つぶやき城ー。のブログ

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

彦根城 ライトアップVer

2023-09-23 20:00:00 | 100名城
2023年9月23日

関西方面城巡り2日目

朝から兵庫県の明石城に行き、安土城を周りラストは彦根城のライトアップに行ってきました。

安土から彦根まで電車で移動し、近くのビジネスホテルに宿泊。
次の日は彦根城に行く予定だったので、ゆっくり休む予定でした。





ラッキーなことに部屋から彦根城が見えます。しかも、一泊素泊まり4500円くらいの格安!
夕陽に照らされた彦根城は、とても綺麗でした。

部屋でゆっくりして、何気なく外を見ると彦根城が光っています。

ライトアップされているなら、行かないという選択肢は有り得ません。

疲れた体にムチを打って、再び外に繰り出します。

歩いて15分ほどで彦根城に到着。



メインとなる佐和口から入城します。
多聞櫓が待ち構えていて、美しくにライトアップされています。



井伊家の家紋が輝かしい。



続いて天守閣方面へ向かうと表門橋があり、渡ったその先にチケット売り場がありました。



マスコットキャラクターひこにゃん。
けっこう可愛いらしいやつです。



なんと今日は、夜なのに天守閣に上がれる日でした!
嬉しくて、ラッキーでテンション上がります!

サラッとライトアップを見て帰ろうと思っていたのですが、夜に天守閣に登れるなんて貴重です。



立派な石垣に橋が掛かっていて珍しい造り。


夜に白漆喰の壁に光を当てると、浮かび上がるように見えるので、それだけでも十分美しい。

そこに井伊家の家紋とコラボレーション。



お城の周りが真っ暗なので、より一層幻想的な世界に誘います。


先ほどの橋を渡り、先に進むと本丸跡に辿り着きます。

国宝彦根城が夜の闇に光り輝く姿は、かなりレアです。

この本丸跡はひこにゃんのパネルもあって、広場になっているので完全に撮影スポットなのですが、スタッフさんに聞いたら実はお城の正面はこちらではないらしい。


角を基点に右側が先ほどの写真の角度。左側がお城の正面らしいです。

左側が京都の方角らしいので、そちらが正面になります。

これ実は知らない人が多いってスタッフさんも言ってました。

この角度から見ると、破風の数が半端ない。



天守閣の中に入ります。入ってすぐ急な階段が目の前に現れます。

昔、夜の小学校の校舎にに入った時を、何となく思い出しました。

そんな特別感というか、ワクワク感というか。説明が難しいですね。



夜のお城の中。
しかも貴重な現存12天守の国宝の天主閣ですからね。


窓からは夜の彦根市を一望することができます。



城の造りとか貴重なものが満載でしたが、ひたすら雰囲気と景色を楽しみました。



階段は恐怖でしかない。

一般家庭でおおよそ40度程度。一般の城で50度前後。これでもかなり急です。
しかし、彦根城は61度です!
桁違いな数値。

手摺なしでは登れないレベル。



天守閣の出入り口からのショット。
天守閣自体は三層三階なので、そこまで大きくはありませんが破風が多く、迫力があります。


帰り際、天秤櫓と月。
月夜が照らすライトアップ。これがナチュラルな姿。

城のライトアップは初めて見ました。それをたまたま訪れた今日に見ることができて、逆に1日の疲れが完全に吹き飛びました。


天守閣までの道中は暗くて歩くのが怖かったですが、探検しているみたいで楽しかったです。

最高の関西方面城巡りの2日目を終えることができました。


城×食事
ちゃんぽん亭 彦根駅前本店

滋賀県のご当地ラーメン、近江ちゃんぽんを提供しているお店。

あっさりながら、旨みある上品なスープ。
長崎ちゃんぽんとは全く別路線のちゃんぽん。

詳しくは↓↓


安土城@滋賀県

2023-09-23 16:00:00 | 100名城
2023年9月23日

関西方面城巡り2日目

明石城→信長の館→安土城考古博物館→安土城跡の順でやってきました。

安土城考古博物館から自転車で約5分ほど。



安土城跡の前にやってきました。
天気が良く絶好のサイクリング日和となりました。

今は安土城の周りは田端が広がりますが、信長の時代はこの一帯も琵琶湖で安土城を囲むような形だったようです。



早速入城です。
車の方は無料の駐車場がありました。

安土城は総見寺というお寺が管理しています。
入り口にはグッズが売っているお店があるので、飲み物など事前に買っておきましょう。

料金を支払うゲートがあるのですが、そこを通過すると自販機もトイレもありません。

あるのは大自然と石垣のみです。



早速登っていきます。
まず、目の前に現れるのはひたすら続く石階段。
ここは大手道で安土城に向かうメインルート。当時は限られた人しか通れなかった道でもあります。

石階段で左右には立派な石垣が残っています。



すぐ右手には伝前田利家邸跡があります。
加賀百万石の祖。敵が攻めてきた時は戦国時代の横綱が右手を固めて迎え撃ちます。



後世に大きく破壊されてしまったようで、礎石が残っていなく建物の形まではハッキリとは分からないそうです。



門の跡ですが、石垣の形状から大手道を防備する隅櫓、そして枡形虎口もあり多聞櫓で囲むような形状になっています。

石垣が現代に伝えるメッセージです。



一方、前田利家邸の反対側左手には伝羽柴秀吉邸跡があります。

大手道の入り口を後の天下人と、戦国の大横綱が固めるという非常に堅固な城です。

ちょっと考えただけでワクワクしてしまいます。



秀吉邸の方は礎石も残っているので、建物のおおよその形が調べによって分かっているようです。

入り口には櫓門があったようです。



秀吉邸は横長に広大に石垣が広がっています。

安土城は日本で初めての総石垣の城ですが、入り口の時点で既に天守閣のような巨大な石垣が積まれています。



今まで誰も発想してこなかった城の新しい形。こういった遺構を目の前にすると信長の凄さを改めて感じてしまいます。

そして信長の秀吉への信頼の高さも伺えます。



大手道の中腹くらい。
登ってきた道を振り返ります。

左側の高い石垣は現在総見寺になっていますが、伝徳川家康邸です。

大手道には羽柴秀吉、前田利家、徳川家康の戦国オールスターズが守ります。


信長がカリスマだったというのは、こういった後のスターを配下に置くことができたことも由来します。



安土城築城の際、大量の石が必要になりました。
石階段にはお墓や地蔵なども使われていて、様々な場所から石を調達したことが分かります。



この石はハッキリと仏様が二体いらっしゃいます。
階段とはいえ流石に踏まずに避けて登ります。



大手道の頂。天主は、まだまだ先です。昔はここからも遠くに巨大な天主が見えていたようです。

石垣だけでも迫力あるのに、まさに威厳の塊のような城です。



先は長いです。
ひたすら階段を登り続けます。

ワタクシは運動靴を履いてきているので問題ありませんが、軽い気持ちでヒールの高い靴なんか登ったら地獄を見てしまいます。

安土城登頂の際はある程度覚悟して登った方が良さそうです。ちなみに、帰りはもっと急な階段を降りてこなければなりません。




天守に近づくと織田信澄邸と森蘭丸邸があります。

織田信澄とは信長の弟信行の長男。
森蘭丸は織田信長を側近として最後まで支えた武将。美少年だったらしく、最後は信長と共に本能寺で散ります。

側近らしく天主に近い場所に住んでいたんですね。



いよいよ安土城の見どころの一つでもある、黒金門にやってきました。

ここを通過すると本格的な安土城の城郭内になります。



二度折れして曲がりくねった枡形虎口。
安土城を攻めるには、大手道をクリアしてもこの黒金門が待ち構えます。



この場所には大きな門があり、鉄壁の守りを敷くために黒の鉄板を施した、威圧ある門だったそうです。

そして、この位置で十字砲火を受ける仕掛けとなっています。



安土城は本能寺の後、謎の火災によって消失してしまいます。
平成の発掘調査でこの黒金門も焼失したことが判明しています。

黒金門の先には、今度は二の丸の高い石垣が現れます。



黒金門を突破できたとしても、次はこのエリアで再び集中砲火にあいます。

安土城はどこまでも鉄壁な守りです。



二の丸の石垣沿いに歩いていくと、左に曲がり再び門跡を通過します。



階段を登り切ると、やっとここで天主台が現れます。



天主台沿いに右に進むと本丸があります。

東西50m、南北34mの敷地に本丸があったとされています。



昭和と平成の発掘調査によって、119個の礎石が見つかっています。

礎石の配列から、東西34m南北24mで中庭を挟んで3棟に分かれた建築物でした。

それは天皇の住まいである、内裏清涼殿に非常に似ている造りとされています。


この本丸の前を通って、さらに天主に向かう階段を登ります。そこから振り返っての一枚。

なぜ天主閣の下に天皇の清涼殿に似た建物が造られたのでしょうか。

信長公記には「御幸の御間」と呼ばれる建物が天主の近くにあり、内には「皇居の間」が設けられていたと記されています。

実現こそなかったが、信長が天皇のために用意した行幸御殿だったと考えるのが自然です。

ここも非常に信長らしさを個人的には感じてしまいます。
自分の城に天皇の家を用意するとは、誰も考えもつかない発想かもしれません。

政治的な意味も含めて、何人たりとも攻め入ることのできない城です。

自分が住んでいる天主の下に皇居の間を用意するあたりがね。
凄いです。
下です。

安土城は権威の象徴でもある城だったらしいです。



いよいよ、ここから天主の中に入城です。
安土城は五層七階なので、入り口は地下部になります。



ここ安土城が石垣の上に天主閣を建てるという発想の原点となる、日本初の城です。

石垣の上に天守閣という高層建築物は、信長の安土城から始まって江戸時代まで日本の代表的な建築物として進化していきます。



現在は礎石のみが残っています。

安土城はこの巨大な城郭にも関わらず三年で完成。しかしその三年後の天正10年、本能寺の変後に焼失してしまいました。

その後、一時的に城として使われていたものの、秀吉が近江八幡城を築城したことで城下町も全て近江に移され、忘れ去られた城となってしまいました。



事前に信長の館と考古博物館で天主閣の資料を見てきているので、この場所でぼーっと眺めているだけでイメージした天守閣がリンクしてきます。



実際はこんな巨大な城で・・・



五階六階はこんな豪華絢爛な建築物だったと。



目の前には琵琶湖が広がります。



織田信長はこの景色を見ながら何を考えていたのでしょうか。

有名な楽市楽座で安土の町は大変賑わっていたそうです。

当時日本の中心地はこの安土だったのでしょう。

常識を逸した石垣と大天主、信長が夢見た城。
そして天下統一目前で、共に表舞台から姿を消した城。

標高200mの山頂に吹く風が気持ちよく、妙に感情的になってしまいます。



もと来た道を下り、最後は二の丸を通って帰ります。

右側は天主閣の石垣。
圧巻です。これを標高200m付近まで運ぶのはさぞかし大変だったことでしょう。



ちなみに、こんな感じだったらしい。
博物館に模型がありました。

石垣は安土城から波及して、江戸時代まで続きます。この石垣を積んだのが最高の石工職人、穴太衆です。

令和の現代でも穴太衆の技術を継ぐ会社が存在しています。



二の丸跡。
今は信長の菩提寺があります。
写真は撮りませんでしたが、ちゃんと手を合わせてきました。

信長は本能寺で最期を迎えますが、骨が見つからなかったそうです。

そこもまたミステリーで、実は・・・みたいな話が多く存在します。



帰りのルートは総見寺の方から帰ります。
総見寺三重塔の前には綺麗な琵琶湖が見渡せます。



総見寺は信長が建立したとされています。
この三重塔は指定文化財となっています。



この脇を階段で下っていくので、ちょうど二階の部分が目の前で見れます。

鬼瓦もハッキリ見ることができます。





最後は羽柴秀吉邸の脇から出てくるルートです。
不揃いな石階段を下ったりするので、足の疲労がピークに達します。

安土城は歴史から名前が消えた忘れ去られた城だったので、昭和初期の発掘調査の際は、長年の土などの堆積によって全てが埋もれていたそうです。

天主閣跡も完全に埋もれていたそうですが、昭和15年の調査で先ほどの礎石が見事に状態よく見つかったそうです。

その後も調査は続き、金箔瓦なども見つかったことで、城の全容が見えてきました。

大手道も埋もれていて、最初はこんなに大きい道ではなかったとか。

存在していた期間が短かっただけに、資料も少なく謎多き城。


そして、この度令和の大調査が2023年10月から始まります!
20年計画という記事も見ました。

しかも礎石の状況から、天主閣は焼失して北側に倒壊したと言われています。
その北側に今回調査が入ります。

ものすごく貴重なものが発掘される可能性が高く、期待が高まっています。

歴史が蘇る可能性があります。




信長の館・安土城郭資料館

2023-09-23 15:00:00 | 資料館
2023年9月23日

関西方面城巡り2日目

朝一の明石城から滋賀県まで東海道線で移動。
向かう先は安土城。

事前のチェックにて安土城郭資料館・信長の館・安土城考古博物館という三つの資料館が安土町に点在。加えて安土城に登城するというハードスケジュール。

今回はその全てを午後からの時間で制覇しました。




明石駅からのルート。
普通列車で約2時間程。



ほのぼのとした安土駅。
天気にも恵まれ絶好の観光日和です。

信長の館と安土城はそれぞれ離れています。
車であれば問題ありませんが、歩いて行くにはかなり時間も体力も要します。

そこで駅前にレンタサイクルがあります。
料金も安く、かなりの台数を保有していますのでお勧めします。

私も今回はレンタサイクルで周る計画を事前にしてました。



まずは信長の館に向かいます。安土城考古博物館と近接しています。

安土駅からは自転車で10分かからない程度。
ゆっくり行っても12〜13分程度だと思います。

ここには貴重なものが存在しています。



チケットを買って入場すると三つの甲冑と幟がお出迎え。

後の天下人である二人が支え、尽くした親方の信長。そう考えるとカリスマ的存在ですね。


安土城は謎大き城とされています。
築城まで3年、完成してから3年後に焼失してしまった為資料が少ないようです。

しかし、宣教師ルイス・フロイスが度々訪れていて、彼の残した日本史や発掘調査によって形が少しずつ浮かび上がってきました。

近年天主指図が発見され、原寸大の復元が可能になりました。

また、ルイス・フロイスは日本史で下記のように記しています。

 「(城の)真中には、彼らが天主と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。

この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術によって造営された。事実、内部にあっては、四方の壁に鮮やかに描かれた金色、その他色とりどりの肖像が、そのすべてを埋めつくしている」

「外部では、これら(七層の)層ごとに種々の色分けがなされている。あるものは、日本で用いられている漆塗り、すなわち黒い漆を塗った窓を配した白壁となっており、それがこの上ない美観を呈している。他のあるものは赤く、あるいは青く塗られており、最上層はすべて金色となっている」

「この天守は、他のすべての邸宅と同様に、われらがヨーロッパで知るかぎりのもっとも堅牢で華美な瓦で掩われている。それらは青色のように見え、前列の瓦には金色の丸い取付け頭がある」

そしてその豪華絢爛な五階と六階を復元したものがこれです!!



一言
美しい。

これは1992年スペイン万博の日本館のメイン展示に出展されたもの。

万博後に安土町が譲り受けて保存展示しています。
世界初の木造高層建築。高さ46mの壮大な天主でした。



安土城は五層七階。

五階は天井や柱が全て朱色で八角形をしています。



地下から五階までは吹き抜けで黒漆塗り。そしてこの五階に繋がるのですが、打って変わってこの豪華さ。

仏教観を示した絵が施されていて、簡単にいうと極楽浄土を絵にした感じらしいです。

中は金箔の襖などで茶室もありました。



見上げれば六階の軒まで金色。
そして当時では誰も考えつかないような金箔瓦。



階段を上がれば六階を見ることができます。



常識を逸した建築物です。
天下布武を掲げ、天下統一の権威を示した城。
常識を覆すこの建築物は、間違いなく権威の象徴として世を轟かせたことは間違い無いと思います。



六階の内部。
六階は正方形で黒漆塗りと金箔の壁。
中国創世記の帝王などの絵が描かれています。



鯱と丸瓦も金色。細かな装飾含めて豪華にあしらった六階は、常識にとらわれない信長らしさが出ています。



ちなみに、信長はここの六階に住んでいたらしい。

天主に住んでいたのは後にも先にも信長だけのようです。
それで安土城だけは天守ではなく、天主と書かれるんですね。



続いて近接している安土城考古博物館に向かいます。

こちはでは安土城で出土した物や、安土城の歴史などが展示されています。

よく見ると丸瓦と平瓦共に金箔なんですね。
まさに芸術的ですよね。





安土城考古博物館からみた安土山。
のどかな田園風景が広がります。



そして安土城に行って、駅前のレンタサイクルで自転車を返してから、最後は安土城郭資料館に行きます。

安土城郭資料館は駅前にあります。



特に意味はないのですが、この自販機がカッコよくてつい撮ってしまいました。



五階の天井に使用されていたもの。



織田家の菩提寺にある肖像画で、宣教師が書いたものとされていて、この絵が一番似ていると伝えられているようです。

確かに写真のようにリアルな絵で、日本で書かれた絵とも若干似ているので可能性はありますね。





安土城の断面模型などもあり、かなり分かりやすい資料館です。



安土城が吹き抜けなのが分かります。
そして、石垣の中にある一層が地下ですね。

ちなみに吹き抜けには、信長が舞を披露する舞台が張り出していて、それをギャラリーできたそうです。

安土町を最後まで堪能して、無事2日目が終了しました。

明石城@兵庫県

2023-09-23 10:00:00 | 100名城
2023年9月23日

関西方面城巡り2日目。
昨日の姫路城に続き、本日は明石城からスタート。

西明石駅近くのホテルに宿泊したので、朝一にJR山陽線に乗って隣の明石駅に向かいます。

明石城は100名城に登録されていて、現存の櫓が二基残っている貴重な城。

徳川二代将軍秀忠の名によって築城。
初代藩主は小笠原忠真。

1632年11月-1633年4月は幕府直轄地となり本多忠義、政勝が治める

二代目は松平庸直。以後主に松平家が城主を務めました。

今は明石城公園となっています。



事前に調べていて、ベストスポットの一つが、明石駅のホームと分っておりました。

明石城は実に横幅が広く、その両端に現存櫓が残っているので、少し離れている駅だと両方の櫓が綺麗に写ります。

高さもちょうど良き!



明石駅の改札を抜けると目の前に堀があります。
そして、正面の入り口から明石公園に入っていきます。

先には佐田ノ門と能ノ門の枡形になっていて強固な作りになっていたと思われます。

東西800m、南北900m。
東京ドーム15個分の大城郭でした。



入ってすぐに明石城の歴史が書いてあります。

江戸幕府が西国の牽制のために建てたお城として有名です。



右側が巽櫓、左側が坤櫓。
石垣が二段になっていて、近くで見るとより一層迫力が伝わります。



巽櫓側から階段を上がると、二ノ丸と東ノ丸跡の石垣が見えます。



手前側がニノ丸と東ノ丸の石垣。奥には本丸石垣。当然二基の櫓も見えます。

総長300m、高さ10m以上の迫力ある石垣を見ることができます。

ここは結構いいポジションです。



草が生い茂っていますが、櫓下まで近寄れます。



巽櫓下の石垣。
門は算木積っぽく、下は野面積っぽいけど打込接っぽいような。

もっと石垣の勉強が必要です。



階段を上がりきると巽櫓が綺麗に見えてます。
高さもあって立派な石垣の上に乗っているのが分かります。



桁行五間9.03m、梁間四間7.88m、高さ七間12.5m。

重量は約240トン。

阪神淡路大震災の際に、明石城は石垣が破損し、修復のため櫓は曳屋によって一時的にこの位置から移動しました。

お城の大移動は凄いですね。

この同じ曳屋で現在弘前城も修復のため移動しています。



上は展望スペースになっていて、景色を見晴らすことができます。

巽櫓の背景には淡路島と海が見えます。



反対側には坤櫓。
街も一望できて清々しい。



現存する三重櫓は意外と少なく、全国で13基のみ。
その内、2つはこの明石城の二基の櫓です。



本丸跡地。
現在は広場となっているので、市民の皆さんの憩いの場です。

こんな場所で花見なんかできたら素晴らしいですね。



天守台と坤櫓。

天守台の写真を撮り忘れたのですが、熊本城と同規模で、五重の天守閣を建設可能なほど大きな天守台です。

明石城には天守閣を造る計画はありましたが、結局作られることはありませんでした。

理由は明らかになっていないそうです。

中津城を移築する予定があった。もしくは天下泰平の世が来たからなど色々とあるようです。

できなかった理由は分かりませんが、天守閣がなくても迫力あるこの城に、もし天守閣があったら。
しかも五重ほどの巨大な天守閣があったらと考えるだけでワクワクしてしまいます。



何気にこのショットが好きです。

高層マンションと坤櫓。
現代を象徴する建築物と、歴史的建造物のコラボレーションは絵になります。



下から見た坤櫓。

桁行六間(10.94m)、梁間五間(9.15m)、高さ七間二尺九寸(13.28m)、重量は340トン。

先程の巽櫓よりひと回り大きくなっています。
伏見城から移築したと言われていて、内部には伏見城の部材と思われる木目のそろった松材が多く使われているそうです。

期間が限られていますが、内部も見れる時があるそうです。

この日は偶然見れる日だったのですが、10時からということで、次の移動に間に合わなくなるので内部の観覧は諦めるしかありませんでした。



最後に広場から一枚取り、正門近くの観光センターにて御城印を購入して再び駅に向かいました。


近くには姫路城があるので、観光地として陰がやや薄めな印象かもしれませんが、すごく魅力的な城でした。

この二基の櫓が現存しているだけでも素晴らしいのですが、何より圧巻なのは石垣でした。

もっとゆっくり見るべきだったなとブログを書きながら少し後悔。

現在は野球場やイベントができる広場などがあり、この日もイベントがあるようで出店が多く用意されてました。

そんな街に溶け込んだ城という印象です。


城×食事
明石焼・乱
前の日の夜に明石焼を初めて食べました。
上品な出汁に浸して食べる明石焼。

ふっくらでプルプルで熱々!おでんも美味しかった!