1992年現代建設を退社。第14代総選挙で当選し、国会議員として政界入りした。続く第15代総選挙にも出馬しこの時盧武鉉を破って当選している。しかし、李の選挙参謀による選挙法の違反で700万ウォンの罰金が科される前の1998年に議員を辞職し、失意の中で渡米。ジョージ・ワシントン大学客員研究員として1年間を過ごした。大学で参加した演習で「環境」の重要性に気付き、知人に誘われて訪れたボストンでの都市再生工事から、後の清渓川復元工事をはじめとする、一連の都市プロジェクトのヒントを得たという。
帰国後一時は金融界への進出を試みたが、恩赦によって政界復帰が可能となり、2002年のソウル特別市市長選で当選した。しかし、選挙活動を早期に開始したことで罰金を科される。ソウル市長在任中は公共交通システムの再編、ソウルの森の造成といったインフラ整備を大々的に進めた。 中でも特筆されるのが、ソウルの中心部を通り抜ける清渓高架道路を取り除くことで、市民の大切な憩いの場「清渓川」を復元したことである。 李 明博の強力なプロジェクト推進によって、ソウルの中心部を流れる小川をみることができた。さらに、清渓川は市民の憩いの場だけではなく、生態系の宝庫となった |