母は料理を長く教えていた。自分の教室をいくつも持っていて、遠くは飛行機で行くような場所まで
アクティブに教えに行っていて、わが母ながらすごいなあと感心していた。
そういう母を知っている方は、私が料理をすることは母が教えたと思い込んでいらしたけれど、
母は私に一切、料理を指導したことはない。
小さいころ、なにかしらお手伝いをしようと思って、まな板の前で包丁を持って切ろうとしていたら、
突き飛ばされたことがある。「おそいっ、邪魔、どけ」と。
まあ、母は父とうまくいっていなかった毎日のイライラを私に当たることで憂さ晴らしを
していたから、何にしても理不尽なことを言ったり、手を上げたりがあった。
母は私が料理をすることよりも、勉強をして一番であることを望んでいた。
「1番取ってあたりまえ。2番以下はバカしか取らない」と。極端すぎる思考だ。
母は学年トップの成績で、テニスでも県大会の優勝戦に出るほど、文武両道に長けていて、
実家では、家事などは一切しなかったらしい。
祖父母にとっては「自慢の娘」で、蝶よ花よと育てられた。
いゃ、おじいちゃん、おばあちゃん、それはわかるけれど、家のこともやらせてください。
おばあちゃんは、だれもが知っている有名な武家の出身で、お姫様だったと聞く。
そのためか、家事が苦手。なにかといえば、映画を見に行ったり、音楽を楽しんだり、
お嬢気質が抜けず、そのあおりを受けたのが母の姉たちで、家政婦よろしくこき使われたのに、
母は何もしない。結果、すぐ上の姉はずいぶんと、母を憎んだため、結婚してからも、
確執がひどく、結構に、私たちも大変だった。
まあ、そんなこんなで、母はとても器用だったので、結婚してからは
勉強だけでなく、料理もすぐにマスターして、早い時期から教えるようになったようだ。
ただ、そのためか、母は料理なんて、結婚したらすぐに覚えられる。学生のうちは
勉強が第一と思っていたせいで、私に料理はさせなかったのだ。
にもかかわらず、「バカ娘」呼ばわりされていた私は、勉強はしなかったけれど、
料理には並々ならぬ熱意を持って、小学1年生で卵焼きをマスターした。
教えたのは、母ではなく兄。
兄はボーイスカウトに入れられていて、野外活動として料理を作る機会があったらしい。
手取り足取りではないけれど、野外料理の定番のカレーの作り方も兄から教わって、
随分と、簡単なんだなあと、小さいながらに思ったものだった。
私は学校の勉強はしないかわりに、母の料理本を絵本のように読み込んだ。
フランス料理の本のレシピにエシャロットという材料を見つけて、「どんな
ものなのかなあ」と想像して楽しんでいた小学生だった。
母の目の前で作ると叱られるので、私は母が外出すると、料理を作って、
夕飯を作っていたりしたけれど、それについてはさすがに叱られなかった。
中学1年生のときにはお弁当も自分で作って、オムライスとフルーツサラダを
詰めたお弁当を作り上げて、楽しくて仕方なかったのを思い出す。
そして、中学生になったころから、母がパンを焼いたりしているのを見て、
母の留守中はお菓子作りに精を出した。
パンを作らなかったのは、発酵に時間がかかり、母の留守中に仕上げるのが
難しかったからだった。シュークリームにケーキ、読み込んだ料理本の知識のせいか、
ひとりでチャレンジしても失敗したことがなかった。
シュークリームやケーキが膨らまない失敗があると聞いたことはあったものの、
自分が作ったものはそんな失敗はなくて、そこそこうまくできあがるので、
楽しかったが、結構に母には叱られ続けていた。「こそこそなにやってるの!」
高校生になったころには、オリジナルレシピに挑戦して、デコレーションケーキの
スポンジ生地をいかにふんわりと仕上げられるかを模索して作っていた。
粉を少なくして、かなり理想のスポンジができあがったときは、母から
「レシピを教えなさい」と私のレシピを奪い取って、自分の料理教室で教えて
いたのは、まあ、呆れたけれど、母から認められたというできごとだった気がする。
日曜日に起きると、出かける支度をした母から「スポンジを4台焼いておいて」と
言い残されて、私は腕がだるだるになりながら、スポンジ生地を泡立てた。
当時はまだ、電動の泡立て器なんて使っていなかった。50年も前のお話。
まさに、「私失敗しないので」状態で4台くらいは楽々焼き上げられたけど、
母がそのうち、ややこしい注文を受けて、ピアノ型のケーキとか作るようになど
言われたときはさすがに「断ってよ」と思ってしまったけれど。
私が母に反抗するなどという選択肢はなく、奴隷状態だった。
それでも、仕上げだけは母がやっていて、市販のケーキと言われてもそん色がない
仕上げをしていたのは、さすがだった。
スポンジ4台は大体、クリスマスケーキで母がお世話になった方に届けるケーキだった。
私は兄の結婚式でもデコレーションケーキを作った。
2段のケーキで、外回りはかごの網目のような装飾を抹茶のクリームで
中にはクリームで作った薔薇の花をたくさん飾ったケーキ・・・だったと思う。
こちらも35年ほど昔。
もう長らくケーキは焼いたことがない。実はオーブンが壊れてしまい、仕事が
忙しいので、買い替えもせずにそのままになってから、何年も経つ。
たまには作ってみようかな。でも、こういうのは、やはり鍛錬ありき。バラの絞り出しとか
さすがにきれいに仕上げられない自信がある(笑)
でも、外に出られない療養生活。料理の腕の磨き直しにはいい機会かもね。
こちらはシフォンケーキとロールケーキ。何年前だろう?
10数年前にシフォンケーキに凝っていたことがあります。やあ。今は作れないかも。
泡立てしたくないー。めんどくさーい(笑)
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アクティブに教えに行っていて、わが母ながらすごいなあと感心していた。
そういう母を知っている方は、私が料理をすることは母が教えたと思い込んでいらしたけれど、
母は私に一切、料理を指導したことはない。
小さいころ、なにかしらお手伝いをしようと思って、まな板の前で包丁を持って切ろうとしていたら、
突き飛ばされたことがある。「おそいっ、邪魔、どけ」と。
まあ、母は父とうまくいっていなかった毎日のイライラを私に当たることで憂さ晴らしを
していたから、何にしても理不尽なことを言ったり、手を上げたりがあった。
母は私が料理をすることよりも、勉強をして一番であることを望んでいた。
「1番取ってあたりまえ。2番以下はバカしか取らない」と。極端すぎる思考だ。
母は学年トップの成績で、テニスでも県大会の優勝戦に出るほど、文武両道に長けていて、
実家では、家事などは一切しなかったらしい。
祖父母にとっては「自慢の娘」で、蝶よ花よと育てられた。
いゃ、おじいちゃん、おばあちゃん、それはわかるけれど、家のこともやらせてください。
おばあちゃんは、だれもが知っている有名な武家の出身で、お姫様だったと聞く。
そのためか、家事が苦手。なにかといえば、映画を見に行ったり、音楽を楽しんだり、
お嬢気質が抜けず、そのあおりを受けたのが母の姉たちで、家政婦よろしくこき使われたのに、
母は何もしない。結果、すぐ上の姉はずいぶんと、母を憎んだため、結婚してからも、
確執がひどく、結構に、私たちも大変だった。
まあ、そんなこんなで、母はとても器用だったので、結婚してからは
勉強だけでなく、料理もすぐにマスターして、早い時期から教えるようになったようだ。
ただ、そのためか、母は料理なんて、結婚したらすぐに覚えられる。学生のうちは
勉強が第一と思っていたせいで、私に料理はさせなかったのだ。
にもかかわらず、「バカ娘」呼ばわりされていた私は、勉強はしなかったけれど、
料理には並々ならぬ熱意を持って、小学1年生で卵焼きをマスターした。
教えたのは、母ではなく兄。
兄はボーイスカウトに入れられていて、野外活動として料理を作る機会があったらしい。
手取り足取りではないけれど、野外料理の定番のカレーの作り方も兄から教わって、
随分と、簡単なんだなあと、小さいながらに思ったものだった。
私は学校の勉強はしないかわりに、母の料理本を絵本のように読み込んだ。
フランス料理の本のレシピにエシャロットという材料を見つけて、「どんな
ものなのかなあ」と想像して楽しんでいた小学生だった。
母の目の前で作ると叱られるので、私は母が外出すると、料理を作って、
夕飯を作っていたりしたけれど、それについてはさすがに叱られなかった。
中学1年生のときにはお弁当も自分で作って、オムライスとフルーツサラダを
詰めたお弁当を作り上げて、楽しくて仕方なかったのを思い出す。
そして、中学生になったころから、母がパンを焼いたりしているのを見て、
母の留守中はお菓子作りに精を出した。
パンを作らなかったのは、発酵に時間がかかり、母の留守中に仕上げるのが
難しかったからだった。シュークリームにケーキ、読み込んだ料理本の知識のせいか、
ひとりでチャレンジしても失敗したことがなかった。
シュークリームやケーキが膨らまない失敗があると聞いたことはあったものの、
自分が作ったものはそんな失敗はなくて、そこそこうまくできあがるので、
楽しかったが、結構に母には叱られ続けていた。「こそこそなにやってるの!」
高校生になったころには、オリジナルレシピに挑戦して、デコレーションケーキの
スポンジ生地をいかにふんわりと仕上げられるかを模索して作っていた。
粉を少なくして、かなり理想のスポンジができあがったときは、母から
「レシピを教えなさい」と私のレシピを奪い取って、自分の料理教室で教えて
いたのは、まあ、呆れたけれど、母から認められたというできごとだった気がする。
日曜日に起きると、出かける支度をした母から「スポンジを4台焼いておいて」と
言い残されて、私は腕がだるだるになりながら、スポンジ生地を泡立てた。
当時はまだ、電動の泡立て器なんて使っていなかった。50年も前のお話。
まさに、「私失敗しないので」状態で4台くらいは楽々焼き上げられたけど、
母がそのうち、ややこしい注文を受けて、ピアノ型のケーキとか作るようになど
言われたときはさすがに「断ってよ」と思ってしまったけれど。
私が母に反抗するなどという選択肢はなく、奴隷状態だった。
それでも、仕上げだけは母がやっていて、市販のケーキと言われてもそん色がない
仕上げをしていたのは、さすがだった。
スポンジ4台は大体、クリスマスケーキで母がお世話になった方に届けるケーキだった。
私は兄の結婚式でもデコレーションケーキを作った。
2段のケーキで、外回りはかごの網目のような装飾を抹茶のクリームで
中にはクリームで作った薔薇の花をたくさん飾ったケーキ・・・だったと思う。
こちらも35年ほど昔。
もう長らくケーキは焼いたことがない。実はオーブンが壊れてしまい、仕事が
忙しいので、買い替えもせずにそのままになってから、何年も経つ。
たまには作ってみようかな。でも、こういうのは、やはり鍛錬ありき。バラの絞り出しとか
さすがにきれいに仕上げられない自信がある(笑)
でも、外に出られない療養生活。料理の腕の磨き直しにはいい機会かもね。
こちらはシフォンケーキとロールケーキ。何年前だろう?
10数年前にシフォンケーキに凝っていたことがあります。やあ。今は作れないかも。
泡立てしたくないー。めんどくさーい(笑)
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