人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

自殺願望が俺を生かしている 【ニート後遺症、闘病中】

2016年05月16日 | 今、思う。
「自殺を奪わないでくれ」
というと、多くの人から叱られるだろう。
生きたいのに生きられない人もいる。命は大切。十二分に分かっている。

脱ニートから一年。ニート後遺症と付き合ってきた。ニート時代にはなかった体の変化・精神の変化、その不調。本当にニート時代は驚くほど健康で健全だった。一度たりと自殺願望など抱いたことがなかった。

自殺願望。
自殺を、したいと思う。楽になれるんだろうなあと思ってやまない。現実からの究極逃避。
「現実との直面をやめて時間を止めること」がニートであるなら、脱ニートは「現実と再直面し時間を動かすこと」なのだが、再直面した現実は、過去、ニートになった時点よりも強烈に厳しく、動き出した時間はいやおうなく絶望だけを突きつける。
ニートは、その期間が長ければ長いだけ、生きるのが困難になる。困難になるだけならともかく、先細りしかない。先細りならまだしも、何もない。この先に。
未来がない。どうがんばっても。どんなキレイな言葉で前向きに調整しても、現実はこれ。その上で俺は、家族をも巻き込み、やんわりと殺し続けている。栄養バランスの悪い、安い食材だけの食事、体調不振でも医者にも行かせてやれない、薬も買えない。部屋の空調も環境も良好とはいえないし日々劣化していく。

そんな中、俺が一縷の望みとしてすがっているのが「自殺」。
死にさえすれば、楽になれる。だから耐えようと。まだそこまでいかずにがんばろうと。後ろ向きな考え方だろうと、その一点で精神を保っている。
分かってはもらえないかもしれない。
でも、「自殺」すらダメだとされたら、本当に救いがないんだ。
気が変になる。老人が一人、崩れかけの家屋で、ぼんやりと息を潜めて暮らしている。年金もほとんどもらえない。生活保護を受けてなんとか飯だけは食えるけれど、手元には何もない。笑うこともない。話す相手もない。夏にはノミに刺されて全身をかきむしり、冬は冷たい毛布にくるまり褥瘡に悩む。そこへ行けと。そうならないために今をがんばるんだろう!と叱られる。がんばらないわけじゃない。でも冷静に精神論ではなく現実的に条件を揃えて考えると、どう考えても無理。
なんとか回避しようともがけばもがくほど、現実の重さに潰されるだけの日々を送っている。それでも回避したいから必死にはなっている。
その必死が、ことごとく潰された時に思う老いた未来は、辛すぎる。
精神的におかしくなった人などが事件を起こす。起こさないまでも、そういう人がいる。自分もそうなるんだろうと思う。そうなりたくない。
だから、自殺くらい許してくれよ。せめてそれくらいの救いがあると思わせてくれよと。
そう思うことで、今日を必死になれる。いざとなったら、という後ろ向きな保険が今日の全力を後押ししてくれる。これだけ必死になっても所詮、あの老後しかないと思うよりマシ。マシなんてもんじゃない。がんばろうとさえ思う。
自分で死を設定するという意識が、生を活性化させる。

死を見るから、生も見れる。

自殺なんかしないよ。自殺なんか最低だと思うよ。しちゃいけないと思うよ。
でも、自殺したいと思うことさえ「悪」だというなよ。
そういわれた瞬間こそ、真剣に死にたくなってしまう。
そういう奴もいるんだ。情けない奴だなと思うだろうが。

読売新聞「自殺防止計画 命を守る地域作り進めたい」。
命は守っても、守られた人の精神は壊れるかもしれないよ。
壊れたら、どうするの?そこは自己責任だよね。自己責任だから、「自殺願望」で精神を守っているんだ。

震災とニート【ニート後遺症、闘病中】

2016年05月05日 | 今、思う。
熊本で震災があり、多くの方が不幸に見舞われた。

その報を聞く中で、思うことがある。

ニートやひきこもりは?
被災された高齢者や女性、子どもたちの話は耳にする。ニュースになるから。でもニートやひきこもりがどうなったかは、当然のように出てこない。ネットでこんなことをいうと、「そんな奴らを気にとめる必要はない」となじられそう。確かに「そんな奴ら」なのは身にしみて分かっている。

でも、高齢元ニートとしては気になる。
まっとうに、ちゃんと生きてきた人たちでさえ生活がままならなくなったら、俺らなんてどうなってしまうんだ?防災準備もできない日常にいるのに。自業自得は分かっているからなじられるのはいいんだ。それとは別にね、どうなってしまうのかという、不安、というか絶望感に襲われる。

震災にあったニート・ひきこもり、こんなもの覗く余裕はないだろうけど、がんばれ。

54歳ひきこもり男性のニュース、それ、俺じゃないよな?【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月27日 | 今、思う。
抜けだせないなぁ、この精神状態。

もう終わりでもいいかなと思って仕方ない。
それじゃダメだと止めるものがない。見通しが暗いならともかく、見通しの先がぶっつり何もないんだもんなあ。楽になりたいとかそういうのでもない。

54歳引きこもりの男、85歳の母親が亡くなって生活できずに衰弱死か…なんてニュースも出た。
俺はひきこもりではないし、母の年金や貯蓄に依存はしていないので…なんてのはなんの慰めにもならないよな。要するに、社会復帰できない組の末路って話だもんな。

俺だって今は多少なりと収入を得ているし職も探しているけど、体壊してバイト休んだらその分は無収入。体を治す術といったら安静にするしかない。薬代も医療費も出せないからね。結局体が治らなくてバイト辞めなきゃいけなくなったら母の年金頼みになる。次の仕事は更に見つかりにくくなる。見つかりにくく、などとまた甘いことを言った。はっきり言おう。仕事に就けなくなる。現状だってないんだ。悪い条件ひっつけて、どこか見つかるわけがない。

生活保護受けて、安アパートの一室で母と二人で暮らす。高齢な母が病気しても治療してあげられない。治療費に生保費放り込んだとしても…結果的に54歳男性と同じ展開に向かう可能性大。

どうすんだ、これ。

俺、鬱なん?ニートの時は平気だったんだけど【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月25日 | 今、思う。
…俺、本格的に鬱の病なのか?

体の異様に重い、気がつくと眠い、意欲が沸かない。正しく言うと頭の中ではするべきことが整理されていて、こうしてこうしてすればいいと段取りもできているのに行動に移す意欲がない。とはいえなんとか行動はしていたのだけど、この3日、ぴたりとそれもしんどくなってやめていた。やめていた、は少しウソで、やらなきゃなあと思いながら気付いたら日が過ぎていた感じです。

体調そのものもぶっちぎりの不調。
頭痛、めまい、耳鳴り、嘔吐感、熱感、色彩に感覚がいかない、味がよくわからない、倦怠感。数字見ると相変わらず調子を崩す、季節の変わり目に怯える、物事への関心が希薄、スキをみてはもたげる自殺願望諸々のニート後遺症に加えて、最近は血便もそれに加入。バイトしていても「ふうふう」言うようになったりもしました。

ニート時代はそりゃもう健康的でしたから、戸惑ってます。
まず病気をほとんどしませんでした。上述した症状など一つもなく、物事へのやる気にも…社会でちゃんと仕事する以外…溢れていました。仕事のやる気以外と書きましたが、これも十分にあるにはあって、大分前ですがバイトもしていたし地区ボランティアの募集があれば出かけていってわいわい楽しく過ごしたりもしました。精神的にもひたすらポジティブで、後ろ向きなことを考えたり言ったりすることが大嫌いでした。
それが今や真逆。

他人との関係、社会との関係、それらへの責任が極めて薄かったからストレスも最小だった、そのせいだとは理解していますが、当人にとってみるとやっぱりニートやめたら体調悪くなった、メンタルもボロボロになった、という実感もまたウソではないんですよね。

多くの、ちゃんと社会人をされている方もこうなんでしょうか?

そんなことより、鬱だなんだと言っていないで職を探さないといけない現実。一年経っても何もない状況。悪化する一途の暮らし。

楽にいこう、なんとかなる、はダメだったんです、昨年。
それだけにね。

【ニート後遺症、深まる】

2016年04月22日 | 今、思う。
なんだ?!

この閉塞感。空気がえらく重い粘着質になってる。全身の肉が骨格にぶらさがってるみたいな感覚。気持ちが上向かない。鬱なのか?これが鬱なのか?

といえる場があってよかった。
自分の状態を客観視して書き連ねようとしたら、少しだけど楽になった気がする。

気がするだけでも、救われる。