて困惑した。

一点豪華主義でたまにポイントなども併用して高級ホテルに泊まっているだけで、結構つつましく生きているつもりだということが一点。

あと祖父母や両親には「貧乏人みたいに他人の財布をのぞき込むような質問は絶対するな。みっともない。」と叩き込まれて育ったので、いろんな人を見ていて正直(この人はどれくらい稼ぐ人なんだろう)と思うこともあるが、絶対に話題にはしないことにしているため、そういう抵抗が全くなくひょいっと他人の懐事情を尋ねられる人がいることに驚愕するというのがもう一点。

大阪の方が「給料なんぼ?」「家賃なんぼ?」って聞くのとはちょっと違う。あれはある意味文化。本人たちは鵜の目鷹の目で知りたくて仕方がないという空気ではないんで。

祖父母や両親からは、飲食店に行って食べ終わった器は絶対に重ねるなとも叩き込まれた。僕が生まれたころはもうやってなかったが、家は戦前から戦後にかけて名古屋駅前のミッドランドスクエアの近くで飲食店を経営していたので、その辺は余計に厳しく叩き込まれた。店にはデビュー前のザ・ピーナッツのお二人がユニゾンで「すみません~」って買い物によく来ていたと何度も聞いた(笑)。

祖父母や両親には「店の人間が器を割るのは自分のせいだから諦めもつくが、客が器を重ねたり余計なことをして割られると本当に迷惑なので、余計なことは絶対にするな。貧乏人が貧乏人みたいなことするな。」と言われて育ち、子供心に僕もなるほどなと思ったので、昔も今もそれは絶対にしない。

が、最近はプラスチックの器のセンベロなどでは、状況によっては重ねてもいいかなとは思えるようになった(でも極力しない)。

そうは言うものの、躾って親によって違うものだから、器を重ねる人を見ても、食べ方が汚い人を見ても、気持ち悪いものを感じながらも特には何も言わないようにしている。どうしても我慢できなければ、離れることはできるしね。

冒頭の僕の懐具合を知りたがられたりする話に関しても、SNSのコメントって難しいなと思うことがしばしば。

少し前に気づいたのだが、なんとなく性別や年代を自分の中で勝手に想像しているところはあるが、匿名性の高いSNSのコメントだと、やり取りしている相手がおそらく10代、20代なんだろうなと気づくことがある。

少し前にYahooコメントが電話番号認証していないアカウントからの書き込みを禁止したことがあった。それを機に一切かきこみはしなくなったのだが、その時に「携帯番号登録せずにアカウントなんか作れないはずだから、そういうユーザーは違法ユーザーだ」とおっしゃっている人が多数。それで若年層のユーザーがこんなにいたのかということが分かった。

(オジサンはYahoo JAPANが日本進出した頃に作ったアカウントを使ってるので携帯番号なんか入れなくても正当にアカウントが作れたんだよ。)と思いながらそういう書き込みを読んだ。

それ以来、若い人にはあまり絡まないように以前よりも細心の注意を払うようになった。

たまに失敗もする。去年Youtubeを見ていた時に若いときにカルカッタでいつも泊っていた一泊70ルピー程度の宿を紹介している若いバックパッカーの動画があった。あまりに懐かしくてうれしすぎて、控えめにはしたつもりだったが自分の思い出をコメント欄に書いてしまった。

画面の向こうから迷惑そうな温度を感じた(笑)。
ごめんね、その時のYoutuberの方。

今の彼らが泊っているあの宿と、僕が長期滞在していた頃の宿とは、同じ安宿でも全く違うものなので、僕がコメントをすべきではなかったのだと思う。

自分は単に懐かしくて思い出を書き連ねているつもりでも、相手にはマウントを取りに来てると思われても仕方がない。

これからもっと気を付けないと。

(ちょっと長くなってきたので、つづく)