Feliz Navidad!
今年はちょっと趣向を変えて、スペイン語でクリスマスのご挨拶を。
聖フランシスコ・ザビエルが日本宣教のため薩摩に上陸したのは1549年8月15日。その年の12月にはおそらく薩摩でクリスマスミサが行われただろうと言われていますが、記録には残っていません。
翌1550年には、たぶん山口から堺へ向かう途上で、仲間内だけであっても礼拝があったのではないかと思われますが、これも記録にはありません。
記録に残る日本最初のクリスマス礼拝は、ザビエルが日本を離れた後の1552年(天文21年)周防にて、その同志であり、彼の後、日本に於ける宣教責任者であったコスメ・デ・トルレスにより行われたものでした。
山口では1997年にこういうイベントもあったそうです。
そして、日本最初にして最後のクリスマス休戦は、1566年(永禄9年)、ルイス・フロイスの仲介により、あの松永弾正と三好三人衆の間で為されたというのが、何だか妙に面白いですね(笑)。
ところで、よく「イエズス会による日本侵略計画」なるものが陰謀論寄りの論考の中で取り沙汰されることがありますが、当時のイエズス会は発足間もないビンボー修道会で、とてもそんな力はありませんでした。
もちろん、バチカンの意向やスポンサーであったポルトガルの意図するところは別にあったと思いますが、昔も今もイエズス会の宣教方針は徹底した現場主義(「適応主義」とも言う)です。
現地の風習や従来の信仰、また政治体制を破壊するのではなく、利用できるものは何でも利用するのが彼らのやり方ですが、そういう合理性や或る意味の政治性が、他の修道会や宗派からはうさん臭く思われていたようで、ヨーロッパに於いてさえ、しばしば異端呼ばわりされたり破門されかけたりしたほどです。
そういう特色は、多分に創始者イグナチオことロヨラのイニゴ・ロペツの個性を反映したもので、それが今に到るまで色濃く残っているのも興味深いところです。
自分は今のところクリスチャンでもなく教会に行っているわけでもありませんが、たまにはこういうことに思いを馳せてみるのもいいのではないかと考えた次第。
何はともあれ、皆様よいクリスマスの夜をお過ごし下さい。イニゴとフランシスコ共通の故郷であるバスクの言葉で──
Zorionak eta Urte Berri On!(Merry Christmas & A Happy New Year! )