朴正煕の、自筆の「軍官志願の血書」を、記事に取り上げた「満州新聞」。
満州国軍軍官学校の日系将校枠の受験許可を特別(年齢制限により受験資格がないため)に求める血書による嘆願書を提出(1939年3月31日付『満洲新聞』)。
満洲新聞』(新京[長春] : 満洲新聞社)
出版期間:1938.10.11~1944.3.31
備考:「大新京日報」(新京)の改題。
(当館所蔵期間)
1938(昭和13).10.11~1940(昭和15).10.31、1942(昭和17).9.2~1942(昭和17).10.31(請求記号YB-628)[マイクロフィルム]
1941.12 ~ 1942.1, 1942.3 ~1942.4, 1942.6. ~ 1942.9.30(請求記号YB-1659)[マイクロフィルム]
(上記の朴正煕の記事も含めて、東京の国会図書館に、収蔵されています)
朴正煕が書いた官軍志願の血書。
パックネの実父である朴正煕が、小学校訓導(小学校教師)のとき、満州軍軍官学校へ志願するため血書で、志願の書を出し、それが、話題になり、新聞に掲載された。
この血書報道の存在を知る人は、多いと思いますが、紹介してみます。昨今のパックネの歪な心根の根底には、こういう事実があったことで、「親日派」(チニルバ)=売国奴、と見られることを、極度に警戒しているという見方が多いようです。
韓国国内では、朴正煕を親日派(売国奴・犯罪者)として非難する見方は根強く、その非難は、実の娘であるパックネにも、突き刺さっている。
朴正煕が書いた、「血書」をもとにして、韓国国内では、「忠実な血書を書いて日本軍将校となった高木正夫、韓国名パク・チョンヒ"」と嘲り、返す刀で、「"根は欺くことができない。親日と独裁の末裔であるパックネ」と、バッサリ斬られまくっている。
朴 正煕
(パク・チョンヒ、1917年11月14日(時憲暦9月30日) - 1979年10月26日)
第5 - 9代大統領(在任:1963年 - 1979年)を務め、軍事独裁・権威主義体制を築いた
日本名は高木正雄(たかぎ まさお、 - 1945年)
現在の第18代大統領、朴槿恵は長女。
↓は、朴正煕が軍官学校志願の血書を書いたと伝える「満州新聞」の記事と解説です。
http://blogs.yahoo.co.jp/zone0358/11717457.html?from=rela...
←朴正熙前大統領の満州軍血書志願記事が載せられた1939年3月31日付
写本. 民族問題研究所提供
満州国軍軍官学校の日系将校枠の受験許可を特別
(年齢制限により受験資格がないため)に求める血書による嘆願書を提出
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朴正熙前大統領が日帝強制占領期間に満州国軍官に志願し「死をもって忠誠を誓う」という内容の血書を書いて出したという当時の新聞記事が発見された。この間、話でだけ飛び交っていた朴前大統領の‘血書志願’が客観的傍証により確認されたのは今回が初めてだ。
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民族問題研究所(所長 イム・ホニョン)はの全面公開(8日)を3日後に控えた5日、この辞典に親日人士として収録された朴前大統領関連内容を公開した。民族問題研究所はこれと共に朴前大統領が1939年日帝の傀儡国家である満州国の軍官に応募し、志願書類とともに‘忠誠’を誓う血書と請託の手紙などを送ったと報道した当時の記事を同時に公開した。
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満州国で日本人たちが発行したは1939年3月31日付7面で‘血書軍官志願’という題名の記事を通じ「29日治安部軍政司徴募課に朝鮮慶尚北道,聞慶(ムンギョン)西部公立小学校訓導(教師)朴正熙君(23)の熱烈な軍官志願の手紙が戸籍謄本,履歴書,教練検定合格証明書とともに‘一死以テ御奉公朴正煕’という血書が送付され担当者を感激させた」と報道した。
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またこの新聞は朴正熙訓導が手紙に「日本人として恥かしくない精神と気迫で一死奉公の堅固な決心です」と書いたと伝えた。
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チョ・セヨル民族問題研究所事務総長は「親日人名辞典発刊を控え朴前大統領の子息パク・ジマン氏が‘掲載・配布禁止仮処分申請’を出すなど政治争点化している」とし「不必要な論議が整理されることを願う」と話した。 ホン・ソクチェ記者forchis@hani.co.kr
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1939年3月31日付 7面記事全文
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血書▲△軍官志願 半島の若き訓導から
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二十九日治安部軍政司徴募課へ朝鮮慶尚北道聞慶西部公立小学校訓導朴正煕君(二三)より熱烈なる軍官志願の手紙が戸籍騰本、履歴書、教練検定合格証明書とともに"一死以テ御奉公朴正煕"と血書した半紙を封入、書留で送付されて?く係員を感激せしめた、同封の手紙には
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(前略)
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日系軍官募集要綱を拝読しますと小生は凡ての條件に不適合の様であります。甚だ僭濫にて恐懼の至と存じますけれども御無理を申しあげて是非国軍に御採用下さいませんてせうか
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(中略)
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日本人として恥ちざつだけの精神と気魄とを以て一死御奉公の堅い決心でこざいます。しつかりやります。命のつ?く限り忠誠を尽す覚悟でこざいます。
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(中略)
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一人前の満洲国軍人として満洲国のため延いては祖国のため何で一身の栄達を欲しませう、滅私奉公、犬馬の忠を尽す決心でこざいます
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(後略)
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とペンで達筆に認めてあり同君の軍官志願の手紙はこれで二度目であるが軍官なるには軍籍のある者に限られてをり、軍官学校へ入れるにしても資格年齢十六歳以上十九歳であるため二十三歳では年が多過ぎるので同君には気の毒ではあるが鄭重に謝絶することになつた=写真朴君
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原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/386102... 訳J.S
●結論●
パックネは、日本へ「正しい歴史認識をもて」と言う前に、実の父親への「正しい歴史認識」を持つべきだろう。
実父、朴正煕が書いた官軍志願の血書。これは、まぎれもなく売国奴犯罪者である「親日派」の証拠にはなりませんか?。
南鮮では、2005年に、盧武鉉政権が押し進めた過去清算の一環として、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が制定されました。これは、過去をさかのぼり、親日派だと、認定されたら、過去に蓄積した財産を国家が没収するという、ありえない遡及法です。
「日本帝国主義の殖民統治に協力し、わが民族を弾圧した反民族行為者が、その当時、蓄財した財産を国家の所有とすることで、正義を具現し、民族精気を打ち立てることを目的とする」(第一条、目的)。
「おまえの親父は、親日派だった。だから、いま、お前が相続している財産を没収する」と、いう事態が、南鮮でまかり通っているわけです。
もし、「親日派」認定されたら、間違いなく、パックネも親父の全財産没収ですけど・・・・。
実際に、過去3年間(2013年調べ)で、親日派は、28億円の財産を没収されていますよ。↓。
http://news.livedoor.com/article/detail/7958662/
怖い、怖い、親日派認定。盧武鉉の狂気の負の遺産は、南鮮国民をいまだに、がんじがらめに縛り付けている。大統領のパックネさえも、その、亡霊に怯えて暮らしているのだ。
●おまけ●
朴正煕の人生と思想。
http://matome.naver.jp/odai/2136940671450593601
朴正煕は、親日派と認定され財産没収対象になってはいるが、なぜか、特例として、除外されているようだ。だが、いつでも、溯って特例除外になる可能性は否定出来ない。パックネが 大統領になっても、この、立場は、まったく変わりません。それだけに、大統領を辞めた後、父娘ともに親日派認定の共倒れになる可能性があります。
なんとか、親日派の追及を逃れるために、パックネは、いま必死なんでしょうね。
親日派を弾圧し、差別し、根絶やしにしてやるという、愚かな怨念を炎上させる親日法。
恨日という怨念が、全てに優る不毛なならずもの国家が朝鮮人の巣窟、南鮮です。
偽りの過去に自縄自縛になり、虚しい自尊心と抱き合い心中、自爆崩壊をするしかない、いびつな民族主義国家の末路に、もはや、未来はない。
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