毎日追いかけているイギリスの新規陽性者数、7/23日は
36389人
でした。少しずつですが減ってきています。
これまで1日に五万人を超える新規陽性者が出ていたので、死者数と入院者数は微増しています。
新規陽性者増から少し遅れて死者数、入院者数は増える、というこれまでと同じ流れです。そこにワクチン効果が加わっているから微増で済んでいる状況。
ここまではイギリス政府の狙い通りの流れでしょう。
このまま新規陽性者が減っていけば、2〜3週間後には死者数、入院者数も減り始めるはず。
その通りに進めば、このパンデミックの収束への道筋に光が見えてきます。
さて、タイトルの「中止となったイベント関係者の思い」ですが、これは昨日、オリンピックの開会式を見ながら私が一番感じた事です。
前回のブログで、「きっと開会式で何か失敗が出る」などと書きましたが、そんなこともなく無事に終了しました。
数々の問題を抱えながら、ついに開会にたどり着いたオリンピック。
オリンピック関係者の、これまでの努力はきっと凄まじいものがあったのだと思います。
でも、それと同じくらい努力を重ねて開催を目指した他のイベントの多くは、開催されることなく中止となってきた事をどうしても考えてしまうのです。
前回の緊急事態宣言発出の翌日に、東京ビッグサイトで開催されるはずだったコミックイベント。
日本全国から出店者が集まり、会場のコロナ対策も万全を期し、スタッフ用のお弁当まで準備済だったのに、「都の施設でのイベントは一律自粛」という決定のためになんの補償もなく中止となりました。
このイベントとオリンピックは何が違うのですか?
アマチュアの祭典は競技者に濃厚接触者がいても開かれるのに、特段の理由もなく中止とされた全国あまたのアマチュア競技大会や学生の大会。
屋外の校庭で行われる運動会も、「自粛」という名のもとに中止。
これらの学生の大会や運動会は、アマチュアの祭典を支える基礎になるものではないのでしょうか?
これまで散々言われ続けてきていることですが、改めて開会式を見ていて、その「中止」となった他の数々のイベントの事しか頭に浮かびませんでした。
「中止とするのは簡単だ、開催するのがチャレンジだ」
と、どこかの首相が言いました。
これまで中止されてきた数々のイベントは「簡単」な方法を選んだのでしょうか。
彼ら彼女らは「チャレンジ」をしなかったから中止となったのでしょうか?
私は絶対に違うと思います。
オリンピックが開幕し、
「せっかくやるなら楽しみたい」
という方向に世論は流れているように感じます。
楽しむのは良いことです。これまで常人では考えられない程の努力を重ねてきた選手達の輝きを見るのは素晴らしいことです。
ただ、その裏側にはやはり努力をしながら、チャレンジすることも許されなかった人達が大勢いることを決して忘れてはいけないと思います。
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