つぶやき城ー。のブログ

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

姫路城@兵庫県

2023-09-22 17:00:00 | 100名城
2023年9月22日

関西方面城巡り1日目

ついに姫路城の中に初めて入城しました。

今までは外から眺めることしか出来てなかったのでこの日が来るのを待ち侘びてました。

姫路駅を降りると正面にドシッと姫路城が構えてますので、まさに街のシンボル。

そして、城では唯一そして日本で初めて世界遺産に登録されています。

さらに、櫓や門など国宝8棟、重要文化財74棟と歴史的価値のある建築物なのは言うまでもありません。

幾多もの廃城や倒壊の危機から逃れた、日本が誇る奇跡の建築物です。



綺麗な堀。この周りにはお土産屋などが並んでいます。

それにしても、ツアー客など人の数が凄いです。世界遺産だけあって、観光客の数も桁違いです。



ここが姫路城の大手門になります。
この門は昭和に建てられたようです。



桜門を抜けると三の丸広場が出てきます。

今は何もなく広場となっており、無料開放なので、地域の方々の憩いの場にも使われていることと思われます。

ここからでも天守閣の威厳がビリビリと伝わります。



チケット売り場あたりからの天守群。

姫路城は大天守、東小天守、乾小天守、西小天守を渡櫓で繋いだ連立式天守閣。

外観は五層。しかし地下がありますので五重六階。

それら天守群と渡櫓が一望できて、このスポットからでも十分楽しむことができます。



チケットを購入して初めて見える門が、菱の門です。



菱の門と天守群。



門自体も大きいので威圧感というか迫力があるのですが、窓には縦格子と華頭などの装飾もあしらわれて豪華です。



本日、到着が14時。現時点で14時半。
見どころが多すぎて1日で全てを見て回ることは不可能と確信。

とにかく天守方面に向かいます。



巨大城郭の大阪城に移るまでは、豊臣秀吉はこの姫路城にいました。
そして、石垣の城に変貌させ城下町も整備。

その後池田輝政が現在のような白漆喰の近代城郭に改修したようです。



はの門。
石垣の中を迷路のように通っていくので、少年心をくすぐられるようなワクワク感があります。



いよいよ天守閣が目の前に来ました。



天守閣の真下に立つと、大きな石垣によって天守群がそびえたって見えます。

そして、石落としや狭間など防御機能が充実していて、間違いなくここに立った自分は撃ち落とされると思います。



やっと天守閣の中に入ります!
ここは水五門。ここは虎口になっていて、天守閣に入場するまでくねくねと曲がります。

これも敵を迎え撃つための仕掛けです。



城内も圧巻!
木材一つ一つの材料が大きく数も半端ないです。広さなど規格外。



武者走り。
この多くの窓から攻めてきた敵を迎い打ちます。



柱も太くてガッシリしています。
さすがこの大きな建築物を支えているだけあります。



写真撮り忘れたのですが、鴨居や敷居の大きさも驚愕でした。



破風の中を観たのは初めてです。
ここだけは床板も縁が切れていて、別の作りとなっていました。



城は武器庫や最期の籠城戦に備えて建てられていました。
それを象徴するかのように、武器を保管する設備が至る所に設置されています。





今回、たまたま乾小天守の特別公開をしていたので当然ながら別料金を払って入城です。

小天守群を渡り廊下を使って一周しました。



ロの渡櫓。
東小天守と乾小天守を繋ぐ櫓です。
姫路城の天守群で一番大きな渡櫓です。

この場所テレビでも観たことがあります。
広く、天井の梁も綺麗に立ち並んで芸術的です。

ちなみに、イの渡櫓とロの渡櫓は国宝です。



乾小天守からの天守群。
ここから見ると、大天守が望楼型天守なのが凄く分かり易いです。

唐破風もはっきり見えて、別料金払ってもお釣りがくるレベルで満足です。





本瓦葺き。
昔ながらの技術ですね。







天守閣を出て、備前丸に出ると大迫力な天守閣が見えてきます!



正面。
一般に城とは城郭全体。天守閣のことのみを指しているわけではありません。

しかし、城!といったら、やはりこんな感じの天守閣のイメージですよね。



姫路城の天守閣は巨大で連立式なので、見る角度によってその姿を変えます。

自分の好きな見え方が、それぞれの観点で違うと思うので好きなスポットを探すのもありだと思います。



姫路城は有名なので、もはや説明不要かもしれませんが、廃城令を逃れ国費によって大切に保存されてきました。
世界大戦では空襲に合うが不発弾となり、現代までその形を残し続けた奇跡の城です。

明治の大修理、昭和の大修理、平成の大修理を経て今の美しい城郭を保っています。

それは江戸時代から時代を超えて、建築技術が引き継がれている証です。

昔の大切な技術は、現代の発展した建築テクノロジーを駆使しながら、次の時代に引き継がれています。

江戸城@東京都

2023-09-18 13:00:00 | 100名城
2023年9月18日

日本一の大城郭は江戸城です。

姫路城23ha、名古屋城35ha、仙台城44ha、大阪城106haと数字で見て取れる通り、大阪城って広かったなぁと思い出しましたが、江戸城はなんと230ha!

大阪城の倍以上の広さを誇ります。
具体的な数字で見てみると、よりリアルに伝わります。

本日は大手町駅で降りて、大手門から入城することにしました。



現在、江戸城は皇居なのでセキュリティも万全です。

朝9時に到着。持ち物検査を受けてから入城します。



外から見た大手門と石垣。
大手門の石垣の修復は伊達政宗が担当したようですね。


こんなに立派な門が江戸城には残ってたんですね。
切込接の石垣も見事です。





日本の中枢、東京千代田区のロケーションに溶け込む歴史的建築物。



この大手門が江戸城の正門になります。
築城は藤堂高虎。その後、1620年に伊達政宗や酒井忠世らが修復して現在の形の枡形になったとか。

江戸城の大手門の大工事となれば名誉ですが、人員と資金も膨大でした。



ちなみに、大手門は空襲で焼失。昭和42年に復元されました。



同心番所。
江戸時代の検問所です。

これは江戸時代後期の建物で、ちゃんと修理復元されて残っています。





同心番所の前を通り、本丸大手門(大手三の門)の渡櫓門石垣の間を抜けると、長さ50メートルを超える百人番所が見えてきます。

こちらも江戸時代からの現存です。

同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たっていたそうです。
同心100人ずつで警護していたので、百人番所と呼ばれています。



続いて、江戸城の天守台。
天守閣は残念ながら江戸時代に焼失。

天守の再建よりも城下町の再建を優先した為、石垣工事は完了したものの江戸城に天守閣が建つことはありませんでした。



石垣のみしかないのですが、なかなかの迫力です。
天守台の高さは13.8m





城内には江戸城の模型があります。形は名古屋城に近いのかな。

天守閣の大きさは44.8m。
石垣と合わせると58.6mです!

ビルであれば20階相当の巨大建築物。
当時、日本史上最高層建築物だったと言われています。

さすが幕府のお城です。



ちゃんと絵図も残っています。
復元しないかな。

つい思ってしまいます。

誰だって58mの巨大な天守閣見てみたいですよね。しかも、この大都市東京のど真ん中。

想像しただけでワクワクします。



東御苑の隅には櫓が見えます。
富士見櫓です。

江戸城天守閣焼失後の代用天守とされてきたようです。

こちらは現存の貴重な建築物。
櫓ですが天守閣に匹敵するほど大きいです。

残念ながらこちらのショットは裏側。ネットで出てくる角度の写真は、皇居の一般参賀の時しか見ることができないそうです。

それは次回の楽しみにしたいと思います。



東皇居を出て桜田門の方向へ向かいます。
堀の角には桜田巽櫓があります。

ちなみに、二重櫓としては日本最大です。
こちらも現存。

奥には桔梗門。

さらに奥には富士見櫓も少し見えます。

ここは3つの建造物が見えるので、江戸城でも良きスポットです。



個人的にはこちらも良いショット!
二重橋と富士見櫓、そして石垣。

手前が正門石橋。奥が正門鉄橋。

二重橋とは正門鉄橋を指します。

二重橋は当時は木造で、壕が深かったので土台となる丸太の上に橋を重ねて設計したので二重橋らしい。

奥の富士見櫓は京都の伏見城から移築と言われていますが史実は不明。

残念ながらこちらも近くで見ることができないので、このスポットがベストかなと思います。



二重橋の先には桜田門。
こちらも、かなり巨大な門です。



近くで見ると大きさ、迫力共に他の城で見る門と桁違いです。

関東大震災で被害を受けるも復元。
国の重要文化財です。



使われている木材、組み方見ても大迫力。
門も驚くほど大きい。



中に入ると枡形になっています。



今回は内側から入ってきましたが、桜田門から入ると、これが正面になります。

ここで有名な桜田門外の変が起きます。



江戸城にはまだまだ多くの門が残っています。

流石に巨大な敷地な為、全てを回るのは厳しいですね。
桜田門から再び大手町駅まで戻った時点で2万歩でした。

少しずつ攻略していきたいです。

今は既に都会の中に溶け込んだ石垣もあったりするようなので、それもまた別日で楽しみたいと思います。


浜松城@静岡県

2023-09-10 13:10:00 | 続100名城
2023年9月10日

静岡城巡り最後は浜松城にやってきました。

徳川家康が29歳から45歳まで17年間在城した城です。

徳川家康以降も、家康と繋がった譜代大名が在城して江戸時代に要職に出世したことから、出世城とも呼ばれています。

凄く縁起のいい城です!

場所は浜松駅から徒歩で20分ほど。
一体は浜松城公園として地元の方にも親しまれています。



今回は市役所側から入城しました。
天守閣と石垣が見えてきます。

見晴らしが良く遠くからでも天守閣が見えるので、まさに街のシンボルというイメージです。


遠くからでもハッキリとわかる石垣が素晴らしいです。



天守門が近づきます。
緩やかな丘のような場所なのに、天守閣に近づくと割と急な勾配になっている気がします。

下から見上げるようで、石垣が絶壁のように感じます。



立派な天守門。
天守門は明治6年に解体されましたが、平成26年に復元されました。



角の算木積みもハッキリ見て取れます。荒々しい石垣と木造。



立派な天守台です。
不揃いな大きさの石垣が積み重なる野面積み。
不安定そうに見えるのですが、400年経過した現代でもしっかりと形を保っているのが凄いですね。



天守閣は1959年に再建された復興天守となりますが、実際は天守台の大きさからすると現在の1.5倍の天守閣だったと考えられています。



確かによく見ると天守台の大きさと、天守閣の大きさが合っていないですね。



昨年改修が終わったばかりのようで、装飾も凄く綺麗です。
黒×白×金の天守閣と青空のコントラストが映えます。



内部は展示品や売店などがあります。







三重三階の最上階の天井は、金色で豪華です。



最上階では外に出ることができ、浜松市を一望できます。
何となく浜松市の街並みに溶け込んでいる感じがして、まさにシンボルといった印象でした。



全体的に石垣の遺構は素晴らしいです。



ちょうど大河ドラマ「どうする家康」が放送されているので、大河ドラマ館が麓で行われていました。




市役所脇の下の広場から見るショットだと天守門も映って良い感じです。

大河ドラマの舞台になっていることもありますが、浜松市はしっかりと浜松城と徳川家康をPRしていて好印象です。

以前からそう思っていました。

やはり街の歴史は自治体の力の入れようによって、見る人々の印象を大きく変えます。

歴史好き、城好きとしては凄く魅力的な市でした。


城×食事
うな炭亭

創業70年近い老舗の鰻屋。

やはり浜松といえば鰻!
ほんのりパリッと香ばしく、中はふっくら。タレは創業以来の継ぎ足しで絶品!


掛川城@静岡県

2023-09-10 11:00:00 | 100名城
2023年9月10日

静岡城巡り2日目は掛川城。

掛川城は室町時代に遠江進出を狙って今川氏が家臣の朝比奈氏に築城させました。

その後、戦国時代に入ると山内一豊が10年間在城しました。
その際に大改修をしたと言われています。
また、城下町も整備されたようです。

現在の掛川城は1994年に日本初となる木造での天守閣復元を果たしました。

新幹線も走っていて、駅からも比較的近いのでアクセスは良好です。


掛川城の魅力の一つでもある大手門。
こちらも1995年に復元されたものです。


上には鯱もあり、なかなか見応えある門です。


礎石と埋め方の資料もあります。
これは貴重かも。



門の中には入ることができません。
城からかなり距離があるところに門があるので注意です。

城の近くに車を停めてしまうと、こちらの門を見るとができません。




天守閣と太鼓櫓が見えてきます。



早速お城に入ります。
まるでお寺のような入り口。



掛川城のベストスポットの一つ。
城に向かう登り階段と塀、そして天守閣が一同に映るこのスポットは綺麗です。



天守閣と付櫓。
天守閣にはこの付櫓から入城します。



急な階段。昔の建物はこれが普通です。



城から見た景色。
掛川市を一望できて、素晴らしい景観。



日本で初めての木造復元天守閣ですから、貴重です。






石垣は打込接の乱積みです。
一階には石落としや武者返しもあって防御機能も備わっています。



掛川城のさらなる魅力は、掛川城には城郭御殿が現存しています。
現存の御殿は、日本に数ある城の中で四箇所しか存在しません。

明治維新の廃城令で殆どが取り壊されてしまったので、かなり貴重といえます。

この御殿内にお土産やグッズなども売っています。



御殿は藩の政治、城主の公邸として使われていました。

こちらの御殿は江戸時代後期に造られたそうです。


書院造で中には展示品なども多く飾られています。





土間。今はもうありませんが、祖父の家を思い出します。
そして木造独特の香り。

妙に懐かしくなってしまいます。







吹き抜けになっている箇所もあり、天井の作りがハッキリと分かります。


掛川城はこの美しい外観から東海の名城と言われていました。

巨大な城郭、巨大な天守閣という訳ではないのですが、非常に魅力が凝縮した城でした。


城×食事
森下そば

掛川市の近くの藤枝市には朝ラー文化があります。
掛川城に行く前に朝からラーメンを頂きました。

詳しくは↓↓





駿府城@静岡県

2023-09-09 17:00:00 | 100名城
2023年9月9日

静岡の城巡り1日目は駿府城。
天下人、徳川家康は幼少時代に今川義元の人質として19歳までの12年間この駿府城で生活していました。

豊臣時代に駿河を両国とした際、徳川家康は駿府城を居城として築城しますが、その後江戸に移封。

しかし、徳川の時代となり家督を譲り大御所なった際、再び駿府城に戻ってきます。

天下普請によって巨大な城郭があったそうです。

現在は櫓と門が復元されています。
そして、天守台が現在も発掘調査中です。



かなり立派な城郭です。
江戸城の天守台は45m×41mでかなり巨大ですが、現在進行形で発掘調査している駿府城の天守台は68m×61mと日本最大の天守台だったことが近年判明しました。

徳川家康にとって、駿府城がいかに特別な存在だったかが分かります。



東御門はどっしりと重厚感があります。



門に使われている木材も立派です。



門の脇の鏡石。巨大な石が使われています。

敵が攻め込んだ際に、これだけの石を運ばせることができるという威嚇というか、牽制球みたいなものらしいです。

他のお城に行っても、門の脇には大きな鏡石が使われていることが多いのは、そういった理由があるんですね。





門の先は枡形となっています。
敵が攻め込んだ際、このスペースに敵が密集して一斉に上から攻撃されます。



ちゃんと櫓の中にも入れます。
忠実な木造復元です。





徳川家康が人質だった際、ここで勉強していたようです。
まさに後の天下人の人間形成が行われた場所なんですね。



駿府城には金箔瓦が使われていました。



天気が悪かったのに、最後は太陽が見えてきました。

なかなか良い感じのコントラスト!



東御門と巽櫓、静岡県庁。

昔のシンボルと今のシンボルのコラボレーションが一緒に映るこのショットがお気に入り。





巽櫓も迫力あります。
天守閣がなくても、櫓があるだけで城の雰囲気がグッと変わります。





東御門の反対側には坤櫓があります。
こちらは、両角にはね出しと千鳥破風があり特徴的な作り。



駿府城の天守台は発掘調査中なので、現場を見ることができます。

それもまた貴重なシーンです。

今後は天守閣の復元もあるかもしれないですね。
堀の石垣も綺麗に整備されていますので、外周を散歩するのも気持ちがいいと思います。


城×食事
ダルマ商店

やはり静岡市に来たら静岡おでん。昔から黒はんぺんが大好きなのです。