2023年12月11日
堺で打ち合わせの後、茶臼山に行き最後は安居神社に向かいました。
至る所に戦いの爪痕が残っています。
冬の陣で徳川家康が本陣を置き、夏の陣では真田幸村が陣を置いた茶臼山→真田幸村縁の安居神社。
これはセットで周るのがマストです。
この天王寺一帯が大坂冬の陣と夏の陣において、大激戦の地だったことは前回書きました。
豊臣が滅亡することになった大坂夏の陣。
そして戦国時代最後の戦。
徳川家康率いる東軍と豊臣秀頼率いる西軍。
人数には諸説ありますが、西軍は圧倒的に兵力で劣っていました。
また、豊臣秀吉が造った難攻不落の大阪城は、冬の陣後に徳川家康によって堀を埋められたことで、防御機能を完全に失っていました。
その中で大活躍をしたのが、冬の陣同様で真田幸村です。
真田幸村は大坂夏の陣で討死しましたが、その最後の地となったのが安居神社とされています。
安居神社は茶臼山の目と鼻の先にあります。
ビルの隙間のような細い路地を抜けると境内に繋がります。
到着が16時40分頃と遅くなりました。
17時までだったのでギリギリでした。
境内には真田幸村の像があります。
まるで時が止まったかのような静けさ。
戦い続けた真田幸村は松の木の下で疲れ切って座っていたそうです。
そして最後を迎えました。
1615年に勃発した大坂夏の陣で、圧倒的不利な西軍の真田幸村は、総大将徳川家康の首のみを狙います。
冬の陣は出城の真田丸で、夏の陣は茶臼山で真田幸村が戦いの最前線に陣を敷いて徳川家康を迎え撃ちました。
三度も徳川本陣を攻撃し、徳川家康は一時退き自刃を決意したと言われています。
しかし、戦というのは勝敗の流れというのがあるもの。
勝利したのは東軍で、その後世界でも珍しい200年以上もの間、戦のない平和な時代が日本に訪れます。
勝利したのは東軍で、その後世界でも珍しい200年以上もの間、戦のない平和な時代が日本に訪れます。
平和で多くの人が行き交う天王寺。
400年以上も前に激戦だったこの地に立ち、昔の情景を想像すると、タイムスリップをしたかのような感覚になります。
真田家の家紋、六連銭。
六文銭は「三途の川の渡し賃」であることから、いついかなるときにおいても死をいとわない不惜身命の決意で望んでいることを示していたともいわれています。
まさに家紋に恥じない戦いをした真田幸村。
そんな知力に優れ、武力に優れ、義理に堅い武将は長い時を経た現代でも我々を魅了し続けている。
安居神社は創建時は不明のようですが、942年には既にあったとされる由緒ある神社です。
世界大戦時の大阪大空襲で全焼するも、戦後に復興。
あと一歩まで徳川家康を追い詰めた戦国最後の名将は、後に日本一の兵(ヒノモトイチノ ツワモノ)と称されます。
真田家は長野県上田の家系。
しかし、この大阪の地で六連銭の家紋や真田という名をよく目にします。
豊臣のために最後まで戦った真田幸村は、それだけ大阪の人々にとってインパクトある存在であると言えます。
先日放送されたNHK歴史探偵の、VR大坂の陣の回は凄くリアルで面白かった。
大河ドラマどうする家康ではまさに終盤の大坂の陣の回となった。
そんなタイミングで来ることができたのは、何かの縁かもと勝手に思ってしまうのです。
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