2024年2月10日
繁華街から南大手門の方へ歩きます。
ここには馬具櫓が存在していました。
長塀の端部には立派な石垣の上に平御櫓があります。
残念ながらこちらも立ち入り禁止のため入城することができなかったので、遠くから眺めるだけとなりました。
ここから坂道を登って城郭の反対側に歩いていきます。
城の前の巨大な敷地にバリケードがされていたので、覗いてみると地震で崩落した石垣が並べられていました。
損傷はしているものの、本当に石垣が素晴らしい城であることが分かります。
天守の裏側、加藤神社より入城します。
城内には大量の瓦が置かれています。
未申櫓は明治に解体されましたが、2003年に木造で復元された二層三階の櫓です。
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設計の打ち合わせの為、1泊2日で生まれて初めて熊本の地にやってきたワタクシ。
羽田空港から阿蘇くまもと空港に到着です。
初日の飛行機は天気が良く、窓側だったので外を眺めていると琵琶湖の上空近くを通過!
小さくですが彦根城が見えました。
超拡大すると、ちゃんと城郭の形が分かります。
初日に無事打ち合わせを終え、熊本城の近くに宿泊。
当然、熊本城に行きます。
しかし、帰りの飛行機は11時55分。
阿蘇くまもと空港まではここから約50分ほど。
手荷物検査やレンタカーの返却などを考慮すると遅くても9時45分くらいには熊本城を出ないと間に合わない。
数ヶ月後に再び熊本に来るので、今日はあえて復旧が進む現在の熊本城を見ておこうと思いました。
朝の7時半にホテルをチェックアウトして熊本城に向かいます。
繁華街から南大手門の方へ歩きます。
城郭入り口には熊本城を築城した加藤清正の銅像があります。
藤堂高虎と並んで築城名人として名高い武将です。
その所以こそが、この熊本城。
難攻不落の熊本城を観れるということで気分は上々でしたが、入城してすぐに震災の現実を目の当たりにしました。
難攻不落の熊本城を観れるということで気分は上々でしたが、入城してすぐに震災の現実を目の当たりにしました。
ここには馬具櫓が存在していました。
櫓は震災で解体され、さらに石垣も崩れたままとなっています。
そして、立ち入り禁止のためにこちらからの入城は出来ません。
到着が早かった為、南大手門側はまだゲートが開いていなかったので、このまま外郭を歩きます。
馬具櫓から続いている長塀。
川に面した石垣に直線242mの長い塀。
この内、80mが震災で倒壊したものの2021年に復旧完了しました。
長塀の端部には立派な石垣の上に平御櫓があります。
残念ながらこちらも立ち入り禁止のため入城することができなかったので、遠くから眺めるだけとなりました。
ここから坂道を登って城郭の反対側に歩いていきます。
城の前の巨大な敷地にバリケードがされていたので、覗いてみると地震で崩落した石垣が並べられていました。
震災から8年が経つというのに、まだこれだけの石垣が路頭に迷っている姿を見て心が痛みます。
東竹の丸と本丸の石垣。
東竹の丸と本丸の石垣。
上は方は崩落したまま。
石垣が崩れないようになのか、全体的にネットがかけられています。
当然、石垣が崩れる可能性もあるので立ち入り禁止。
当然、石垣が崩れる可能性もあるので立ち入り禁止。
天守は復旧完了しましたが、石垣はまだまだ傷を負ったままというのが現状です。
損傷はしているものの、本当に石垣が素晴らしい城であることが分かります。
どこを見ても高い石垣で熊本城は守られています。
天守の裏側、加藤神社より入城します。
加藤清正の築城術といえば、やはり石垣。
下部の緩い勾配から上段は垂直に聳り立つ技術。
清正流石垣とも呼ばれています。
しかし、崩落した石垣はさらなる崩落を防ぐためかコンクリートで固められています。
応急処置を施されていますが痛々しい姿。
現在、本丸の宇土櫓は修復中。
鉄骨で足場は組まれて、大規模な修復です。
宇土櫓は大天守に並ぶ熊本城の顔です。
櫓でありながら五重で、もはや他の城の天守閣を凌ぐ大きさ。
400年以上、現存していた宇土櫓も甚大なダメージを受け、2023年末にやっと復旧工事が始まりました。
解体してからの復旧なので工期はなんと10年!
時間はかかりますが、元に戻った姿を是非10年後見てみたい。
城内には大量の瓦が置かれています。
こんなに近くで見れることもないので、ある意味ではレアだと思うのですが、この尋常ではない数を見て呆然とします。
江戸時代の熊本城には50以上の櫓がありましたが、40以上が明治政府によって解体されてしまいました。
江戸時代の熊本城には50以上の櫓がありましたが、40以上が明治政府によって解体されてしまいました。
残った櫓は写真の通り、全てダメージを受けて既に解体されてしまった櫓もあります。
二の丸に向かう途中には、奥に未申櫓が見えます。
しかし、ここはまさに震災当時の状況と変わらないように思えます。
石垣は崩落、土塀も未だに崩れた状態のまま。
震災の生々しい傷を目の当たりにしました。
未申櫓は明治に解体されましたが、2003年に木造で復元された二層三階の櫓です。
この奥には大天守につながりますが、今回は時間の都合上、ここで撤退です。
2時間ほど周りましたが、難攻不落と呼ばれた理由がよく分かりました。
熊本城はまだまだ魅力が多いのですが、立ち入り禁止もあり見ることができないエリアも多いのが現状です。
熊本城が難攻不落であることを証明したのは明治時代。
江戸幕府の時代は終わり、新政府と薩摩が激突した西南戦争。
この熊本城も舞台となりました。
西郷隆盛率いる薩摩はわずかな手勢で熊本城に籠城した新政府を攻略することができませんでした。
3日間の猛攻を耐え凌ぎ、一人も入城させることを許さなかったそうです。
その後も52日間の籠城戦を制し敗走した西郷隆盛は、
「おいどんは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」という有名な言葉を残しました。
270年の時を超えて、最強の城であることが証明されました。
これだけの時が経過していれば武器も雲泥の差で最新鋭になっているのに、籠城戦を制することができる軍事施設を造った加藤清正はまさに築城の名人です。
そんな熊本城が震災に見舞われたのは悲しい現実。
当初、復旧まで20年といわれた工期は延長され、35年の2052年と修正されました。
今でも進行形で懸命に復旧に取り掛かっている会社、職人さんには頭が下がります。
なんとか、この素晴らしい熊本城を再建して頂きたいものです。
また数ヶ月後に訪問したいと思います。
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