「福田美蘭展」@東京都美術館
あちこちでちょこちょこ作品は見たことがあるが、個展としてまとめて見るのは初めて。お父さんはトリックアートの大御所・故福田繁雄。いい具合にツボを刺激する秀逸なアイデア作品を70点展示。優れた画力を駆使した、ユーモア溢れる作品や人を食った作品がいろいろ出てきて、かなり楽しめる。
《床に置く絵》 : 無造作に床に横たわる額縁入りの大きな絵、それもルネサンス風の格調高そうな作品で、たぶん高貴な人々やら、宙を舞う天使が描かれている、高い所に掛けておくタイプの絵だ。これを土足で踏んで歩くという体験型作品となっている。恐れ多くて踏めない!と思いながら踏んで歩いた。なんだろうこの背徳感は。自分のキャンバスでさえ踏んだことが無いというのに!
《開ける絵》 : 蝶番で閉じてある。見たければ開いてみる絵。
《ポーズの途中に休憩するモデル》 : モナリザのモデルをやってるジョコンダさんが、ベンチでよれよれと休憩中、よっぽどしんどいのだろう。
《リンゴとオレンジ》 : セザンヌの静物画に黒マジックでダメ出しの嵐。
《冷蔵庫》 : そんなところに絵を描くか!?
《Portrait》 : そんなところに絵を飾るか!?
《噴火後の富士》 : 水面を彩る桜越しに、雪をかぶる霊峰富士。見慣れたはずの景色なのに、物凄い違和感。噴火した山の上部はえぐれている。世界遺産だった富士山はもはや日本一の山ではない。だから美しくないとは言えない。山・雪・水・桜・青空の組み合わされた絶景は日本中どこにでもある。しかしそれでもこれが美しくないというのは、そこが以前は立派な円錐状の富士山だったことを踏まえた上での感情だろう。噴火する前の富士山風景のほうが美しいのは間違いないし、特に富士山周辺に住む者にとって、これはホントに想像したくない風景である。2005年の作品だが、ここ最近、富士山噴火について騒々しいだけに、その姿はリアルな恐ろしさを呼び起こす。
あちこちでちょこちょこ作品は見たことがあるが、個展としてまとめて見るのは初めて。お父さんはトリックアートの大御所・故福田繁雄。いい具合にツボを刺激する秀逸なアイデア作品を70点展示。優れた画力を駆使した、ユーモア溢れる作品や人を食った作品がいろいろ出てきて、かなり楽しめる。
《床に置く絵》 : 無造作に床に横たわる額縁入りの大きな絵、それもルネサンス風の格調高そうな作品で、たぶん高貴な人々やら、宙を舞う天使が描かれている、高い所に掛けておくタイプの絵だ。これを土足で踏んで歩くという体験型作品となっている。恐れ多くて踏めない!と思いながら踏んで歩いた。なんだろうこの背徳感は。自分のキャンバスでさえ踏んだことが無いというのに!
《開ける絵》 : 蝶番で閉じてある。見たければ開いてみる絵。
《ポーズの途中に休憩するモデル》 : モナリザのモデルをやってるジョコンダさんが、ベンチでよれよれと休憩中、よっぽどしんどいのだろう。
《リンゴとオレンジ》 : セザンヌの静物画に黒マジックでダメ出しの嵐。
《冷蔵庫》 : そんなところに絵を描くか!?
《Portrait》 : そんなところに絵を飾るか!?
《噴火後の富士》 : 水面を彩る桜越しに、雪をかぶる霊峰富士。見慣れたはずの景色なのに、物凄い違和感。噴火した山の上部はえぐれている。世界遺産だった富士山はもはや日本一の山ではない。だから美しくないとは言えない。山・雪・水・桜・青空の組み合わされた絶景は日本中どこにでもある。しかしそれでもこれが美しくないというのは、そこが以前は立派な円錐状の富士山だったことを踏まえた上での感情だろう。噴火する前の富士山風景のほうが美しいのは間違いないし、特に富士山周辺に住む者にとって、これはホントに想像したくない風景である。2005年の作品だが、ここ最近、富士山噴火について騒々しいだけに、その姿はリアルな恐ろしさを呼び起こす。
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