人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【ニート後遺症まとめ】

2016年01月31日 | 今、思う。
【現時点でのニート後遺症まとめ】

自覚症状を列挙する。根本的に「現実との直面」により引き起こされる。未熟な精神と置かれた社会的な位置(成人・中年)とが噛み合わないことも一因。

身体・精神的
味覚・視覚等の五感が恐ろしく鈍磨し、味や映像等を情報として受け取ることはできるもののほとんど何も感じなくなる。
慢性的な頭重感、手足のむくみ感、身体の熱感。
数字や期限をみると、嘔吐感・めまい・発汗を起こす。
鏡をみると、嘔吐感に襲われる。
慢性的な自殺願望。
漫画や音楽、映画等に一切興味が持てなくなる。ニート時代に集めていた本やCDをみるだけで気分が不安定になり胃液が逆流する。
本屋に行っても同様のことが起こる。
あり得ない幼稚な奇跡を妄想しては、自分に失望する。
何もない、休みの日が憂鬱。
何かを観たり聞いたりして珍しく笑ったりすると、直後、罪悪感に襲われる。

環境的
働く場所がない
体を壊しても医者にいけない・薬を買えないなどがあるため、無理をしてがんばる、ができない。
収入が少なく暮らせば暮らすだけ困窮する。
現時点で一日の食費は、母と二人で平均150円。例)割引食パン8枚切50円から朝昼1枚~2枚ずつ、夕食に20円もやしを半分、野菜詰め放題200円で10個以上つめたじゃがいも、たまねぎ等から2種類、白米ご飯少々、が基本。時々、安売りのちくわや肉を入れることができる。カルシウム不足。
経済的に、人と会うことができなくなる。そのため相談したり愚痴をこぼしたりすることができない。
生活が好転せず何も恢復しないまま、大切な人たちがどんどん亡くなっていく。そのたびに懸命にお付き合いすることも感謝を表すこともできなかったことを嘆く。
取り立てに怯え電話に出ること、呼び鈴が鳴っても玄関までいけなくなる。

履歴書を書こうと思うと苦しくなる2【俺がニート化した一因】

2016年01月30日 | 今、思う。
そんなに嫌なことをされたのかという話になる。虐待的に何かをされたというよりも、やはり環境。「ああいう風になりたくない」大人像を常に突きつけられた感じ。そのサンプルと血が繋がっているという現実。
繰り返す。それはその人たちの一側面でしかないことも分かっているし、分かってもいた。底抜けに悪い人たちなわけではなかった。ただ、本当に処理し切れなかった。し切れないくらい頻繁に慢性化していた。

そして俺は、履歴書が書けなくなった。

履歴書を書こうとすると苦しくなる【俺がニート化した一因】

2016年01月29日 | 今、思う。
【ニート化する一因】

履歴書が書けなかった。
「家」というものに振り回され「親類」や「血縁」に嫌な思いをさせられた子どもの頃の記憶がある。言い訳だと言われれば返す言葉もないけれど、実際、履歴書を前にすると、自分の名前が書けなくなる。書いてしまうと、「俺はあの人たちと同じなんだ」に直面してしまう気がしていたのだろう。本当に発汗する。本当に戦震する。絵を描くようなつもりで意味を考えずに書いてしまえばいいと思いこんでも、難しかった。
働くか死ぬかという選択が、それほど大げさではなくなった時も、同様。それでも、逆流したがる胃液の中、書いた。
面接へ行く。合否の電話を受ける。職場にいく。バイトをする。当たり前ながら「名前」を呼ばれる。そのたび、得も言われない不安定さと拒否感に襲われる。それは今も、続く。
父や父方の親類と、色々あったのだ。自分の出自を全否定しないとおかしくなってしまいそうなくらい。

じゃあその全ての人を憎んでいるのかというとそうではないんだ。
感謝もしている。尊敬もしている。ただね、嫌な思いとそれはプラスマイナスでは計算できないんだよ。これだけ感謝しているからアレはなかったことに、はできない。そうやって合理化して精神を整理することはできるけれど、それにも許容量がある。幼い自分はそのコントロールがうまくいかず、大好きな叔父さん叔母さん、大好きな父への気持ちと受けた思いをうまくさばけなかった、のだと思う。その上で「一族」というカテゴリをありがたがり押しつけられる環境があった。「一族」というとなにやら大仰な印象だけど、特に何があるわけでもない。自分たちを称してそのように呼んでいるだけだった。それがまた癇に障ってもいた。どこにでもある中流家庭の集合体なのに、大仰過ぎると。何さまなんだと。その、自分の出自への拒否感は、よく言われる「中二病」の延長または一部なのだろう。自分は特別な人間だ、ココに入るべき人間ではない、から始まり本当は異世界の住人だとかなんだとか。そういうSFティカルな設定に発症しなかったことが、更に俺のそれを悪化させたようだ。現実の中で、自分の出自を切り離そうとしてもできない。その結果、俺は「名前」を拒否する、出自を否定するという「意識」を作り上げた。その「意識」を稼働させている時は、楽だった。「意識」を停止させると、現実があった。そんなメンタルが成人しても続けば、根も深くなる。

そんなに嫌なことをされたのかという話になる。虐待的に何かをされたというよりも、やはり環境。「ああいう風になりたくない」大人像を常に突きつけられた感じ。そのサンプルと血が繋がっているという現実。(続く)

脱ニート者と人生の終盤【「最終回」への恐怖と憧れ】

2016年01月28日 | 今、思う。
【「最終回」への恐怖と憧れがある。】

もし今、とても幸福な出来事があったなら、その瞬間、足元からエンドロールが流れてエンディングテーマが聞こえてきて、俺の人生「完」にしたいと思ってしまう。つまり、そこで死んでもいいと。人生は、その後も続く。折角の幸福な瞬間も、数十分後には現実に喰い荒らされ、消失。そして、できそこないの、失敗作の続編が始まる。いつか俺は、母とともに自ら「最終回」を決めてしまうのではないだろうか。
それは余りに恐怖。恐怖でありながら甘美。
解き放たれたいよ。
どうあがいてももがいても、好転しない日々。大切なものが失われていく日々。

ただ一つ、分かっていることがある。
そんな「最終回」は絶対こないんだ。

なぜ?

「とても幸福な出来事」など、起こりはしないからさ。

母と最後のパンと風邪【ニート後遺症】

2016年01月27日 | 今、思う。
母と最後のパンと風邪【ニート後遺症】

風邪を引いた。薬がないから安静にするのみ。医者にはいけないからインフルエンザではないことを祈る。

今日はバイトが休みなので、少しだけ幸い。本当は幸いではない。休みということは収入がない。
だからこそ休みは有効に、仕事の面接日として使わなくてはいけない。なのにその約束さえできないまま、休み。

最近は派遣業者・仲介業者が多くて問い合わせや電話口やネット応募の時点で可否を判断されることが多い。今年に入ってから申し込んだ数件の求人募集、面接までたどり着けなかった。こういう休みにハローワークにゆけば多少なりとよいのだけど、徒歩しか移動手段のない俺、実は行こうと予定していたところに風邪。無理矢理行こうかと準備しかけるも、やはりこの寒さと体調の中、二時間・往復四時間の徒歩は危険。風邪が悪化してバイトを休むことになったらもう、目も当てられない。何の保証も保険もない。休んだら収入ナシ。休めない。この状況も「ニート後遺症」の一つ。

母が朝食にパンを食べたら、俺の朝食と二人の昼食がなくなった。夕食はかろうじて野菜がある。そのことに気付いた母が俺に謝る。俺は、何をさせているんだ。母親に。マトモな人はいまごろあちらこちらを飛び回り仕事に追われている。俺は、母に謝らせている。「最後のパン、食べちゃってごめんね」と。俺は最低だ。
大好きだったヨーグルトを喰わせてやりたい。財布には十円玉もない。