【討論】H29/12/23
常識と教養ってのは案外に近いんですよ。教養がいいと思って考える必要はないんであって、常識と教養の間に何がガ~ンと入っているか?知識ってものがあるわけです。ところがですね、常識抜きの知識っていうのは、下手をすると集めに集めると馬鹿になるという非常によろしくないということがあってですね。
たしか、ピーター・バーガーが言ったんですが、要するに近代化とはどういうことか?近代化が始まったとどうやったら分かるか?と。村のおじいさんよりも、その村に新しく出来た学校を卒業した子供の方が賢いと皆が思い始めたら近代化が始まったと。それが身体性の否定であって常識の否定なんですよ。その知識を外に何が使うか?知識である。知識を積み重ねた果てにですね、教養まで突き抜けてくれれば、そこでもう一回常識が蘇るはずなんですが、大抵の場合、最初に常識と身体性を否定しちゃって知識だけを詰め込むと、いつまでたっても教養の域に達しない。
文系と理系の分離ですけども、私の好きなカナダのデヴィッド・クローネンバーグっていう、この人理系崩れなんですけれどね、いいこと言ってますよ。つまり「歴史を振り返ってみれば、最高の科学者は皆、芸術家である。最高の芸術家は皆、予言者だ」。つまり予言者ってのは歴史の中にあるコンスタントを直感的に感じていると。で、それについてまず理屈にする前に感覚的に身体性をもって分かる。ここが芸術家。それを要約、理論化して、ここで初めてサイエンティストになるわけですよ。だから、文系理系を分離しちゃうと根本から間違ってる。それは実は元々コンスタントなものについて見失っているから、そういう分離が出来ちゃうわけです。
(S氏)