KANEREの編集委員が、昨年12月にナイロビで行なわれたジャーナリスト保護委員会とロイ・ペック・トラスト主催の国際会議に出席した。
この会議の開催を機に、メディア組織の代表は、西アフリカで亡命中のジャーナリストのために新たな効果的戦略を整備しようと集まった。国際組織は一同に集まり、各地の亡命ジャーナリストを助けるため、ネットワークを拡大し、さまざまな仕組みを構築するための手段を検討した。
参加者はロイ・ペック・トラストと提携しているジャーナリスト保護委員会、メディア法的防御の代表者達、ジャーナリズムとトラウマの為のダートセンター、西アフリカ国際社会の人権問題と出版の自由の提唱者達、弁護人の組織、そして我々、難民フリープレス。会議は2011年12月11日から14日まで、フェアビュー・ホテルで開催された。フェアビュー・ホテルはナイロビで警備がいちばんしっかりしているホテルと言われている。
丸4日間、西アフリカの亡命ジャーナリストの支援について、討議した。KANEREの職員も、「支援を卓越した持続可能な取り組み」についての1時間のパネルディスカッションに、パネリストの一人として参加した。パネリスト達は亡命ジャーナリストを力づける取り組みについて話し合った。活発は討論だった。西アフリカの亡命ジャーナリストのグループは、彼らジャーナリスト達の日常生活に関して様々な問題点を明らかにした。たとえば、亡命した場所では生産的な仕事がない、法的保護に不安、生活を維持できるほどの仕事になかなかありつけないなど。難民のなかでも、UNHCRのキャンプにいる亡命ジャーナリストがいちばん、こうした問題にさらされている。KANEREにいるエチオピア人亡命ジャーナリストも、自分の経験や苦労を話した。エリアス・レマは2002年、政府の極秘スキャンダルを彼が編集長をしていたメーベル新聞に暴露し、エチオピアを追放された。
レマ氏はエチオピアの首都であるアディス アベバを拠点にしているメーベル、アンダンテ、フィキルセワの各新聞社に勤務していた。彼は、エチオピアから死の危険を避けて逃げてきた12人以上の亡命ジャーナリストと一緒に、ナイロビ郊外に約5年間住んでいた。2006年9月6日、UNHCRの保護下にあるナイロビでエチオピアのジャーナリスト達が襲撃された後、2007年にUNHCRケニア事務所に恒久的な解決策を求めた。ナイロビで何度か身の危険を感じカクマに移り住んだが、その後も、UNHCRは彼のケースに何ら進展を図っていない。「追放されると言うことは、違う世界にいることだ。我々は単に生きているだけ。死ぬよりましということだ。普通の生活など出来ていない」とレマは言う。彼は現在38歳で、KANEREの亡命たジャーナリストの中で一番年上である。
この会議の目的は、西アフリカの亡命たジャーナリストやフリーランサーが直面している問題の、持続可能な一貫した解決策を探すことである。亡命ジャーナリストは、それぞれの地域で生活上の権利を奪われ苦しんでいる。難民キャンプにいる亡命ジャーナリストは、都市にいる彼らの仲間に比べ、より弱い立場にある。保証された職に付くのはとても難しい。UNHCRの難民キャンプでは、「どんな教育を受けていようと、どんな職歴を持っていようと、 『奨励賃金』支給対象者でしかなく、給与を保証される階級ではない」というのが人道主義者の謳い文句なのだ。
多くの亡命ジャーナリストはUNHCRの保護下にあっても、身の危険を感じ、行方不明になるかもしれない、死ぬかもしれないと怯えている。重要なのは、世界各地のジャーナリストと世界に離散した報道発信者がジャーナリストの正当な保護と倫理規律や指針に則った表現の自由を、各地の権力者に対して主張し働きかけることだ。
KANEREを創刊して以来、、スタッフ達は何度も物理的な攻撃を受けてきた。備品が壊され、キャンプ内の自宅を壊された。‘国境なき記者達’は2010年6月、カクマキャンプ担当のUNHCR職員に、KANEREのメンバーをもっと保護すべきだという手紙を書いてくれた。それでも嫌がらせが続いたので、、‘国境なき記者達’は2011年6月に再度UNHCRに手紙を出している。
死の危険は多くのジャーナリストを亡命に追いやった。そして数多くのジャーナリストが西アフリカやアフリカの東北端から何とかく死を免れて逃れてきた。エチオピアをはじめとする国々には反テロリズム法があり、自国、他国を問わずジャーナリストを非難告発することができる。エチオピアでは最近、二人のスウェーデン人がこのテロリズム法により11年の刑を宣告されている。
ジャーナリスト保護委員会や国境なき記者達のような報道の自由を推進するグループは、エチオピアのジャーナリストに対する侵害を頻繁に幅広く報道している。この会議やジャーナリスト保護委員会の活動の詳細は、下記のURLで読むことができる。
http://www.cpi.org/blog/2011/2012/in-nairobi-plans-to-improve-aid-to-exiled-journali.php#more
難民フリープレスの活動の中で、我々は人権や法への敬意を持ち、もっと開かれた難民キャンプの社会を創り、難民について公正に討論できる土台を粗朶得るために発言していく。
この会議の開催を機に、メディア組織の代表は、西アフリカで亡命中のジャーナリストのために新たな効果的戦略を整備しようと集まった。国際組織は一同に集まり、各地の亡命ジャーナリストを助けるため、ネットワークを拡大し、さまざまな仕組みを構築するための手段を検討した。
参加者はロイ・ペック・トラストと提携しているジャーナリスト保護委員会、メディア法的防御の代表者達、ジャーナリズムとトラウマの為のダートセンター、西アフリカ国際社会の人権問題と出版の自由の提唱者達、弁護人の組織、そして我々、難民フリープレス。会議は2011年12月11日から14日まで、フェアビュー・ホテルで開催された。フェアビュー・ホテルはナイロビで警備がいちばんしっかりしているホテルと言われている。
丸4日間、西アフリカの亡命ジャーナリストの支援について、討議した。KANEREの職員も、「支援を卓越した持続可能な取り組み」についての1時間のパネルディスカッションに、パネリストの一人として参加した。パネリスト達は亡命ジャーナリストを力づける取り組みについて話し合った。活発は討論だった。西アフリカの亡命ジャーナリストのグループは、彼らジャーナリスト達の日常生活に関して様々な問題点を明らかにした。たとえば、亡命した場所では生産的な仕事がない、法的保護に不安、生活を維持できるほどの仕事になかなかありつけないなど。難民のなかでも、UNHCRのキャンプにいる亡命ジャーナリストがいちばん、こうした問題にさらされている。KANEREにいるエチオピア人亡命ジャーナリストも、自分の経験や苦労を話した。エリアス・レマは2002年、政府の極秘スキャンダルを彼が編集長をしていたメーベル新聞に暴露し、エチオピアを追放された。
レマ氏はエチオピアの首都であるアディス アベバを拠点にしているメーベル、アンダンテ、フィキルセワの各新聞社に勤務していた。彼は、エチオピアから死の危険を避けて逃げてきた12人以上の亡命ジャーナリストと一緒に、ナイロビ郊外に約5年間住んでいた。2006年9月6日、UNHCRの保護下にあるナイロビでエチオピアのジャーナリスト達が襲撃された後、2007年にUNHCRケニア事務所に恒久的な解決策を求めた。ナイロビで何度か身の危険を感じカクマに移り住んだが、その後も、UNHCRは彼のケースに何ら進展を図っていない。「追放されると言うことは、違う世界にいることだ。我々は単に生きているだけ。死ぬよりましということだ。普通の生活など出来ていない」とレマは言う。彼は現在38歳で、KANEREの亡命たジャーナリストの中で一番年上である。
この会議の目的は、西アフリカの亡命たジャーナリストやフリーランサーが直面している問題の、持続可能な一貫した解決策を探すことである。亡命ジャーナリストは、それぞれの地域で生活上の権利を奪われ苦しんでいる。難民キャンプにいる亡命ジャーナリストは、都市にいる彼らの仲間に比べ、より弱い立場にある。保証された職に付くのはとても難しい。UNHCRの難民キャンプでは、「どんな教育を受けていようと、どんな職歴を持っていようと、 『奨励賃金』支給対象者でしかなく、給与を保証される階級ではない」というのが人道主義者の謳い文句なのだ。
多くの亡命ジャーナリストはUNHCRの保護下にあっても、身の危険を感じ、行方不明になるかもしれない、死ぬかもしれないと怯えている。重要なのは、世界各地のジャーナリストと世界に離散した報道発信者がジャーナリストの正当な保護と倫理規律や指針に則った表現の自由を、各地の権力者に対して主張し働きかけることだ。
KANEREを創刊して以来、、スタッフ達は何度も物理的な攻撃を受けてきた。備品が壊され、キャンプ内の自宅を壊された。‘国境なき記者達’は2010年6月、カクマキャンプ担当のUNHCR職員に、KANEREのメンバーをもっと保護すべきだという手紙を書いてくれた。それでも嫌がらせが続いたので、、‘国境なき記者達’は2011年6月に再度UNHCRに手紙を出している。
死の危険は多くのジャーナリストを亡命に追いやった。そして数多くのジャーナリストが西アフリカやアフリカの東北端から何とかく死を免れて逃れてきた。エチオピアをはじめとする国々には反テロリズム法があり、自国、他国を問わずジャーナリストを非難告発することができる。エチオピアでは最近、二人のスウェーデン人がこのテロリズム法により11年の刑を宣告されている。
ジャーナリスト保護委員会や国境なき記者達のような報道の自由を推進するグループは、エチオピアのジャーナリストに対する侵害を頻繁に幅広く報道している。この会議やジャーナリスト保護委員会の活動の詳細は、下記のURLで読むことができる。
http://www.cpi.org/blog/2011/2012/in-nairobi-plans-to-improve-aid-to-exiled-journali.php#more
難民フリープレスの活動の中で、我々は人権や法への敬意を持ち、もっと開かれた難民キャンプの社会を創り、難民について公正に討論できる土台を粗朶得るために発言していく。
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