人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

やってみなくちゃ始まらない、で一年。その結果…【ニート後遺症、発症中】

2016年06月14日 | 脱ニート者の日常
ぐだぐだ考えてないで、まずはやってみることさ。
やってみなくちゃ始まらない。

なんてのは、よく聞く言葉だけど、やっちゃったことでどうにもならなくなることもあるんですよね。
後先考えずに、は、取りかえしがつく事には、成長・経験という財産にもなる。
取りかえしがつかない状態では、ただの馬鹿です。

その馬鹿が俺です。

一年、ムダにしたとは思いたくないですが、選択を間違えたのも事実。
で、これからそれを取り戻そうとしても無理で、一年前より恐ろしいほど状態が悪化。
成長とか経験とか、そういう段階じゃないんだよね。

現状を続けるしかないのが恐怖。
一日続けばそれだけ、悪化すると分かっているのに変えることができない。行き先がない。
もう時間がないのにどうにもならない。

やる気がどんなにあっても、いらん、って言われたら、おしまい。

明日になったので、何百回目かの仕切り直しをして、がんばろう。

元ニートがバイトの新人を一人立ちさせる 【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月11日 | 脱ニート者の日常
バイトの新人教育もいよいよ佳境。

そろそろ一人立ちさせます。

簡単・単純な肉体労働ではありますが、それでも新人さんは一人では何もできない。教えなくてはならない。自分がここに入った時、今に至るまで何がしんどかったかを思い返して教えるカリキュラムを考えました。OJTといえるほどのOJTでもなく、ただひたすら先輩の後ろで説明を聞きながらまねていく、それも毎日違う場所、違う人につくもんだからやり方も微妙に違えば聞いていないことも多い。よくあることとはいえ、自分が、何を分かっていないかが分からない。

その辺踏まえて、ひとつひとつ教え漏らしがないようにチェックしつつ、段階を考えて同じ場所を最低三回は一人で頑張ってもらう機会を作り、その都度作業内容を確認し、作業と連動しない知識・用語・センスを教えてきました。

「分からないところは?」と聞くと、「だいたい大丈夫です」と返ってくる人なので、注意しないといけませんでした。

様子を伺いつつ細かな穴を埋めていき、作業後のチェックでもフォローをしなくてよくなってきたので、そろそろかなと。

今週末からは完全に一人の日ができます。それ以降は繁盛予定日以外は別日になります。

面白かった新人教育編も終了。
そろそろ俺もここを辞めて、ちゃんとした職に就かないとです。単純労働の四時間バイトで新人教育ごっこして喜んでる場合じゃないですもん。

さあどうしましょうかね…相変わらず、仕事、ないです。

元ニートが語る、誰でも知っているOJTのあり方【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月08日 | 脱ニート者の日常
引き続き、バイトの後輩に作業を教えています。

いわゆるOJTです。底辺OJTです。

俺も昨年はなんだかんだで幾つかの職場に出入りしOJT経験をしてきました。OJTを気取るなら、それなりの人がそれなりの進行をコントロールしないと、ただ雑に物をねじ込んでいくだけになります。また教える人のスタンス、リアクションも大事です。
たとえばある事務関係に短期で入った時のこと。
とにかく何でもしっかり聞いてから行動するように、と言われたのですが、入って二日目くらいに作業の仕方を忘れて聞いたところものすごく深く「はぁ~~~…」とため息をつかれました。一度教えたじゃん!かもしれません。簡単な仕事じゃん!かもしれません。俺も一度聞いた作業だったので、そう言われても仕方ないとは思います。でも余りにも大げさなリアクションに、次、何かを聞きたい時に二の足を踏みたくなります。
また研修ではなく、OJTで新人に作業を覚えさせるなら、どうしても説明が不足になったり雑になったり、その場その場のイレギュラーなことも一緒に教えてしまったりと、教える事柄にムラが出てしまいます。である場合、甘やかさない程度には「許す」「耐える」は必要です。同じことを何回も聞いてくることもあるかと思います。でもそれは、その現場で教えられたことなので、どれが現在の作業に該当するかを見失っていることもあるんですね。つまり、教える側は二つとも「A」の作業だと分かっている、新人はそれを「A」と断定できないから「A」の対処法でいいのかが不安。どの場合が「A」なのか、そのパターンを講義することができないからその場その場で「A」が出てきたらこれが「A」だよと教えていかなくてはならない。結果、何度も同じことを聞かれる可能性がでてくる。でもそれをもって、その新人を「できない」と決めつけるのは違うし、そこは忍耐強く優しく教えていくしかない。
ある程度は。

なんてことを考えながら、元ニート、今日も単純労働に向かいます。

バイトの後輩に作業をレクチャーする元ニート【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月07日 | 脱ニート者の日常
バイトの後輩に作業を教えているんです。

それ自体はとにかく楽しい。
カリキュラム、なんて大層なものじゃないまでも極力ムダのないように早く全般的な作業を覚えられるような段取りを考え、また、全部を教えるだけではなくその作業をしっかりと身につけるにはどうしたらいいかを考え、実行する。うっかりワードで作業習得進行表を作ってしまいそうになりました。

といっても単純労働なのでそれほどのことはないんですが。

作業全てを教えることは比較的簡単で、言ってしまえば一緒にやればいいんですよね。それが実になる、身につくかどうかとなると、同じ作業を反復でやってもらうことになる。そこは少し頭を使わないといけない。同じ作業を反復でとはいっても店内には同じ場所担当は二人だけなので、何かあればイレギュラーな作業をしなくてはいけない、とかね。

作業そのものもですが、知識・センスもできる限り教えたいんですよね。店内のどこに何があるかは当然、店内の様々な場所・備品等の呼称、カートの整理、商品扱い、お客対応等。当たり前じゃんそんなの、と思われるかもですが、俺、実はこれほとんど教わらなかったんです。つい先月まで店頭の催事場エリアの呼称、知らなかったりしました。他にも、店内でのカート・ワゴンの扱いのセンス的なものね。お客の邪魔にならないよう、それでいて自分の仕事がはかどるような扱い方。そういう部分。

そんなことを考えプログラムして実際にお教えする作業、本当に楽しい。

ただ相手は人間、楽しいだけでは済みませんよね。
本人には一切悪気もないしやる気があるからこそなのが分かっているだけに困ってしまうことも多々でてきています。一番は、悪くいうと、言い訳。良く言うと、説明癖。それはやめた方がいいですよ、という指摘をすると「それはわかっているんだけど、この作業をするために一時的にこうしています」というようなことを、よく言うんですね。典型的なアレです。体育会系的なノリだと「口応えするな」の一喝で十分な気もしますが、それもしんどいので、なぜその「一時的」が「一時的」でもダメかを説明します。その場は正常化しますが、他の場所で他の作業で他の形で、また同じことが起こります。自分なりのやり方を模索するのは大事ですが、やるべきじゃないことを考える・指摘されたら改善する・他の作業にもそれを当てはめる、があってこそ、よい自分なりのやり方へと到達できる、と俺は考えます。


家売って安アパートに入ったらそこがお墓になりますが、それは嫌です【ニート後遺症、闘病中】

2016年03月31日 | 脱ニート者の日常
親戚のオジに一人、どうしても相性が悪い人がおりまして。

昨年の今頃も彼の独善に振り回された結果、必死に管理してきた庭をメチャクチャにされたのですが今年もまた、やられました。この時期になると俺に何かダメージを与えるようになっているんでしょうか。

内容がちょっと複雑で色々とあるので、ことが収まったら報告がてらぶちまけたいです。

言っていることは正論なんです。
現在、父から相続した家に住んでいるのですが、そこに住み切れないなら売って他の場所でがんばりなさい、なんてことをいうわけです。もう古い家で修繕もままならない状態。その上、金銭的なものが必要な生活を送っているので、それをみればそう言いたいのもわかります。
けれど、母も俺も、なんとかその家を維持しようと頑張ってきたわけです。その家には父や弟、犬や猫たちとの思い出があります。立地的にも静かな良いところなので安楽に生活できます。部屋も数部屋。雨漏りもしてますし外壁もボロくなってきましたが、まだまだ暮らせます。というか、ここを売った場合ですね、当然ながらもう戸建の家に住むなんてことは一生できません。彼は全部うれば五千万以上は固いと言ったのですが、一千万強程度です。
彼の主張は、市営住宅に入りなさい。安いから。
市営住宅を馬鹿にするつもりはないです。ないですが、もう80になろうとする母と二人でそこに移った先に何があるの?という話なんです。

母ともその話、しないこともなかったんです。家を売る話。でもやっぱりね、そこをどうにか維持しようという気持ちで頑張っているので、ヨソに移ったら精神的に参ってしまうという結論になりました。今以上の場所に移れることは絶対にないじゃないですか。どんなに頑張っても安アパート暮らししかできないですもん。母の老後、余生をそういうところに押しこんで暮らせと言うんですよ、彼は。それを主張しても分かってくれない。
古い家から新築のいい家に移り住んだ途端、認知症になったという人の話を多く聞きます。思い出の品を眺めたりいじったりする回想法という認知症防止対策まであります。認知症発症の条件がそろってしまいます。
本当に何か重大なことが起こった時に、最後の資産として持っておきたいという意向もあります。重大なことっていうのは大病ですね、まず。

現在、後がない状況です。
でも、まだ持つことのできるものがあります。売ったら何もなくなる。少しお金に余裕ができるじゃないか。その家を維持する為に頑張らなくてよくなるじゃないか。そう言いますが、そういう環境が俺たちにもたらす今以下の精神的な状態を一切考えてくれない。多分ね、家を売り払ってどこかの安アパートに入ったら、母、おかしくなります。だってもう、何もないですもん。少々の蓄えとただ生きているのみ。それになんの意味があります?そこからもう、二度と今レベルの場所には住めないし、今以上の生活には戻れないんですよ。安アパートの一室で、ボーっと死ぬのを待つ二人になります。先細りしかない生活の終点を、突きつけられることになるんです。

それも現実ではあります。
維持できないなら住めない。それは正解です。正論です。でもだからこそ維持するために頑張ろうと言う気持ちで精神を保っている。それを取りあげられたら、しまいもしまい。

以前、生活保護の話がありましたが、受けたくない大きな理由、一番の理由もこれです。資産処分。これはもうそのまま俺たちに、特に母に死ねと言っているようなものです。この年齢になってきて分かったことがあります。老いてアクティブに行動することが難しくなってくると、思い出こそがアクティブな行動の代替活動なんですね。写真をみたりモノをみたり。それはきっと、命そのものなんですよ。ある意味、ですが。そこにある自分の連続性を確認することで、アイデンティティを確立する。そういうことです。
それが取りあげられたら、どうなるか。
見たこともない、思い入れもない場所で、思い出すのはもうどこにも存在しなくなった思い出の場所。観に行くこともできない。まして、「売らざるを得なくなった」が根底にあれば、思い出したくもなくなる。でも、これから思い出を作ればいい、だってままならない。今と同じ生活が続くだけ。

母と俺二人で安アパートで、周囲の物音に身を潜めながら死ぬのを待つ。
そして、その状況からは二度と脱出できない。
おかしくなります。
こんなこと書いている時点で、耳鳴りが一層大きくなり、立てないくらい頭が左右に揺れ、喉元に突き上がる嘔吐感が連続します。

下がってはいけないラインってのがあるんです。なにがあっても。

そのオジがなぜそんなことを執拗に言ってくるのか。
なぜ今、からまないといけないのか。
付き合わないといけないのか。
いつかここで吐き出せたら、吐き出します。言ってしまえれば楽になれますが、まだ色々と早いので。解決してから。

どんなにそういうことを主張しても「でも売りなさい」の一点張り。市営住宅にしなさいと。安いからと。ウチが五千万以上になると思いこんで、別の土地で家を買えばいい…みたいなことから切り出したのですがね、そういう思い込みと独善だけで突っ走って、一度言い始めると融通がきかない。正論だけをふりかざす。その思い込みだって前述したように、視野が狭く情報量が少なく独自にどこかで調べたことを勝手にこちらに当てはめて、それ以外の正解はないという。
たとえばもう一つ、悪口ついでに昨年の庭の件でもこんな事実誤認がありました。庭の木を切れとしつこく毎日のように電話、訪問してきていたのですが、やんわり「業者に見積もり取ってから考えます」というとですね、笑って「いやこの程度の庭木で見積もりとる業者なんていないよ、そんなこといったら業者に笑われるよ」と。結局少しだけ切らされるハメになりまして業者と話し合うじゃないですか。当然、見積もり、取りますよね。無料で。取らないわけない。でもどう主張しても、その時も俺を常識ナシのように笑ったわけです。「見積もりなんて取る業者いない。何百万の仕事ならともかく」。それを言い続けました。見積もり取ったことを告げると「最近はそうなんだ」の一言で後はもう、触れない。この件についてはまだまだいろいろあって笑い話にならないオチが待っていたのですが、それは別件。

今、ひとつ解決しなくてはいけないことがその人との間にあって、うまく解決すれば非常に助かるんですよ、俺も母も。なのでどうしても「もうええわ!」とキレることもできない。やんわりやんわり自分の望む結末に誘導するしかない。ってね、俺、そんなことに必死になっている余裕ないんですよね。いい職に移らないと。

それにしても絡まざるを得ないたびに思います。
あの人に、人間の感情ってあるのだろうか。
想像力ってあるのだろうか。
二度と脱出できない安アパート生活に、年老いた母と高齢の息子一人が突入する。その救いのない状況を想像することできないんだろうか。

自分の生活や職の問題だけでも体調も心調もグズグズなのに、まだもう一つ盛ってくる。盛らないでくださいよ、もう。いい加減、抱えきれない。

という、悪口をいいました。

今は、母と笑って生活できています。昨日、バイトから帰ると母が庭先でつくしを摘んでいました。「小学生のころ、つくしのおひたし作ったねえ」といいながら摘んでいました。「よし、もやし分くらいは稼いだ」と笑いながら摘んでいました。