人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

愛描。ニート生活とニート後遺症が惹き起こした最悪の事態

2016年02月14日 | 闘病記
【ニート化とニート後遺症が惹き起こした最悪の事件】
こんなことをとりとめもなく思い書き連ねている最中、十七年一緒に暮らした愛描が、急逝した。死因は不明。老衰ではなかった。病院に連れていくことも食べたいものを存分に上げることもできなかった。金がなかった。いや、できなくもなかった。俺が一日程度、喰わなければ良かった。必要だからといって、バ.カみたいにリサイクル屋で千円程度のスーツを買った。そんなもの買わなければもう少し何かしてやれた。
悔恨ばかりで、ついに、めまいが常態化した。医者にいけばメニエルとでも診断されそうだ。気付くと天井がゆれている。常に頭がぐらぐらする。
そんなことはどうでもいい。
ひたすら大事にしてきたのに、大事にしたかったのに、最後に何もしてやらなかった。ノミトリの薬を投与してやればかゆみに苦しまなかったかもしれない。もっと長生きしてくれたかもしれない。体調不良を起こしていたならその薬のせいで悪化させてしまったかもと自分を慰めようとするけれど、何もしてやらなかったことには変わりない。
ずっと俺の愚痴を聞いてくれた。ニート後遺症に苦しんでいる折、泣きながら「ごめんな」と言ったことがある。続けて「がんばるからな、いいご飯食べような」と声をかけてから出社していた日々もある。
本当に、幻覚・幻聴は存在すると知った。
苦しませて、逝かせてしまった。老後の面倒までみるつもりだった。
俺にはもう笑う資格も楽しく暮らす資格もない。
笑うことは罪だ。楽しく暮らすことも罪だ。
笑いたくもない。楽しいとも思わない。
けれども母がいる。この子の娘もいる。大事な家族に、これ以上嫌な思いをさせるわけにはいかない。だから笑う。冗談もいう。楽しそうに暮らす。そのたびに罪を負う。などとかっこいい言い方する必要もない。最初から、ニート化した段階からそれがもう、大罪。ちゃんと働いてさえいれば医者にだって診せられた。もっとおいしいものを食わせてやれた。全力で愛し切ることができた。
そんな俺が、笑うことは許されない。楽しむことも許されない。幸福などもっての他。
それでも家族の為に笑う。筋肉だけで笑いの形を作る。
一生そうやっていく。
ニート化とニート後遺症が惹き起こした、最悪の事件。
なぜこの子は俺を連れていってくれなかったのか。俺に罰を与えたかったからかもしれない。
運命をいじるカミサマ的なものが存在するなら、なぜ俺を仕留めにこないのか。近しい、俺によくしてくれる人から殺しては連れていく。これが俺への罰なのか。
そう思うことも、病なのだとしたら、俺はもう完治することも寛解することもない。

「ニート後遺症」は、死ぬことも許してくれない。母を残して逝くわけにはいかない。これ以上母に嫌な思いをさせるわけにはいかない。
だから、普通の人のふりをして、笑顔を作りながら小銭を稼いで暮らす。
これが「病」なのか「闘病」なのかは、もうわからない。
病院にいけば何かしらの病名がつくかもしれない。ついたところで、何かしらの治療を受けたところで、流れた時間は戻らない。そもそも。
治療を受けられる金が、ない。

頭の中の何かが頽れて、周囲に不快感や危害を加えないよう自身をコントロールする。
そうか、と合点する。それが「ニート後遺症」の「闘病生活」の姿だ。

今更社会復帰などなんて虫のいい話だろうか・元ニートの【提言】3

2016年01月23日 | 闘病記
【提言】3

「甘え」なのか「必要」なのか分からない。けれども「救い」が必要だと思う。
「甘え」だとしても自業自得だとしても、精神を病むか死ぬか、生活保護を受けるか死ぬか、事件を起こすか死ぬか、そこまで追い詰められていることに間違いはない。「ニート」自体も脱ニート後の「ニート後遺症」の人間もだ。「ニート後遺症」に悩まされる人間の方が、現実と直面しているため、人生への絶望感は大きい。「ニート後遺症」によって壊れる人の方が多いだろう。
耳触りのいい言い方をするなら「対策」。高齢の「ニート後遺症」発症者対策を願いたい。
職の斡旋がその第一。最優先。一般の失業者と大きく異なるのは精神面・経済面が既にボロボロであり、自分の一切に希望が持てないこと。当然、雇用保険もないし貯金もない。年金も払い切れない。人間関係も、両親またはそれに近しい血縁者限定。働きさえすれば…で働き始めても、十分生活ができるだけの職場は少なく、精神面・肉体面・経済面すべてが楽にはならない。ただ負担ばかりが増えていく。
「ニート」を選択した奴が今更社会復帰などするのが悪い、自業自得なのだから精神を病もうが肉体が壊れようが知ったことではない、野たれシネばいい、というのだろうか。それには、少し賛成でもある。自身のことながら、今更社会復帰などなんて虫のいい話だろうかと笑いそうになる。


こういうものを書き連ねることが、唯一、安定・安楽を得られる。


【ニート化とニート後遺症が惹き起こした最悪の事件】

精神を病むか死ぬか、生活保護を受けるか死ぬか、事件を起こすか死ぬか、元ニートの【提言】2

2016年01月22日 | 闘病記
【提言】2

けれども、重要な要因が抜けている。
死ぬ気になる前に、死のうと思う人間がいたり。
どんな仕事でも大丈夫ではないメンタルの人間がいたり。
どんな仕事でも死ぬ気でと頑張った結果、体を壊したり精神を壊したりしたらその後はどうなるのかという現実があったり。
する。
特に三つ目は重要。四十六を過ぎた男が二年働いて腰を悪くして退職を余儀なくされたとする。「どんな仕事でもやらせてもらえるのなら」と入ったので労災が下りなかったとする。次の仕事はもう、肉体労働はできない。立ち仕事も厳しい。年齢は四十八。さあどんな仕事がある。やり直しはきかない。それでも「どんな仕事でも」といえるのだろうか。
これも「甘え」といえば「甘え」。「理由」といえば「理由」。
若い時分から連綿と継続してきた四十半ばと、四十半ばからその若い時分の労苦を始めるのとでは、雲泥の違いがある。年下に使われることが云々というレベルの話ではない。如実に体力・身体能力の話だ。
精神面でも、ある。人生に後がない人間は、耐えるしかない。もう逃げることはできない。実際に逃げなくても可能性として「別の仕事に変わろうか」と考えられる余裕があればいい。どれほど職場になじめなくても、職種になじめなくても。

「甘え」なのか「必要」なのか分からない。けれども「救い」が必要だと思う。
「甘え」だとしても自業自得だとしても、精神を病むか死ぬか、生活保護を受けるか死ぬか、事件を起こすか死ぬか、そこまで追い詰められていることに間違いはない。

元ニートの【提言】1 

2016年01月20日 | 闘病記
【提言】1

根が偉そうな人間なのだ。俺は。だから提言をする。
行政による若年ニートやひきこもりの対策組織は多い。それは大事なことだ。第二第三の俺を出さないために必要なことだ。一方、「俺」になってしまった人、高齢ニートまたは高齢・脱ニート者はどうなるのか。
自業自得。自己責任。
だとしても。
生活保護を受けるようになれば、そこに税金が投入される。
医者にかかれず精神疾患・精神障害が深まる。
自殺する。
端的に並べてこれくらいは起こり得る。既に起こっている、かもしれない。生活保護は如実に起こっている。精神疾患・精神障害・自殺は、原因を特定し切れないので実数はさだかではないけれど、ネットで検索すればそれらしいのに多く、ぶつかる。これは「論」でも「レポート」でもないし「数字」が怖いので「数字」や「グラフ」は挿入しない。
たとえばこの三点のどれかに立脚して、犯罪に走らないとは誰にもいえない。
経済が困窮すれば強盗をする可能性が高まる。
精神が乱れれば凶悪で異常な殺傷事件を起こす可能性が高まる。
自殺を決意した人間が何をやらかすかなど、想像だにできない。

高齢ニート、高齢・脱ニート者自身にも、それを取り巻く地域社会にとっても自業自得だから、自己責任だからと放置するのは甚だ問題だ、といえる。そんなことは俺ごときに言われなくても分かっているはず。行政は若年者への支援に力を注ぎ高齢ニートを出さない予防に努めてはいるものの、四十を過ぎたニート、脱ニート者は基本、放置。
手厚く支援してくれというわけではない。いや、そういう提言なのかもしれない。
どんな仕事でも死ぬ気になればやれるだろう、だから仕事がない等というのは甘えだ。
よくわかる、耳に痛い言葉だ。
けれども、重要な要因が抜けている。

精神を壊さない為にニート化するのか?【精神バランス】2

2016年01月17日 | 闘病記
【精神バランス】

結果、「ニート化」することで精神の安定を図っているものも少なからずいる。
以下は、インターネット上で拾ってきた情報と数値。これは論文ではないのでその正確さや出自への信頼度はあえて無視する。
引きこもり男性の26%は発達障害の可能性がある・引きこもり95%が精神障害・自殺者の6割が無職・自殺者の90%に精神障害・生活保護受給者、自殺率が2倍、10万人中55人。
嫌な言葉が並ぶ。

これは、どっちなんだろうか。

精神バランスを崩しているから「ニート化」したり「ひきこもり化」したりするのか。
崩さない為に「ニート化」したり「ひきこもり化」したりするのか。
俺自身でいうと、恐らく後者。いや前者である可能性も十分ある。けれども「ニート」時代、俺の精神は極めて安定しており、地区の会合や縁者の集まりに出ても、地域ボランティアに参加しても、恐らくは一般の社会人と同等レベルで対人関係をこなしてきたし、相手も俺を「普通の人」と認識してきた。幾度となく書き連ねてきた「自殺衝動」もなかった。今、蝕まれている「後遺症」と称するもののほぼ全てがなかった。「脱ニート」後、常に鬱鬱とする。これは「職」につき「社会」に入ったからだけではなく、この十数年への後悔と将来への絶望と虚無感、家族への罪の意識によるものだから、「ニート化」することでその「鬱鬱」を防いでいたとは言い切れない。そもそも「ニート化」しなければその「鬱鬱」は生じず、生じなければ「ニート後遺症」にも至らない。だから、本当はどちらなのかは言い得ない。
いいたいのは、「まだ間に合う」人がいるかもしれないということ。
精神バランスを崩し精神障害を起こして「ニート化」したのではない人がいるなら、そうなる前に何とかしなくてはならない。それはただ社会に引っ張り出すだけでは駄目。逆に精神バランスを欠いて、俺のようになってしまう。「ニート後遺症」の発症を可能な限り防ぎつつ、社会参加させる。そこまでしてやる必要があるのかと笑う人もいるだろう。俺も、そう思う。思いつつわが身に起こる精神の変調を鑑みると、いつ壊れるか分からない恐怖を感じると、この危険性におののいてしまうのだ。