QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

夢のように楽しかった昔のタイの想い出。

2025-03-11 23:18:01 | 日記
Youtuber「〇の〇」氏の最近はシンガポールから日本に飛行機を使わずに帰って来るシリーズ。今日はジムトンプソンが消息を絶ったキャメロン高原近くのイポーを通過し、ペナンを経てマレーシアータイ国境に到着するところまでだった。次はマレーシア側からバンコクまで直行する寝台列車に乗るそうだ。

僕はタイ―マレ国境は東海岸の方しか通ったことないからな。見てて面白い。

因みに、「ジムトンプソンの家」という観光名所がバンコクにはあるが、僕はそこが大好きだ。アメリカ人の実業家ジムトンプソン氏が住んだバンコクの自宅を昔から一般に公開している。僕はアジアに住んでいる欧米人の部屋の作り方が好きなのである。アジアンモダン的な感じで。

最初に行った時は入館料も安くて、お金を払うと勝手に観に行って良かったが、その後3年ほどしてガイドと一緒じゃないと見学ができないようになってしまった。悪い奴がいて、ものを壊したり盗んだりしたんだろうと思う。

今はさらに入館料も高くなっているし、幸い比較的自由に見学できたころに飽きるほど行っているので、もうバンコクに行っても訪れることはないけどね。どこに何が配置されているかも大体覚えているほどだ(笑)。

さて、僕がバンコクからマレー半島を南下したときの記憶だ。

・僕の場合はバンコク・フアランポーンから夜行寝台でナコンシータマラートまで行って、路線バスでソンクラーへ。(そのバスの中でタイ人のおばちゃんにミカンをもらって食べたことは以前の日記に書いた。)

ソンクラーは昔の海賊の根拠地で有名な町で沢木耕太郎さんの『深夜特急』にもその名は出てきますね。そういう物騒な人がいたところだからか、海上交通の要衝だからか、あんな辺鄙なところなのにアメリカ領事館か米軍の施設があったんじゃなかったかな、たしか。

ソンクラーでは夜市で片腕のない陽気な兄ちゃんから何かを「3つ」買った。その時に強引に値切ってみたら、タイ語しか喋れない兄ちゃんが(以下はなんとなく僕が理解したところです)「違う違う、これ一個が〇〇バーツで、お前は3つ買うから『サン・パーイ』で〇〇バーツだ。」とニコニコして言うので、

日本語の「3倍」はタイ語でも「サン・パーイ」なんだろうなと思った瞬間であった。パーイのパは「パとバ」の間くらいの音だ。3は日本語でもタイ語でもサンである。1・2・3はヌーン・ソーン・サーン。

10がシップなので、20はソーンシップかと思ったら「イーシップ」になる。どこだったっけ、田舎の床屋で髪を切ってもらったら、切ってくれたおばあちゃんが「イーシップ・バーツ」と言って、わからないのでお金を持って差し出した僕の手から20バーツ札を持って行ったときに覚えた。

・ソンクラーに4~5日いてバスでハジャイ。

・ハジャイには滞在せずそのまま乗り合いミニバスを交渉して国境の町スンガイコロク。この道中はイスラム教徒が多く、イスラムテロが頻発している地域。だが、モスクがそこここにあって非常に美しい、というのも以前の日記で書いた。

・徒歩で国境を超えてマレーシア国境に入るとランタウパンジャン、そこから一番近いコタバルという町で1週間ほど滞在、そのあと沖のプルフンティアン島に一週間ほど滞在。バンガローの真ん前の浜辺に行くと波打ち際から2~3m先にどでかいテーブルサンゴがあるのが見える島だった。

・で、そのあとジョホールバル>シンガポールで終わり、の旅だった。

20数年前なのに覚えてるもんだな。いつもの通りずっと一人だったけど、めっちゃ楽しかったもんな。

タイの夜行寝台は冷房が冬の札幌の屋外くらい効いてたので天国だった。冷房好きなもんでね。

途中でフアヒンに停車したのでいずれ行ってみたいと思ってその数か月後に別で行った。浜辺は本当に鳴き砂で歩くとキュッキュッと音がした。けど、もう海が汚れてフアヒン名物の鳴き砂も無くなっているのかもしれない。

あとは、チュムポーンという駅に深夜停車したときも起きていた。チュムポーンは島に行く人が降りる駅で(タオ島かパンガン島だったかな)、外国人が何人か降りて行ったのを深夜の車窓から見ていた。旅って楽しいなと思いつつ、列車が発射してからまた寝た。すごくよく寝られた。冷房ガンガンで寒いくらいだったので。

タイの島と言えば、僕自身はカンボジア国境のチャン島が好きで何回か行った。

僕はヌーディストビーチ(ヌードビーチ)が好きで、チャン島(コ・チャン)にはほぼジャングルの山道を歩いて行くと隠れたヌードビーチがあったのでお気に入りに。そのビーチのことを知っていたそう多くはない欧米人がその隠れヌードビーチにはいて、いつ行っても三々五々のんびり時間を過ごしていた。僕は偶然知り合ったフランス美人マダムに連れていってもらった。パリで骨董商をしていると言っていた。

僕が行った時はトラートという町の港(レム・ンゴブ)から漁船みたいな船でのんびり数時間かけて行くしかないようなマイナーな島だったが、チャン島も結構開発されたらしく、今はスピードボートとかでも行けると聞くのでたぶんあのヌードビーチももう広く知られてしまい、ヌーディストではなくなっているんだろうと思う。

ヌードビーチ、大好きなんだけどな。

他人のことが気になる善良な人には向かないと思います、ヌードビーチ。他人のことなんかどうでもいいと思っている人(=ぼく)には向きます。

因みに英語では全裸愛好家のヌーディストのことをNaturistとも言ったりします。「Naturalist(ナチュラリスト)」と間違えないようにね。20年ほど前にヌーディストコミュニティのドキュメンタリーフィルムがオスカーか何かの賞を取ったことがありますが、昔ボストンでDVDを買ってきたからどこかにあると思う。どこに仕舞ってあるかな。なんてタイトルだったっけか。

また指が動くままに書いただけでとりとめが無くなってしまいました。すみません。

おやすみなさい。


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