つぶやき城ー。のブログ

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

江戸城【三回目】@東京都

2025-01-02 13:00:00 | 100名城
2025年1月2日

新春、あけましておめでとうございます。
今年もゆったり城めぐりに勤しみたいと思います。

さて、2025年の最初の城めぐりは江戸城です。
1月2日は一般参賀があり、天皇陛下がお出ましになる日。
ワタクシも産まれて初めて、参加致しました。

一般参賀の時は、江戸城の普段入ることのできないエリアに入ることができるので、お城ファンにとっては特別な日なのです。

大手町の駅に到着したのは朝の7時50分頃。天皇陛下のお出ましは10時10分頃なので、割と早めに到着したつもりでしたが、既に大大大行列!

後からニュースを見たら、今年は6万人が大集結したそうです。



快晴で空気が澄んでいて最高の朝です。
和田倉門側から行列に接続です。

水堀に逆さに映った石垣がとても綺麗です。



和田倉橋と和田倉門。

関東大震災によって和田倉門が大破し、渡櫓は翌年の地震で潰れてしまった為、現在は石垣のみが残ります。

和田倉橋は木橋で復元。
江戸城には幾つもの橋がありましたが、木造で復元しているのは、平川門とこの和田倉門のみ。



皇居正門より入っていきます。

通常は橋の前には柵があり、警備員も常時いてセキュリティが万全。近づくこともできません。

当然この先は立ち入り禁止エリアとなっています。



皇居正門から見た二重橋と伏見櫓。

この水堀と石垣も普段は見れない景色なので、しっかりと目に焼き付けます。



皇居正門は江戸幕府の時代には西の丸大手門と呼ばれていました。



櫓門の石垣。当時はこの石垣から土塀が少し伸びて、西の丸大手門の目の前に直線上に高麗門がありました。

本来は一つ目の門を抜けると90度折り曲げて二つ目の門があるので、防御の観点から見ると珍しい構造。



西の丸大手門も江戸時代から存在する、貴重な現存の門となります。

鉄板が貼られ、重厚感がある素晴らしい門。



二の丸大手門を抜けると、ぐるりと傾斜を上りながら緩やかなカーブを90度曲がると、先ほど写真に撮った二重橋へと繋がります。



今日の目当ての一つが、この伏見櫓。
鉢巻石垣の上には現存の二重櫓と渡櫓が鎮座。

立ち入り禁止エリアの為、伏見櫓をこんなに目の前で見ることは普段できません。

写真でしか見たことがなかった伏見櫓ですが、間近で見ると大きくて迫力があります。



江戸城は現代では皇居という名が一般的な名称となっていますので、初めて参賀に来た方の会話を聞いていますと、ここが城であったことを実感した方も多かったようです。

そうです!
ここは日本が世界に誇る天下の名城、江戸城跡なのです。



二重橋を渡った先にも櫓門がありましたが、現在は石垣のみが残っています。

美しい切込接の石垣。
石材一つ一つをよく見ると、角を削って立体的な石材となっています。

さらに表面には、すだれ仕上げという細かい線を入れて化粧仕上げなのが分かります。

さらに隅の算木積みにおいては、下になるほど規則的に幅広くなっています。

美的センスが光る、石垣技術の最終形態!


天皇陛下のお言葉を拝聴した後は、坂下門方面へと降っていきます。

そして、もう一つのお目当てが富士見櫓!

富士見櫓も普段は見ることが出来ません。
通常日でも東御苑からは見れるのですが、櫓の裏側しか見れないので、やはり皇居側から見るのが一番美しい。



明暦の大火で天守を失った江戸城において、天守の代用とされたのが富士見櫓。

江戸城の中心に位置していて、当時は富士山も見えたことから富士見櫓と名付けられたと言われています。



三層三階、高さ16mの木造現存櫓。
関東大震災で大破しましたが、旧材を使用して復元されました。

建築物のほとんどを失っている江戸城にとっては、とても貴重な遺構です。



富士見櫓の石垣は、城内の現存石垣の中で最も古い石垣の一つ。石垣の高さは15m。

出口のルートは桔梗門か大手門から出ることができるのですが、今回は大手門から帰ることにしました。

次の楽しみを残しておきたい性格です。
桔梗門はまた来年見たいと思います。


中之門跡。一際大きな石材を綺麗に加工した石垣。

瀬戸内海沿岸の白い花崗岩を使用しています。この石は大名が通る道や、天守台など特別な場所にのみ使用されています。

本丸に続く中之門が重要な場所だったのは明白ですね。



最後は大手門。
江戸城の顔となる特別な門です。

桁行22間(40m)×梁間4間2尺(7.9m)の巨大な渡櫓の櫓門。

残念ながら世界大戦の空襲により、江戸時代の建築物は消失。
昭和に復元されました。



大手門には珍しい石狭間があります。
鉄砲を撃つための狭間と呼ばれる穴を、土塀ではなく石垣を切り欠いて設置しています。

このタイプは大阪城や岡山城などでも見ることが出来ます。



大手門の石垣は1620年の改修時に伊達政宗が担当したと言われています。

その際に現在のような枡形虎口になりました。



新年のスタートには申し分ない程、満足した1日でした。

日本で一番巨大な江戸城は、行くたびに新しい発見があります。

ずっと近くで見たいと思っていた伏見櫓と、富士見櫓を見て改めて江戸城の素晴らしさを実感しました。

引き続き、今年も宜しくお願いします。



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