人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

究極の怠け癖が「自殺願望」に繋がるんですよね。元ニートの自殺願望分析7

2016年03月27日 | 元ニートの自殺願望分析
自業自得から始まった自分の不徳をここまで恥ずかしげもなくよくもまあと自分で笑ってしまいます。偉そうになんだかんだ分析しても、ただもう怠けたいだけなんだから。究極の怠け癖が「自殺願望」に繋がるんですよね。

なんとかね、「自殺願望」だけはしのぎ切りたいんですよ。嘔吐感、熱感、はぐきの痛み、耳鳴り、めまい。倦怠感。色・音・味への感覚の鈍磨。表情の変化。娯楽への無関心。ニート後に出てきた体・こころの変調、たくさんありますけど、死んだらしまいですからね。

そんな風に考えながらおびえながら、日々を過ごしています。(続く)

そこに残るのは「自殺願望-願望= 」元ニートの自殺願望分析6

2016年03月26日 | 元ニートの自殺願望分析
時折、ネットで「自殺とめる」サイトなどに目を通します。なんていうか「うるせッ」って、なります。なんかね、そういうことじゃないんですよ。全般的に。いろいろと「こうした方がいいよ」的なことを言ってくれているのは分かるんですけどね。それらのほとんどが、ちゃんと働いててちゃんとしている人の「自殺」を対象としてるので「うるせッ」なんていうのは違うのも分かってます。

「自殺願望」に勝つには「現実」がプラスにならないとダメ。でも、そのプラスがない。何をもってプラスだと思うのか、と問われると「特にない」なんですよ。だから「現実」がプラスになることなんてない。プラスになることを探せたって、そんなとってつけたようなもの、はたとその茶番臭に気付いたらそれこそ突発的にね。最終回に突入しそう。だから俺ははっきりプラスにならないといけないもの、つまり金、その根本としての職が欲しいんですよ。働けばプラス。単純な公式。ここがプラスになれば食も病も安定してくる。あちこちから金払えと追い込まれることもない。数字ではっきりプラスが分かる。生きがいとかそういう抽象的なものではダメ。ところがこの金、働かないと入ってこない。ところが年齢的にも肉体的にも働く場所がない。プラスが遠のく。これがニートの真実なんだよなあとため息も出ないです。ニートをいじる芸人さんや漫画もありますが、いじんないでよッ、マジ悲壮だから!と絶叫したくなります。自業自得を棚に上げて。

実際、ニートから死を選ぶ人、多いみたいで。とはいえ直接的にその因果関係が立証されにくいから精神疾患や突発的な何かとして処理されるようなので、はっきり数値には出ていないようですけど。行政もね、ニート対策は四十歳までを対象にしていることが多いですよね。全て自己責任、まして四十以上は…という理屈は正論です。だからもう四十以上はフリーター続けた挙句貧困の中で死ぬか生活保護受けて財政圧迫するかしかなくなってきます。その状況に悲観すればすぐに最終回な人も出るでしょうしね。
四十以上の高齢社会復帰希望者にも優しくしてよ、です。甘えた言い方ですが切実です。多額の生活保護を税金から捻出するより働ける場所を提供し続けて税金滞納未納をなくしていった方がいい気もするんですけどね。
働く意思があるうちはまだしも、それがぽっきりいってしまったら、そこに残るのは「自殺願望-願望= 」しかないですもんね。(続く)

働けば壊れる弱者など社会には必要ないわけで 元ニートの自殺願望分析5

2016年03月24日 | 元ニートの自殺願望分析
もし、ニートが「予防」だったとした場合、ニートを辞めたらどうなってしまうのか。こころを病んで再びニートに戻ってしまうのか。それとも乗り越えて社会復帰できるのか(社会が許せばですが)。最終回へ突入してしまうのか。

「罹患」だった場合も大変ではありますが、こちらは「治療」して復帰、というルートがありますよね。「予防」だったら、ねえ。社会に帰ってきた途端におかしなことになりかねないので、難しい。
そのいい例が俺ですもん。多分俺は「予防」だったんだと思うんですね。で、再度働き出してから、ここで何度も言ってきたように「ニート後遺症」が発症しました。まさかの「自殺願望」まで抱えるようになりました。ニート時代には本当に心身ともに健康だったのですがこの一年で一気にずたずたです。そうやってずたずたになりながら生きている普通の人と足並みをそろえるのだからそうなって当然ではあるのですが、そこは個体差。それに耐えられないから「予防」したんだとすれば、のこのこ這い出してきたらそれはもう「罹患」して壊れていきますよね。普通の人よりもろいんだから。だから優しくして!とかではないです。ここはただの、現実の羅列。

世の中は弱肉強食。弱いものは喰われて死ね。それも正解でしょうし、社会にでて働けば壊れる弱者など、社会には必要ないわけで。そりゃあ死ぬしかないのも道理。かといって素直に死ぬのもどうかと思ってはいます。だから、なんとか自分を守りながら社会復帰してやりたいわけです。できることなら、いやがらせのように生きてやりたいわけですよ、強者さんたちの群れの中でさ。

もうどうあっても勝ち目はない人生なんですが、だからこそ、気分的に負けたままで死んでしまうのも嫌だったりします。どうやったら一矢報いたことになるのかなと、驚くほどムダで意味のないことを考えます。そんなん考える暇があったら求人情報みて働きなさいよと。思いつつも、そんなん考えないとほら、死にたくなるじゃないですかと。弱いな、俺。(続く)

日々「自殺願望」にときめきつおびえつしながら暮らす 元ニートの自殺願望分析4

2016年03月22日 | 元ニートの自殺願望分析

例えば会社に入ってこころを病んで退職、そのままニート。たとえば会社に入ってこころを病みそうだから退職、そのままニート。ほんの六文字違うだけですが、モノは真逆。
罹患なのか予防なのか。
難しいところです。俺を検体に考えると、多分後者。大学を出るまで今一つ振り切ることができない人生だったので、それが今後も続くかと思った時にフリーターを選んでしまった俺、もしどこかの会社に入っていたら、性格柄簡単に辞めることができずに人生に無為ばかりを感じて、それこそ突発的に最終回を作ってしまうかもしれませんでした。というと言い訳がましいですが。性格の話。真面目ではないんですけど、ことの継続を辞められないんですね。学校を休むことができない子でした。塾なども一時通ったのですが、ずっと皆勤賞だったのに一度風邪をひいて休んだらもう、一気に行かなくなってそのまま辞めたり。真面目というより怖がり。気が小さい。休むことが怖かっただけ。なので多分、会社にちゃんと就職していたら、どこかで「俺の人生ってこれで決定か」の意識から突発的に全部嫌になって、ぶつんといってしまいかねなかったです。退職して他の仕事へ、という器用なことはできないだろうし。結果的に一番最悪な道を選んでしまったんですけど。
ただ、おかげさまで、フリーターになった時には「ようやく自分の人生始まったなあ」と思った瞬間がありました。当時は結構頑張って、深夜までのバイトに励んだり海外にいったり音楽までやったりと、思えば大学生のような生活を満喫していました。ということは、この時点でニートの萌芽はあったんですね。大学の楽しかった時間で止まってしまいたい願望を形にしようとしてたんだから。
ともかく当時は自殺など思いもよらず、そんなこと考えるのはただの甘えだと切り捨ててさえいました。
それがね、今や日々「自殺願望」にときめきつおびえつしながら暮らすことになるとはね。

自分でびっくりです。
…ちょっと、嘔吐感がひどいです。ニート後遺症、こういうところで出てくるからしんどいです。少し、吐いてきます。

元ニートの自殺願望分析3 こち亀の最終回を読むまでは死ねない

2016年03月17日 | 元ニートの自殺願望分析
どうにもこの先、人生の巻き返しができない計算。苦しい苦しい言いながら苦しい未来へ進むだけ、となるとそんな「現実」から逃げたい!と思うのも自然の流れ。この世にどれほどの未練があるかといえば、母を残しちゃいけないなあくらい。それこそニート時代は「こち亀の最終回を読むまでは死ねない」とか冗談まぎれに言ってたんですが。だからもし母が「もういっか」と言っちゃったらその日が最終回になる可能性も。

結局、ニートになったのも「自殺願望」が出てくるのも誰もが等しく頑張っている「現実」から逃げたいだけの幼稚な「駄々」に過ぎないんですよね。こんなに書き連ねる必要などないくらい分かり切った、浅い浅い結論。

ニートは、それでも生きてはいたけれど「自殺願望」は遂行したらおしまいなので、やる気はないです。苦しい毎日ながら、それでも突発的に笑えることもあれば楽しいと思うこともあるし。ただそういう願望に取りつかれてしまっている自覚はしないといけないぜ俺、と考えているということです。

こういうことを考えると、自覚症状がないだけでどこかおかしくなっているんだろうなとも思います。多分、その類の医者にいくと何かしらの病名がつきますよね、コレ。
そこでまた思うところがあります。
こころがおかしなことになったからニートになるのか、こころがおかしなことにならないためにニートになるのか。(続く)