日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

谷保山南養寺|東京都国立市 ~庭園にある築山は古墳か~ 【立川・国立古代史探訪 ④】

2020-04-27 09:21:29 | 歴史探訪
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 四軒在家1号墳の移築復元を見た後は、東へ向かって適当に歩きます。

 今日歩くコースは掃除の仕事でも散々来ていた場所ですから土地勘があるのです。

 滝乃川学園の前を通り、南養寺の前まで来ました。

 南養寺には何度か来ているのでスルーしようとしましたが、ふと道路からフェンスの向こうを見たら、墳丘のようなものが見えます。



 石積みも見えますよ。

 そういえば、南養寺に古墳がある(あった)ということを聴いたことがあります。

 確かめに行って見ましょう。



 山号は谷保山。



 由緒書きがきちんとあります。



 臨済宗建長寺派の寺院ですね。

 南北朝時代の創建で、開基は立川宗成とあり、当地の武士です。

 山門もなかなか風格があるなあと思いましたが、安永9年(1780)に建立されたものですから貴重なものですね。

 こちらの大悲殿は、寛政5年(1793)に千丑(ちうし)にあった藤井山圓成院の観音堂を移築したものです。



 千丑はこれから向かう予定の場所です。

 文化元年(1804)に創建された本堂は南面しています。



 怪しい場所は本堂の北側ですよ。



 立ち入り禁止になっていますね。

 この奥に墳丘らしきものが見えるのですが・・・



 でもこの場所は、さきほど読んだ由緒書きによると市指定史跡の庭園となっており、築山が築かれているとありますから、墳丘らしきものは築山でしょう。

 甲州街道方面へ向けて参道が延びています。



 築山を再び道路の方から観察してみます。



 フェンスにカメラを突っ込んで、完全な不審者ですね。







 うーん、やっぱり古墳っぽい・・・

 南養寺古墳に関しては、東京都遺跡地図には掲載されていません。

 『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、一覧ページには墳丘は「残存」とありますが、個別ページでは「消滅」とあり、主体部は河原石乱石積による横穴石室的竪穴式石室とあり、石室の写真も掲載されています。

 Webで調べてみても「古墳なう」さんが突っ込んで調べていますが、それ以外にもほぼ情報はなく、結局謎のままです。

 南養寺古墳は発掘調査まで行われたのに、『国立の古墳』(くにたち郷土文化館/編)には「所在不明」となっており、国立市も東京都も把握していないようなのです。

 ですから、湮滅してしまったのかもしれず、庭園の築山はまた別のものとして考えていいかも知れません。

 築山は庭園を造った際にゼロから築かれた築山ではなく、古墳をベースとして作った築山ではないでしょうか。

 古墳をベースに中世の塚を作ったり、江戸期の富士塚を作るというケースはたまに見受けられます。

 証拠もないのに結論を出すのはいかがなものかと思いますが、この近辺には南養寺古墳と、もう一基、築山のベースなった古墳が存在したと考えます。

 南養寺の近辺は、立地的にみると小さな円墳が複数あっても不自然ではありません。

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