青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
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毎年、この時期になると、どうしても山形マット事件の児玉有平君の事を思い出します。
当時、事件のあった後、しばらく時間を置いて山形に仲間と一緒に有平君の家に行き、ご両親と会い色々事件について話を聞いた。
ご両親は優しい方で、きっと有平君はご両親に可愛がられて育てられたに違いない。非常にホットな家庭。昭平さんの話しを色々聞いていると、私達でさえ怒りがこみ上げて、絶対に真実を暴いてやると、それから3回ばかり山形と川崎を往復。
当然学校の事件のあった体育館に入り、マットを触りながら仲間と検証。誰が考えてもマットの中に1人で入り、窒息なんて考えられない。それと顔の傷とか何かが顔や体にあったと言う事を聞けば、暴力的ないじめがあったとしか考えられない。今でもご両親が有平君の事を考えながら、毎日生活をしているのではないかと思っています。
まず、ご両親の立場で考えれば毎日思い出すたびに、やり切れない気持ちで一杯ではないでしょうか。今、有平君が生きていれば、アニメーターとして手塚先生を目指して頑張っていたかも知れません。
とにかく考えれば考えるほど残念だ。今回、改めてまた、有平君の作文をブログに載せ、小学6年生がここまで、こういう中身の作文を書けるのかと、只々驚くばかりです。


 

山形マット死事件

 1993年1月13日、山形県新庄市立明倫中学校の体育館用具室で、同校1年生・児玉有平くん(13歳)がマットの中に逆さに突っ込まれる形で死亡しているのが発見された。


 児玉有平君は幼稚園を経営する児玉家の次男として生まれた。児玉一家は1976年頃に新庄市に引っ越してきたが、「裕福」であり、「標準語」を話す「地元出身」ではない家庭だったため「新参者」と言われていた。地元の人々にとって、児玉一家に対して妬みがなかったと言えば嘘になる。

 有平君は小学校の高学年頃からいじめにあっていた。漫画家かアニメ製作の仕事を志すようになっていた。
「現代人が忘れた『心』を伝えたい」 家族にはよくそう語っていたという。

 1992年夏頃、部活動でいじめられた経験のある兄(中3)が、「部活でいじめられていないか」と有平くんに尋ねると、有平くんは「いじめられてもギャグを言って切り抜けているから大丈夫」と答えていた。

 1992年9月 集団宿泊研修から、有平くんが顔を腫らして帰宅したため、家族が学校に「いじめられているのでは」と相談。学校側は有平くんから事情を聴くが、いじめられたことを認めなかったため放置。

 


 



画像は、
漫画家の神様と呼ばれてる手塚治虫先生


夢を作る仕事(山形マット事件)六年 児玉有平くんの作文

僕は将来漫画家あるいはアニメスタッフになるのが、夢です。
他にもたくさんやりたいことがあるんだけどやっぱりこの二つが今一番です。
二つとも空想からキャラクターが、生まれ、時代が生まれ、世界が生まれます。すべてが、人の頭心から生まれます。
ぼくはそうやって人に話を聞かせたり、見せたりするのが、大好きです。
自分の作った作品を見て泣いたり笑ったりして、感動した人の心が晴れ晴れしたら僕は、何よりもうれしいし、作品が成功したら心から喜べるでしょう。
そしてもし出来るなら、映画を作り、自分が監督し、脚本を作り主演者を、チャップリンや、ヒッチコックみたいのをやってみたいです。
しかし僕の夢は、思ったより簡単にはかなえられません。
漫画家やアニメ業界などでは、貧乏で、プロちゅうのプロにならないと
食べていくのが、難しいそうです。
でも、くじけずにやっていこうと思います。
漫画家になりたいという人は、全国にたくさんいますが、漫画家は、宝くじよりあたらないといわれています。
自分でも、なんで僕の将来の仕事は、こう貧乏で苦労続きで、世間から
あまり認められないのだろうかと、思います
昔、漫画家なんていうのは、全く認められない仕事でした、
そこで、現れたのが、現在漫画家の神様と呼ばれてる手塚治虫先生です。
彼は、ライバルのいない天才だ。



数々の、作品には社会的なこともあり、もちろん夢を語ったものもありました。
彼は、漫画家を、世間に広く広めました。
そして、いまも数限りない多くのファンがいます。
そして、その手塚先生の後でも、どんどん漫画家が出てきています。
限りない夢を求めて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アニメを完成させるには、一作品に40人は必要です。
そのうちの20人は、アニメーターです。
アニメは、セル画、一枚約、一秒というから、例えば30分の番組だとするとものすごい、セル画の量だということが、わかります。
特に、アクションが、見せもののアニメなんかは、ふっとばされたり飛び上がるシーンなど、はっきり見るには、とてもスローモーションではわかりません。
アニメの素晴らしいところは、おもしろく、かっこよく、いろんなひとを自由自在にあやつることです。
ぼくが、アニメーターになりたいというのは、映画と同じように見た人が、感動して喜べるからです。
日本は、世界一の、経済大国です。
でも何か、貧しくさびしいです。心が・・・・・・・・・・・・・・・・・
かたっぽ一万円する靴を履き、たっぷりの肉を食べる現代っ子は、目先の欲にとらわれ、何か大切な、お金では買えないものを、忘れていないでしょうか。
その忘れものは、夢です。

その忘れかけた、大事な忘れ物を、届けるために、僕は漫画やアニメの仕事をしようと思います。




山形マット事件が起きてから早17年。月日の流れは早い。この17年間家族は有平君、今生きていたらという思いで生きて来たと思う。これから先、ずっと、死ぬまで思い続ける家族の事を考えると許せない。山形マット事件で理事長とNNさんが2回、横田理事長と副理事長の鹿川さんが1回、現地に行き体育館のマットを調べても、中学校の子が自分でもぐって窒息、まったくふざけた話だ。理事長も話してましたが、有平君の父親の話を聞いても、間違いなく暴行死だ。まったく惜しい子を亡くした。親御さんも悔しいでしょう。とにかく小学6年生であれだけの作文を書ける子はそうはいない。今生きていたら彼とじっくり話したい。








私も指導長と同じで、なんであの子が殺されなければ、ならなかったんでしょう。あそこまで育てたご両親の気持ちを考えると、やりきれない。今生きていたら、あの子だったら自分の夢を実現していたでしょうね。改めて有平君の死を風化させてはいけない。理事長の話ですとあの学校にも問題がある。学校も有平君の死について、本当のことを親御さんに話すべきではなかったのか。誰が考えても中学一年になって一人でマットの中に潜って死ぬなんて誰が信じますか。いい加減にしてもらいたいですよね。この事を考えるといたたまれない。