執筆:オケロ&シダド
カクマの難民男性が夜襲に遭って銃弾を受けたが、命はとりとめた。
スーダン人の難民が銃撃を受け、全身に大けがをしてキャンプの病院に運ばれた。事件は、2017年11月14日夜8時頃、キャンプ内のカクマ1ゾーン1ブロック7の住居で起きた。
襲撃の夜、ピーター・アリは家にいたが、入り口のドアが粉砕される音を聞いて家から飛び出した。「彼らが来たのは丁度寝ようとしていた時で、入り口を壊して入り込み、その場にあった携帯電話を寄こせと言ってきました」という。
それをアリが拒むと、3人の暴漢に殴りかかられた。「抵抗して暴漢の一人を抑えつけましたが、他の一人に鋭い“なた”で頭を殴られ、倒れこみました」。彼によると、武装した暴漢と10分くらい争ったが、その間、近くの人は誰も事件に気づいてくれなかった。床の上で蹴られ、暴漢の一人にAK47ライフルで狙われ、息もつけずに逃れようともがいた。
「私は床に倒れていました。3人が後ろに下がり、その後一人が私に向けて銃を放ちました。私が覚えているのはそれだけです」KANEREのインタビューにアリはこう語っている。彼が家の中の床に助けもなく転がっている間に、暴漢たちは2発の銃弾を発射したが、そのうちの1発が彼の首の下に当たり、大きな傷口を残した。
【写真】銃撃により負傷したアリ。難民病院で。
「一発の弾丸は私の頭をそれましたが、もう一発が首に当たり、左の肩に残りました。それがものすごく痛いのです」とアリは説明を続けた。
アリがキャンプ3の難民病院に運び込まれたのは9時を回っていた。そこで銃弾により開いた傷口の外科手術が行われた。
キャンプ3の警備担当者は犯行現場に到着すると、ケニア警察と救急隊に連絡した。「私は目の前の状況が信じられませんでした。彼の周りは血の海で、死んでしまうと思いました」とは警備担当者シャリフの言葉である。
11月20日、アリは退院させられ、別の第5病院に行って一日一回傷口を手当てするよう指示された。アリは難民病院での扱いに不満を抱いた。設備も整っておらず、看護婦の態度も悪く、薬も少ない。「手術中はひどい痛みで、その後、鎮痛剤をくれただけで退院させられたんです」それからの数週間、腕や頭や首の激しい痛みに悩まされた。「状態は安定せず、傷口の周りは腫れあがり体中にずっと痛みが残っています。激しい痛みで一晩中寝られませんが、痛みに耐えるしかありません」とアリは不満を漏らしている。
【写真】銃撃を受けたあとのアリ。難民病院にて。
ピーター・アリは20歳。2013年にスーダンでの激しい政治闘争から逃れてカクマに来た。それ以来、叔父と一緒に暮らしている。2016年にカクマの中学を卒業したが、その後更なる教育を受けられる見込みはない。キャンプで中学を卒業した若者たちは、殆ど同様の試練に直面して、高等教育を受けられずにいる。アリはそれでも、支援が限られていて将来の展望も開けないキャンプでの生活に楽観的だ。
7月には、中学に通っていた女子生徒が武装ギャングに強姦された。10月には、コンゴ人難民が武装した無法者に3発の銃弾を撃ち込まれた。キャンプには権限を持った管理者がいるが、犯人グループは住民を脅し続けている。
カクマの難民男性が夜襲に遭って銃弾を受けたが、命はとりとめた。
スーダン人の難民が銃撃を受け、全身に大けがをしてキャンプの病院に運ばれた。事件は、2017年11月14日夜8時頃、キャンプ内のカクマ1ゾーン1ブロック7の住居で起きた。
襲撃の夜、ピーター・アリは家にいたが、入り口のドアが粉砕される音を聞いて家から飛び出した。「彼らが来たのは丁度寝ようとしていた時で、入り口を壊して入り込み、その場にあった携帯電話を寄こせと言ってきました」という。
それをアリが拒むと、3人の暴漢に殴りかかられた。「抵抗して暴漢の一人を抑えつけましたが、他の一人に鋭い“なた”で頭を殴られ、倒れこみました」。彼によると、武装した暴漢と10分くらい争ったが、その間、近くの人は誰も事件に気づいてくれなかった。床の上で蹴られ、暴漢の一人にAK47ライフルで狙われ、息もつけずに逃れようともがいた。
「私は床に倒れていました。3人が後ろに下がり、その後一人が私に向けて銃を放ちました。私が覚えているのはそれだけです」KANEREのインタビューにアリはこう語っている。彼が家の中の床に助けもなく転がっている間に、暴漢たちは2発の銃弾を発射したが、そのうちの1発が彼の首の下に当たり、大きな傷口を残した。
【写真】銃撃により負傷したアリ。難民病院で。
「一発の弾丸は私の頭をそれましたが、もう一発が首に当たり、左の肩に残りました。それがものすごく痛いのです」とアリは説明を続けた。
アリがキャンプ3の難民病院に運び込まれたのは9時を回っていた。そこで銃弾により開いた傷口の外科手術が行われた。
キャンプ3の警備担当者は犯行現場に到着すると、ケニア警察と救急隊に連絡した。「私は目の前の状況が信じられませんでした。彼の周りは血の海で、死んでしまうと思いました」とは警備担当者シャリフの言葉である。
11月20日、アリは退院させられ、別の第5病院に行って一日一回傷口を手当てするよう指示された。アリは難民病院での扱いに不満を抱いた。設備も整っておらず、看護婦の態度も悪く、薬も少ない。「手術中はひどい痛みで、その後、鎮痛剤をくれただけで退院させられたんです」それからの数週間、腕や頭や首の激しい痛みに悩まされた。「状態は安定せず、傷口の周りは腫れあがり体中にずっと痛みが残っています。激しい痛みで一晩中寝られませんが、痛みに耐えるしかありません」とアリは不満を漏らしている。
【写真】銃撃を受けたあとのアリ。難民病院にて。
ピーター・アリは20歳。2013年にスーダンでの激しい政治闘争から逃れてカクマに来た。それ以来、叔父と一緒に暮らしている。2016年にカクマの中学を卒業したが、その後更なる教育を受けられる見込みはない。キャンプで中学を卒業した若者たちは、殆ど同様の試練に直面して、高等教育を受けられずにいる。アリはそれでも、支援が限られていて将来の展望も開けないキャンプでの生活に楽観的だ。
7月には、中学に通っていた女子生徒が武装ギャングに強姦された。10月には、コンゴ人難民が武装した無法者に3発の銃弾を撃ち込まれた。キャンプには権限を持った管理者がいるが、犯人グループは住民を脅し続けている。
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