日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

宝塔山古墳/総社古墳群|群馬県前橋市 ~切石積みの素晴らしい石室が堪能できる大型方墳~

2020-08-29 12:16:20 | 歴史探訪


 

 宝塔山古墳は、3段築成の一辺が60mの大型方墳で、仏教の要素を取り入れたデザインの家形石棺を採用し、新しい時代の到来を感じさせる古墳です。

到達容易
墳丘登頂可能
石室入室可能
本物の石棺を触れる
簡単な説明板あり

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


群馬県前橋市総社町



現況


墳丘登頂可能
石室侵入可能

史跡指定


国指定史跡
史跡名:宝塔山古墳
指定日:昭和19年11月13日

出土遺物が見られる場所


総社歴史資料館にてパネル展示や石棺のレプリカが見られる

 

2.諸元                             


築造時期


7世紀半ば

墳丘


形状:方墳
墳丘長:一辺60m、高さ12m
段築:3段
葺石:
埴輪:

主体部


羨道・前室・玄室の3室構造で、全長は12.4m
切石積

出土遺物



周堀




 

3.探訪レポート                         


2015年5月4日(月)



この日の探訪箇所
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 光巌寺 → 宝塔山古墳 → 蛇穴山古墳 → 総社城跡 → 遠見山古墳 → 山王廃寺跡 → 上野国分尼寺跡 → 上野国分寺跡 → 妙見寺および妙見社 → 上野国府跡 → 蒼海城跡 → 宮鍋神社 → 大友神社 → 総社神社 → 石倉城跡 → 王山古墳 → 前橋城跡 → 前橋八幡


 ⇒宝塔山古墳の前に訪れた光巌寺はこちら

 光巌寺を出て、宝塔山古墳の登り口を探します。

 南側に石段がありますね。

 墳頂は秋元氏の墓地となっていました。



 真中の墓に眠るのが秋元長朝です。

 『戦国武将合戦事典』(峰岸純夫・片桐昭彦/編)によると、江月院巨嶽元誉、俗名秋元長朝は、天文15年(1546)に武蔵国深谷で生まれ、父は景朝(元景)、母は関東管領上杉憲政の養女です。

 長朝は父とともに深谷上杉憲盛に属しましたが、小田原攻めの際に浅野長政らに従い、家康の関東入部のあと井伊直政の斡旋で家康に仕え、上野国碓氷郡中野谷500石を賜りました。

 このように上手く時代の変わり目を生き抜くことができた朝長に訪れた大きな転機は、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦です。

 合戦の前、長朝は下総栗橋の関を守り、上杉景勝に備えていたのですが、合戦が終わった後、会津の景勝に遣いを送り景勝の帰服を促したのです。

 そのような功績が認められ、ついに慶長6年、総社で大名となりました。

 そして前述した通り、天狗岩用水を掘削するなどして善政を敷き、寛永5年(1628)8月29日に没し、享年は83歳でした。

 さて、話を古代に戻しましょう。

 次は石室を見てみたいので、今度は北側の石段を降ります。

 すぐ近くに次に行こうとしている蛇穴山古墳が見えます。



 あ、北側が正規の入口だったようですね。



 説明板もあります。



 『群馬県史 資料編3 原始古代3』には2段築成とありますが、該書が出たのは1981年ですので、その後の調査でこの絵のように3段築成ということが分かったのですね。

 ところで、石室は南側に開口しているとのことですが、さっきは気付きませんでした!

 なのでもう一度南側へ行ってみます。

 おっと、ありました!



 普通に入れるようになっているのが嬉しいですね。

 それでは中に入りましょう。

 石室の中は、羨道・前室・玄室の3室構造で、全長は12.4mもあります。

 羨道から奥を見ると、玄室に横たわっている石棺が見えます。



 石室は基本的に南側に向かって開口しているので、今日みたいに晴れた日は、太陽の明りで中が良く見える場合もあります。

 いやー、それにしても立派な石積みですね。



 1400年も前に、まるで近世城郭の石垣みたいにきれいに石を積んでいます。

 凄い技術だ。

 前室左側面。



 これは近世城郭が好きな人も見れば気に入るかもしれません。

 壁面は往時は漆喰を塗っており、顔料の痕跡はありませんが、壁画があったかもしれないとのことです。

 玄室には石棺が横たわっています。



 この家形石棺は、下手すると江戸時代くらいのものに見えますが、これは1400年も前に造られたものなのです!

 石棺の底の部分は平たんではなく、格狭間(こうざま)と呼ばれる仏教様式を取り入れたものとなっており、非常に珍しい。

 思えば、古墳めぐりを始めて数年経ちますが、こうやって石室の中を見学したのは初めてです。

 東京都府中市の上円下方墳である武蔵府中熊野神社古墳の復元石室は見学したことがありますが、本物は初めてなのです。

 古墳マニアは皆、石室が大好きなようですが、これで私もまた一段階、古墳マニアの階梯を上がりました。

 しばし、石室内を堪能した後、外に出ます。

 おや、箒とチリトリ。



 常に古墳を綺麗にしようとしている地元の方の気持ちが嬉しいですね。

 それでは先ほどチラッと見えた、蛇穴山古墳に行ってみましょう。

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
・『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
・『戦国武将合戦事典』 峰岸純夫・片桐昭彦/編 2005年
・『東国の雄 総社古墳群』 前橋市教育委員会/編 2017年
・『群馬の古墳物語 上巻』 右島和夫/著 2018年
・「国指定文化財等データベース」 文化庁


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